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第538話

「正解だ」 ドキリとするような艶のある低音に、優しく柔らかな微笑み。愛おしいと全力で訴えてくる瞳の中に、俺の姿だけが映っている。 ざわっとざわめいた外野にもお構いなしに、火宮が鮮やかな笑顔を浮かべたまま、アイマスクを外した際に乱れてしまったのだろう俺の髪を優しく撫でた。 「っ、刃」 ほら、俺の勝ち。 そう偉そうに宣言してやりたいのに。 なんて嬉しそうに、なんて幸せそうに笑っているんだ。 これじゃぁまるで、勝ったはずの俺が、何故か負けてしまったみたいに感じる。 強烈な敗北感。 「っ。ずるい…」 勝ったのに。 これで絶対服従はお終いですねって、俺が勝ち誇って言うはずだったのに。 「ククッ、翼」 ゆっくりと、間近に迫ってくる美貌は、言わずと知れたキスの予感で。 俺がこんなに火宮だけなのと同じように、火宮もこんなにも俺だけだ。 「っ…」 みんなが見ている。 ジッと集まる視線があるのに。 火宮の目に映るのは、ぶつかるほど間近に迫った焦点のぼやけた俺の顔だけで。 会長様の生キスシーンなんて、多分そうそう見せてはいけないんだろうに、今の火宮の意識の中には、ギャラリーなんて1人も存在していない。 その世界に存在(あ)るのは俺だけだ。 「じ…」 呼びかけた名前は火宮の吐息に遮られ、続く「ん」の音は、火宮の唇に吸い取られていった。 「んっ、はっ、アッ…」 クチュッ、ピチャッと水音を立てて、火宮の舌が俺のそれと絡まり合う。 「ハッ、あんんっ…」 ぬるりと歯列をなぞられて、堪らず腰が揺れた。 「あ、あ、あ、んっ」 頭の芯がジーンと痺れ、鼻にかかった吐息が漏れる。 トロンと落ちた瞼の向こうに、薄くぼんやりと、微笑む火宮の美貌が見えた。 っ…。 ドクンと中心に熱が集まる。 「んっ、ぅあぁ…」 口の中の弱いところをゾロリと舐め上げられ、くたぁ、と膝から力が抜けた。 「っ、あ」 ガクンと床に崩れそうになった身体が、火宮の腕に抱き止められる。 「ククッ、腰が抜けたか」 相変わらず感じやすい、と笑う火宮の唇が、唾液に濡れて妖しい色香を醸し出していた。 「はぁぁぁっ、まったく、あなた方は…」 っ! 「クスクス、見せつけてくれるねぇ。能貴、俺も。俺たちも…んぐっ」 「誰が何ですって?」 あ、あ、あ、あぁぁっ! 「うはぁ、やべぇ。翼たち、ヤラシー」 「まぁ、人前で堂々と交わすレベルのキスじゃないよね」 いやぁぁぁっ! 「どひゃぁっ!か、か、か会長の生キスーっ!い、色気っ!ってか舌っ。翼さんっ…ひぃ、は、鼻血がっ…」 やばい。 ざわざわ、ヒソヒソと交わされる声を認識して、俺は今更ながらに、ここにはみんながいたんだってことを思い出した。 「っーー!」 見られた。 完全に火宮に流された。 こんな、みんなの前で公開ディープキスなんて。一体どんな罰ゲームだ。 「じ、じ、刃っ」 ククッと楽しげに喉を鳴らしている火宮は、まったく気にした様子もなさそうなのがまた、一体どんな神経をしているのか。 「ふっ、おまえたち、ジロジロと見るな。減る」 あぁ、俺様、何様、火宮様。 ドドーンと何を言ってくれちゃっているんだ。 あまりのことに、クラリと目眩がしてくる。 ほら。真鍋さんがすっかり呆れているし。 夏原はあっぱれと拍手を送ってきていて、豊峰と紫藤はシラけた顔で視線を交わし合っている。 ブンブンと、1人だけ必死になって首を縦に振っている浜崎が、従順にクルッと後ろを向いた。 「いや、だから、あぁもうっ!」 色々と今更だし、見られてしまったものは、もうしょうがないんだけど。 「バカ火宮ぁ」 仕方なく、ジロッとすべての元凶を睨み上げてみるんだけど、快感に潤んだ目と、縋り付いていなければ立っていられない身体でそんなことをしても多分なんの威力もないことは、俺が1番よく分かっていた。 「ククッ、ここをこんなにして、そんな目で見つめてきて。誘っているのか」 「はぁっ?」 だから、見つめているんじゃなくて、睨んでいるんです! 「それともその暴言は、仕置きの催促か?ここで続きをされたいのか」 「なっ…」 バカなのっ? 続きって何! クイッと膝で性器を押されて、俺はビクッとして火宮に縋る手にぎゅっと力を込めた。 「どうやらこいつらも、とっくに絶対服従ゲームは終わっているようだし」 「あれっ?そういえば…」 アイマスクをしていたから分からなかったけど、ここは1階のリビングで。ゆったりとソファに座った真鍋と夏原は、呑気にコーヒーを飲んでいるし、少し離れたテーブルセットの椅子に座っている豊峰と紫藤も、お菓子をつまみながらのんびりしている。 「ククッ、俺たちも、賭けは翼が勝ったから、もう絶対服従は終いだな」 「はぁ」 「では夕食まで、それぞれ自由に過ごすとするか」 「え、あの…」 「翼は寝室だ」 「はぁっ?」 「コレ…。たっぷりと可愛がってやらないとな」 誰も近づくなよ、と言い置いて、火宮がリビングから続く、2階への螺旋階段を上っていく。 「っな…。っーー!」 だからっ、人前で、お姫様抱っことか! ひょいっと抱き上げられてしまった身体が、反射的にバタバタと暴れてしまう。 『クッ、普通に歩いたら、バレるぞ』 いいのか?と、意地悪く目を眇めて囁かれて。 「っ!」 嫌。駄目。 むくりとズボンの前を押し上げる熱に気づいて、俺はブンブンと首を左右に振って、火宮の首にしがみついた。 「ククッ、可愛い真似を」 「バカ火宮」 意地悪、どS。あらゆる暴言も付け加えてやる。 「ふっ、懲りないやつだ。仕置きだぞ?」 ニヤリ、と笑う火宮が、ガブッと俺の鼻に噛みついた。 「っ!」 あぁもう。どうにでもして。 ゆらりと運ばれていく身体が、2階へ向かう。 「はぁぁぁぁっ。もう勝手になさって下さい…」 心底呆れ果てた誰かの声が、後ろから聞こえてきていた。

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