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第539話
*
「はぁっ…」
「ププッ、翼、お疲れだな」
俺の盛大な溜息を聞き咎めた豊峰が、揶揄う口調で笑った。
「まぁねー」
それはそうだ。
あれから、夕食までと、お仕置きを口実に、一体何ラウンド挑まれたか。
グズグズのクタクタにされた身体は、自力では指1本動かすのも億劫な状態で、火宮に甲斐甲斐しく風呂に入れられ、食事も火宮の膝の上に抱き抱えられてとる羽目になった。
「本当、愛されてんな」
ニカッと笑う豊峰の顔が、パチパチと爆ぜる花火の光に照らされている。
「愛かー」
愛、ね…。
俺は、シュゥッと煌めきを放って静かに衰えていく花火の光を見つめながら、その向こうに見える火宮の姿に目を細めた。
「愛だろ。おまえの一言で、夕食後に、この花火遊びだぞ?」
そう、今、俺たちは、火宮所有のプライベートビーチに降りてきて、有能な右腕さんが準備万端だった花火を、みんなで楽しくやっているところだ。
本当は火宮は、俺と2人きりでやりたそうだったけれど。
俺がみんなとやりたい、って言ったから、真鍋や豊峰や部下さんたちも連れて、みんなで花火をやることを許してくれたんだ。
「うん。愛されてるよね」
どんなに火宮の希望と違っても、可能なことなら、俺の我儘を優先してくれようとするんだもの。
えへへ、と笑った吐息で、ふとロウソクの炎が消えてしまった。
「あ…」
一瞬、闇が、目の前を支配する。
「火宮さん」
「ん?あぁ、火か。ライターは真鍋だ。真鍋に言え」
薄く目を細めた火宮が、闇の中で迷いなく俺に微笑みかけていた。
「っ…ひ、みや、さん…?」
なんだか、消えてしまいそう。
闇に溶けた、闇色を纏うその姿がなんだか不確かで、ドキリと言い様のない不安が胸に押し寄せた。
「ん?どうした?あぁそうだ。ついでにあいつに、これを渡してこい」
ニヤリ、と笑って差し出されたのは、何故か手持ち花火のひと束で。
「え?やれって?」
あぁ、よかった。意地悪な顔で笑う火宮は、いつもの火宮だ。
「ククッ、真鍋が羽目を外すところも少しは見せろと言ってやれ」
嘯く火宮の意図は、簡単に分かった。
「はい。もう仕事は忘れて、プライベートで楽しんで下さい、って言ってきますね」
パッとひと束の花火を受け取り、離れたところでみんなの様子を見守っている真鍋のところに駆けていく。
「真鍋さんっ」
どーぞ、と突き出した花火を見て、真鍋の眉がぎゅぅ、と寄った。
「翼さん?」
「はい、これ、火宮さんから」
「会長が?」
「どうぞ。お仕事はもうお終いですよ」
ねっ?と花火を握らせて、俺はにこりと笑ってみせる。
「いえ、私は…」
「クスクス、会長も粋な計らいをしてくれるね。いいじゃない、火宮翼くんがせっかく持って来てくれたんだから。能貴、俺と一緒に向こうでやろうよ」
不意に、俺たちの様子に気づいたのか、夏原が割り込んできて、強引に真鍋の手を引いてしまった。
「ですがっ…ちょっ、夏原先生っ?私はまだ、会長や翼さんの安全確保や、打ち上げ花火の準備で部下に指示を…」
「いいの、いいの。そんなのは、おまえのところの優秀な部下たちが、ちゃんとこなすから」
ぐいぐいと強引に事を運ぶ夏原に、真鍋がズルズルと連れて行かれる。
『あ、と、は、任、せ、て』
ふとこちらを振り返った夏原が、にこりと笑う。
『よかった。後はよろしくお願いします』
粋なウインクが、本当に夏原にはよく似合う。
「だからっ、あなたはいつもいつも、そうやって強引に」
「だって会長がいいって言ってるんだもん。楽しまなきゃ損だよ」
「ですが」
「あぁうるさい。あんまりグダグタ言うと、塞ぐぞ。唇で」
「っ!だからっ、あなたはまたすぐそういう…」
ギャァギャァと、言い合いをしながらも、なんとなく楽しそうな2人の姿が遠ざかっていく。
「なんだかんだ言って、真鍋さんには夏原さんくらい強引な人の方が…って、あっ!ライター借り忘れちゃった」
ハッとした時にはもう、真鍋と夏原の姿は随分と遠くにあって。
「ま、いいか」
打ち上げ花火もやってくれるって言ってたしな。
俺は火を諦めて、タタッと火宮のもとに戻った。
「おかえり。真鍋は?」
「夏原さんに連れて行かれました」
「そうか」
「はい。なんだか真鍋さんも、夏原さんに身を委ねちゃえばいいのになぁ、なんてちょっと思ってしまいました」
「ククッ、そうだな」
スゥッと暗い海に視線を流した火宮が、薄っすらと微笑む。
「あいつもいい加減、俺がすべてでなくていいんだけれどな」
ククッ、と笑う火宮の声が、少しだけ切なそうに揺れた。
「俺はようやく、新たな俺のすべてを見つけたんだ」
「っ…」
それは、「蒼羽会」でもなく、「他の何か」でもなく、「俺」。
「真鍋にも、人並みの幸せを、掴んで欲しいんだがな」
きっと蒼も望んでいる。死者が語ることはないけれど。
そう聞こえる火宮の横顔が、不意に鮮やかな光に照らされた。
ヒュルルルッ、ドーーン。
部下さんたちが打ち上げてくれた花火か。
海上を明るく照らす大輪の花が、夜空を染める。
ヒュルルルッ、ドーンッ。
「会いたい、ですか?」
「ん?」
「聖さんに」
ジッと、夜空を一瞬鮮やかに彩って、儚く消えていく花火を見上げたまま、俺はポツリと呟いた。
「な、にを…翼?」
「ふふ、言うじゃないですか。お盆には、向こうとこちらの世界の扉が開くって。だから、たとえば、幽霊でも」
ふと笑ってしまう俺を、火宮がそっと抱き寄せた。
「会えるものなら」
囁くほどの小ささで、ポツリと漏らされたのは、火宮の本音だ。
「そ、うですか」
「あぁ」
夜空に咲き誇り、眩く散る色とりどりの火花が、光の残像を残して消えていく。
ドンッ、と腹に響く音を後に置き、まるでその命の終止符を堂々と潔く打つように。
「俺もね、会いたいです」
俺を1人、遺して逝ったあの人たちに。
「会って、火宮さんを自慢したいな」
くすくすと笑ってしまう声に重なって、またも大輪の花が夜空に咲く。
「ふっ、真鍋も…」
「えっ?」
「真鍋もきっと…」
火宮が囁くように呟いた声は、花火の爆音に掻き消されて、俺の耳には届かなかった。
俺たちは、それぞれの傷を抱え、そうして今を生きている。
「大好きです、火宮さん」
はらりと溢れた笑顔の意味が、あなたには伝わるだろうか。
「愛している、翼」
ふわりと緩んだ火宮の顔が、ゆっくりと近づいて、そっとその唇が、俺の唇と重なった。
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