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第544話

それからマンションに帰り、火宮の帰りを待ちながら夕食作りをして、夜。 「ただいま」の声と共にリビングに近づいてきた足音を聞きながら、俺はボリボリと食べていたスナック菓子の袋を、テーブルの上に置いた。 「んぐ。お帰りなさい」 「あぁ。…って、翼、おまえ。食事前にそんなものを」 リビングにやってきて、俺の姿を見つけた途端の、開口一番。呆れた視線と共に投げてよこされた言葉に、俺はヘラリと誤魔化し笑いを浮かべた。 「ちょっと小腹が空いて」 えへ、と小首を傾げた俺に、突き刺さるのは火宮の冷たい視線だ。 「暇で食っちゃ寝ちゃゲームしちゃで、肥えるなよ?」 「んもう、そんなに太ってませんもん」 「まぁ、抱き心地は変わっていないが」 「っ!抱き心地って…」 本当、二言目にはエロオヤジ発言なんだから。 「ククッ、まぁ日々運動に事欠かないおまえが、そうそう太るわけがないか」 「運動?」 そんなのしてたっけ? 「しているだろう?セックス」 「っ、はぁっ?!」 だからっ、この人は。 「愛し合えて痩せられて、効率的なダイエットだな」 「なに言って…」 「今日も随分と摂取カロリーが高いようだから、たっぷりと運動するか」 ベッドでな、と妖しく囁かれ、ゾクッ、じゃない、ゾクッ、じゃ。 火宮に慣らされてしまったこの身体の反応が恨めしい。 「その前に、夕食か」 今日のメニューはなんだ、と笑う火宮が、ネクタイを緩めながらキッチンへ歩いて行く。 「今日は鶏肉のトマト煮込みですよ。ヘルシーです!」 だからダイエットはいらない、と主張したつもりが、クックッと笑う火宮には、なんの効果もなかったようで。 「じっくり手間暇かけて煮込んでくれた翼に礼も込めて、今夜はたっぷり可愛がってやる」 「だーかーら!」 「ん?なんだ?このナッツやらチーズは。おまえが買ってきたのか?」 「え?あ、はい」 キッチンの調理台の上に適当に置いてあったつまみ類に気づいたのか。 「俺が時々酒と一緒に食べているものだな。なんだ。覚えていたのか」 「ふふ、はい。今日たまたま買い物に行ったデパートで見つけて」 「そうか」 「いつもはお酒だけで、あんまりつまみって食べてないですけど、時々見かけるのが、これだったなって」 「よく見ているな」 「でしょう?くすくす、浜崎さんが、火宮さんの好きなおつまみを知れて喜んでいました」 あの浮かれっぷり。生で見たら、当事者の火宮はどん引きかも。 「あぁ、こういうつまみは、酒と一緒に真鍋が仕入れてくることが多いからな。未成年の浜崎に酒の使いは出さん」 そういえば、下の人をお使いに使うのに、浜崎が火宮の好きなおつまみを知らなかったのはそれでか。 「どんなことでも、火宮さんの情報が入ると嬉しそうなんですよ、浜崎さん」 「ふぅん」 あ、興味なさそう。 「プライベートショットを送りましょうかー?って言ったら、駄目なんですって。ヤクザさんの幹部だから、画像とかはヤバイって」 本当ですか?と尋ねた俺に、火宮が苦笑してカウンターを回ってきた。 「これが蒼羽会の火宮の容姿だ、と誰彼構わず見せびらかさなければ構わないが…」 「やっぱり、あまりよくないんですか?」 「ククッ、下の方の組織や敵対組織、無関係のやつらには、組幹部の容姿は隠されているものだからな」 「そ、そうなんですか…」 「容姿が分からないだけで、かなり狙いにくくなるだろう?」 なるほど。火宮がどんな顔か知らなければ、襲撃しようもないというわけか。 「ってことは」 「あぁ。うっかり俺の顔写真が入ったスマホを落としでもして、敵の手に渡って、俺を狙うやつや殺し屋なんかに流れてみろ」 「っ!」 「まぁ想像通りさ」 じゃぁ俺が、火宮のプライベートショットをスマホに保存なんてするのは…。 「恐ろしいですね」 「ククッ、売る気になれば高値で売れるぞ」 どの筋にも、と笑う火宮の、壮絶な笑顔がなんだか怖い。 「う、売りませんよ。っていうか、火宮さんの写真なんて、ひとつもないですから…」 本当は欲しいんだけどね。 「撮るか?」 「え?」 「おまえとのツーショット。おまえになら、別に構わないぞ」 「や、で、でも…」 その俺が、うっかり携帯を落としたらどうするの? 「待ち受けにでもしておけ」 「え゛!」 それはさすがに…。 「なんだその嫌そうな声は」 「や、嫌というわけでは…ただ、その」 ひょいと覗き込めば簡単に見えてしまう画面に、恋人とのツーショットっていうのは…。 「ん?」 「イタイ…」 ボソッと思わず本音が漏れた俺に、火宮からブワッと妖しい色香が湧き立った。 「ひっ…あ」 「そうか」 ニヤリと弧を描く口元の、その笑みが凄惨だ。 「今夜は眠りたくないと」 「言ってませんっ!」 「ククッ、まずはとりあえず、鶏肉のトマト煮込みとやらを味わって、その後、おまえの待ち受けに相応しい写真の撮影会だ」 「っ、なにを…」 サディスティックに笑う火宮の目が、ろくなことを考えていませんと語っている。 警戒心たっぷりに火宮を窺った俺に、さらに壮絶な火宮の笑顔が向けられた。 「おまえがツーショットは嫌だというからな。おまえの可愛い姿を単独で、たっぷりと撮ってやる」 楽しみにしていろ、と笑う火宮の言葉は、俺には「覚悟しておけ」にしか聞こえなかった。

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