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第552話

「真鍋」 「はい」 スッとかしこまった真鍋が、流れるような動作で、火宮がいるソファセットとは別のテーブルの方へと歩いて行く。 「なに…?」 「ん?いや、コーヒー」 「なんでわかるかな…」 名前を呼んだだけなのに。それでコーヒーを淹れろと察するなんて、どんだけ以心伝心なんだ、この2人は。 ぽかんと呆れかえってしまった俺に、ふと真鍋の視線が向いた。 「あなたはカフェラテでよろしいですか?」 紅茶と緑茶のパッケージを振りながら、尋ねてくる真鍋だけど…。 「はい…」 本当に通じてた。びっくり。 完全に呆気にとられた俺は、ただただ馬鹿みたいに目を丸くした。 「ククッ、どうした」 「いえ。つくづく、お2人の絆が素晴らしいなと」 「クッ、何を感心しているんだか」 「だって」 何がどう転んでも揺るがない、完璧な関係性がそこにあるように見えるから。 「ククッ、やきもちか」 「えー?別に」 「そこではいと言えば可愛いものを」 「すみませんね、可愛くなくて」 ツーン、と思わずそっぽを向いてしまった俺に、火宮のクックッという可笑しそうな笑い声が聞こえてきた。 「俺は多少妬けているんだがな」 「へっ?」 「今日。豊峰たちと、遊びに出かけていたんだろう?」 「あ、はい」 そうか、浜崎か。 真鍋に連絡を入れるって言っていたもんな。 それは必然的に、火宮にも伝わるということで。 「楽しかったか?」 「はい。久々に、同年代のみんなで、ワイワイ弾けちゃいました」 「そうか」 よかったな、と目を細める火宮の顔に、小さな陰りが見えた。 「火宮さん?」 「なんだ」 「っ…火宮さんは、その、本家…」 今日は本家に行って、なにか面倒な話があるだろうというようなことを朝言っていた。 その予感が当たったのだろうか。 微かに疲れを滲ませる火宮の様子が分かって、俺はそっとその身体に身を寄せた。 「ククッ、本当におまえは…。実はな、今日、こんな場所に突然呼び出したのは、その話をするためだ」 「っ、はい」 スッと突然表情を引き締めた火宮に、俺の喉がゴクリと鳴った。 「どうぞ」 そっと邪魔にならない動作で、真鍋がカップを2つ、俺と火宮の前のテーブルに置いていく。 真っ黒い液体と、ミルク入りの薄茶色い液体が、目の前で波紋を描いて揺れている。 「翼」 「は、はい」 「これから少し、身の回りがゴタゴタする」 「っ、そ、うですか…」 キュッ、と緊張してしまった身体を誤魔化すように、俺はそっと、真鍋が入れてくれたカフェラテのカップに手を伸ばした。 「いただきます」 無言で真鍋が頭を下げたのがわかった。 ゴクリ、と1口飲み込んだカフェラテが、なんだかやけに苦いような気がした。 「翼」 「っ、はい」 「おまえには、極力迷惑が掛からないようにしたいとは思っている」 「っ、そんなことは…」 「だけど、今回はそうも言っていられない状況になった」 苦しそうに眉を寄せた火宮に、俺の不安はじわり、じわりと広がっていった。 「あ、の、なにか危険なことが?」 「いや。今のところは、直接そうとは言い切れない」 「そ、うですか」 「だけど、今後の展開によっては、もしかして」 「っ…」 ギクリ、と身体が強張ってしまったことは、自分でも分かっていた。 「おまえを不安がらせたいわけじゃない。だけどただ、望みもしない権力争いに、否が応でも巻き込まれることになったんだ」 はぁっ、と深いため息をつく火宮に、俺は小さく首を傾げた。 「権力争い?」 「あぁ。実は今回、七重組の執行部に、1つ、欠員がでた」 「執行部…」 「あー、執行部というのは、七重組本家に置かれている、組織の運営陣とでも言うか。役職がついた者で構成される、要は七重組の中枢だ」 スッと指を立てた火宮が、ゆっくりと俺に分かるようにと考えながら言葉を選んでくれているのが分かった。 「専務理事、若頭、理事が数名。その理事の中に事務局長という、経理や文書通達管理など、事務局を取りまとめる役職があってな」 「はい」 「その事務局長だった人が、この度重病を患って、年も年だし、引退するということになった」 「引退…」 ヤクザにも退職的なシステムが存在するのか。 「あぁ。それで、その空いた席の後任に、誰か1人を据えなきゃならない。そこには、七重組2次団体の、会長、組長の中の誰かが選ばれる」 「っ、それで…」 「そうなんだ。どうやら俺の名前も挙がったそうだ。というより、あのタヌキオヤジが、鬼頭さんの名前で俺を推薦した」 面倒なことを、と苦い顔をする火宮は、本当にそのことが鬱陶しそうで。 「この機に、念願の、俺を七重の中枢に食い込ませるという魂胆が見え見えだな。けれど、鬼頭専務理事の推薦なんて立場で俺を出してくれたお陰で、この立候補を俺の方から辞退することはできない」 あの策士、と低い声で唸る火宮が、なんとも珍しい。 「嫌でもその推薦を受けて、俺は晴れて事務局長候補。お陰で他の候補者2名と、争う羽目になった」 「そうですか…」 「その争いというのが、選挙だ」 「へ?」 「事務局長には、組長以下、さっき言った執行部の幹部たちの投票で、獲得票数の多い者が就任することになる。その票を、候補者同士で奪い合うことになるのさ」 「へぇ…」 意外と穏便な方法なのか。 「だが、やるのは極道だ」 「っ…?」 「各理事たちの後ろ盾を得るために、何を仕掛けてくるかわかったものじゃない」 か、過激なんだな…さすがはヤクザか。 「それで、少々身の回りがゴタゴタするかもしれない、という話だ」 なるほど…。 あぁ面倒くさい、とブツブツ呟いた火宮が、本当に本当に厄介そうに、ぎゅぅっと眉を寄せる姿を、俺は初めて見た。

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