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第554話
「それにしても本当に、こんな面倒くさいことを持ち掛けて…」
あのタヌキオヤジ、と天井を仰ぐ火宮に笑ってしまう。
「クスクス、それだけ、期待されているんですね」
「ふん、期待な…。厄介事の押し付けだろう?」
「そんな。あの、でも、火宮さんはどうして、その事務局長っていうのになる気がないんですか?」
七重が望んでいるみたいだし、狭霧に譲る、みたいな言い方をしているってことは、その気になれば理事になれるということじゃないんだろうか。
「ククッ、俺か?だから、俺は七重の権力になど興味はないと言わなかったか?」
「でも…」
可笑しそうに笑う火宮に、食い下がった俺の声に重なる声があった。
「もったいないお話です」
「真鍋」
スッ、と会話に割り込んできた真鍋に、ギロッとした鋭い火宮の視線が向いた。
「会長は、本来ならとっくに、七重組の中枢に席を置いてもおかしくないほどの実力者です。それを」
「真鍋、やめろ」
「っ、あなたは、本当ならもっとずっと上を目指せる。今回のように理事などではなく、専務理事の座にだって、組長代行の席にだって座れるほどの力がおありなのに…」
ギリッと口惜しそうに唇を噛み締める真鍋の、こんな感情的な姿はとても珍しかった。
「どうしてそのチャンスをふいにするようなことを…」
「言ったはずだ、真鍋」
「翼さんですか」
「っ、真鍋!」
え?俺…?
突然上がった自分の名前に、俺はキョトンと真鍋を見返した。
「ですがっ…」
「真鍋」
「もったいないお話ですっ…」
ぎゅぅっと苦しげに眉を寄せる真鍋に、火宮が疲れたように深いため息をついた。
「俺は、ただでさえ、今も翼に負担をかけている」
「え…?」
「それが、今度は七重組の中枢にまで入ってみろよ?今でさえ、俺の本命だ、恋人だということで、堅気のこいつに護衛をつけ、学校へは送り迎え、組対には目を付けられ、同業者には媚びへつらわれたり敵対視されたり、窮屈な思いをさせているだろう?」
「っ…ですが」
「俺が七重の理事になどなったら、その比じゃなくなる」
フッ、と鼻を鳴らしながら断言する火宮に、真鍋がぎゅぅっと拳を握り締めたのが見えた。
「それに、この上さらに七重の理事の仕事まですることになってみろ。確実に翼と過ごす時間が削られる」
「それは…」
「俺を翼不足で殺す気か」
ククッと悪戯っぽく目を細める火宮に、真鍋の拳がぶるりと震えて、ふっと脱力したように開かれた。
「お戯ればかりを」
「ククッ、本音だぞ?」
「ですが、それではあなたが、まるで翼さんに腑抜けに…」
「真鍋」
ハァッ、と溜息を落とした真鍋の言葉を、火宮がズシリと1段低くなった呼び声で制止した。
「それ以上は許さない」
「っ、し、つれい、致しました…」
ブワッ、とこの場の重力を操ったかとでもいうように、火宮の圧倒的な力が場にのし掛かり、真鍋に頭を下げさせる。
深々と、丁寧に腰を折った真鍋に、ふっと火宮の纏う空気が緩んだ。
「ふん。おまえが、俺の実力を買ってくれているのも、おまえにはおまえの思いがあるのも分かっている」
「はい…」
「だが、それと、翼をけなしていいこととは違う。翼は、俺が選んだ、唯一最愛の恋人だ。たとえ右腕のお前でも、翼を軽んじることは許さない」
「っ、私は決して…」
「分かっている。分かっているが、許せ、真鍋」
ふわりと目元を緩めた火宮に、真鍋の頭がさらに深く下げられた。
「もったいない、お言葉です…」
ぎゅぅっ、と震えて絞り出された真鍋の言葉は、どんな思いが隠されているのか。
俺には、俺のせいで火宮が出世に興味を失くし、俺の存在が出世の妨げになっているのだ、という真鍋の責めるような思いが、ピリピリと伝わってきているような気がした。
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