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第559話
「んっ、ふぁぁっ」
うーんと大きな伸びをして、ゆっくりと目覚めた俺は、ふと間近に人の気配を感じて、ビクッと身を竦めた。
「ククッ、起きたか。おはよう」
「あ、火宮さん。おはようございます」
シュルッとネクタイを器用に首に巻き付けながら、ピシッと決めたダークスーツ姿で、火宮がベッド脇に立っていた。
ニヤリと弧を描く目がなんとも愉しそうに俺の全身を眺め…。
「って、裸っ!」
火宮の視線を追って、自分の身体を見下ろした俺は、慌ててシーツを手繰り寄せた。
「ん…?あれ?」
ガバッと裸体を隠してから、ふと気が付いた。
いつの間にか両手の枷は外されていて、昨晩散々汚したはずのシーツは真っさらだ。
しかもやけにさっぱりとしているこの身体は…。
「も、もしかして後始末…してくれました?」
そろりとシーツから目を覗かせて火宮を窺えば、ニヤリと妖しい笑みが返された。
「満足そうにしながら飛んだからな」
「う…すみません」
「風呂にも入れておいたから、シャワーは浴びなくても大丈夫だぞ」
「ありがとうございます」
ククッと笑っている火宮は、別に迷惑そうでもなんでもないけれど、なんだかちょっと申し訳ない。
「ふっ、俺がしたくてやっているんだ。気にするな」
ぽんっ、と頭に乗せられる手が優しくて、ほわんと頬っぺたが緩んでしまった。
「クッ、朝からそんなに可愛い顔をしてみせて」
「は?え?」
「襲うぞ」
「はぁっ?」
ちょっ、言ってる側からすでにクイッと顎は捕らえられているし、間近に迫る美貌はキスの予感だ。
「んっ…ふっぁ…」
舌、舌、舌ーっ!
朝っぱらから濃厚なキスを仕掛けられて、俺はたまらずクタンと脱力してしまった。
「ククッ、行ってくる」
「っな…」
これ、いってらっしゃいのキスのレベルじゃない…。
余裕の顔で、ニヤリと満足そうに微笑む火宮を、思わず睨みつけてしまう。
「ククッ、そう誘われてもな。残念ながら、仕事に行く時間だ」
「はぁっ?誘ってないですっ!」
「クッ、そうか?」
「そうですよー」
まったく。どこをどう見たらそういう解釈になるんだか。
んべー、と舌を出して応戦してやれば、クックッと可笑しそうに喉を鳴らした火宮の目が眇められた。
「っ…」
「クッ、まぁいい。今日は真鍋は連れていくから、おまえは池田を使え」
「ふぁっ、はひ…」
「じゃぁな」
「はい。行ってらっしゃい。お気をつけて」
シーツにすっぽりとくるまったまま、仕事に出かけていく火宮を見送る。
パタンと閉まった寝室のドアをぼんやりと眺めてから、ふと室内に視線を戻した俺は。
「また新品の衣服一式…」
ベッド脇に「着ろ」と言わんばかりに置かれた、下着からズボンから洋服までの、真新しいブランド服を見て、はぁぁっと深いため息が漏れた。
「その散財癖。本当、治らないんですね…」
まぁありがたく着させてもらうけれど。
スルッと滑り落としたシーツの中か抜け出して、俺は、文句を言いながらも、サイズぴったりの洋服を身に着けた。
「ふぁっ、あ、おはようございます」
「おはようございます、翼さん」
リビングに出た途端、ピシッとブラックスーツを身にまとった池田が、深々と頭を下げてくる。
のんびりと寝室から出てきた俺は、真っ先にワゴンに乗せられた美味しそうな朝食のセットと、それをテーブルに準備しようとしていた池田の姿を見つけた。
「火宮さんが?」
「はい。もうすぐ翼さんが起きていらっしゃるからと」
「そうですか」
なるほど、抜かりない。
「すぐに整えますね」
「あ、はい。俺、先に顔とか洗ってくるので、ゆっくりでいいです」
すみません、とお礼を言いながら、リビングを通り抜け、洗面所へ向かう。
「っ!ちょ、いつの間に…」
ぼーっと洗面台の鏡に映った自分の姿を眺めた俺は、ふと、覚えのない場所に火宮の所有印を見つけて、ピクリと頬を引き攣らせた。
「バカ火宮ぁ」
きゅっと首元のそれを指で押さえて唸ってしまう。
この服ではどうやっても隠れない場所に1つ、こんなに目立つ痕をつけて。
「くっそぉ…」
どうせ確信犯。
俺がこうして困る様を想像して、さぞ楽しんだのだろうな、と思うから本当にあの人はたちが悪い。
「池田さんっ」
「はい、どうしました?」
ひょこっと洗面所からリビングに顔を出した俺を、テーブルを整え終えていた池田が振り返った。
「あの、絆創膏って用意できます?」
「どこかお怪我をっ?」
はっ、と慌てたように目を瞠る池田に、俺の方が慌てて手を振った。
「ち、違います。違いますけど、ちょっと…」
手で首筋を押さえてこの台詞じゃ、多分隠したところで無駄だろうな。
「あ、あー…」
俺の様子に気づいた池田が、ふらりと視線を彷徨わせて、苦笑を浮かべた。
「ただいまご用意いたします」
「うう、お願いします…」
あぁ恥ずかしい。もう本当、バカ火宮。
「翼さんっ?」
「え?あ、俺、口に…?」
「ッッ、き、聞かなかったことにします」
ザッと青褪め、今度は挙動不審になる池田に、なんか和む。
「ありがとうございます。これが真鍋さんだったら、速攻チクられているところでした」
あはは、と笑う俺に、池田の苦笑が深くなる。
「そ、それでは俺は絆創膏をご用意いたしますので。翼さんはご朝食をどうぞ」
スッと丁寧に朝食の準備が整ったテーブルを示されて、俺はお礼を言いながらその席についた。
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