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第561話
そうして街へ出てきた俺は、目当ての調味料屋に向かって歩道を歩いていた。
平日の午前中。営業回りらしいスーツ姿のビジネスマンや、お使いに出たのだろうOLさん。遊びに来ているらしい若者の集団や、のんびりと散歩がてらのお買い物らしい老夫婦など、様々な年齢層の、道行く人たちとすれ違う。
のどかで平和な雑踏の中を、同じくのんびりと進んでいた俺は、ふと視線の先に、目指していた調味料専門店を見つけた。
「あー、あった、あった。あそこだ」
タタッと店の前に駆け寄った俺は、スゥッと開いていく自動ドアを、躊躇わずにくぐっていく。
「うわぁ、すごい…」
壁から陳列棚から、店内の各場所に、これでもかというほど、多種な調味料が並べられていた。
色とりどりの調味料が並んだ光景は、目にも楽しい。
「ねぇ、浜崎さ…」
パッと後を振り返って、ついいつもの癖で、護衛の浜崎を呼ぼうとしてしまった俺は、そこに静かに池田が佇んでいるのを見て、ハッと言葉を途切れさせた。
「あ、ごめんなさい。今日は池田さんでしたね」
「いえ。お気になさらず」
ふわりと微笑む池田は、気分を害した様子はなさそうだけど。
「すみません。浜崎さんは料理をするから、こんな珍しい調味料がいっぱい、一緒にはしゃげるかと思ってつい…」
「そうですか」
「はい。あのっ、池田さんはお料理は…あー、しませんよね?」
うん、聞いてから気が付いた。
この人にも料理なんて姿、ちょっと似合わない。
「申し訳ありません」
「っ、いえ。そういうわけじゃないんです。あっ、あの、奥の方も見てきていいですか?」
「俺に構わず、お好きにどうぞ」
勝手についていきます、っていうところは、浜崎と一緒だ。
俺は、その言葉に甘えて、ふらふらと、店内を好き勝手に眺め歩いた。
「よし、これとこれ」
一通り、店内を物色して歩き、ちょっと試してみようと思う2つの商品を買うことにした。
「こちらですね」
「えっ…?」
商品を手にもってレジへと向かおうとした俺は、不意に横からサッと池田にそれを奪われてぎょっとした。
「池田さん?」
「お支払いしてまいります」
「え?え?俺、自分で買ってきますよ?」
だってこれは俺の趣味みたいなものだし、お小遣いから出そうと思ったんだけど。
「俺たち護衛がついているときは、翼さんにレジにお立たせするようなことはありません。まさか浜崎は?」
「え?あ、まぁ、浜崎さんも、俺が1人で買い物のときは、サッとレジを変わっちゃいますけど…」
そうなのだ。いつもいつもいつも、俺はただ商品を選ぶだけで、いつの間にかかごは浜崎にもたれているし、支払いも浜崎がさっさとしてしまう。
「でしたらよろしいのですが。翼さん、あなたは欲しい商品がありましたら、これ、それ、と指さすだけで構わないんですよ?」
「へ?」
「付き人…普段ならば浜崎が、本日は俺が、その商品を取り、支払いまで済ませますので」
いや、それ、どこのセレブよ?
「俺にはそんな真似…」
「いつまでもご謙虚なのもよろしいのですが、そろそろお慣れになられても…」
あなたは会長の半身、唯一絶対のパートナーなのですよ?と苦笑する池田の声が聞こえてくるような気がした。
「っ…」
俺は、その覚悟は決まっているけれど、俺自身の価値観やそれまで持っていた感覚は、そうそう変えることができない。
「あなたたちみんなが、譲ってくれているのに…」
不意に、薬指の指輪が、ジンと熱くなったような気がした。
結局、支払いを済ませてくれた池田が、そのまま買ったものも持ってくれている。
大して重くはないものだけれど、荷物持ちには違いなくて、やっぱり申し訳ないと思ってしまう気持ちはどうしようもなかった。
それでもふらりと街に戻り、プラプラと歩道をどこへともなく歩き始めた俺は、ふと目の先に、甘そうな匂いを漂わせるクレープ屋さんを見つけて足を止めた。
「あ…」
「どうしました?お食べになりますか?」
「寄ってみてもいいですか?」
移動式店舗というのか。キッチンカーのお店に、俺はテクテクと近づいていった。
「美味しそう…」
思ったよりも色々な種類が、メニューに載っているのが見える。
じわ、と唾液が出てくるのを感じながら、何人かがメニューを選んでいる側に寄っていった俺は、ふと、その俺とほぼ同時に、スッと隣に並んで、メニューを見上げ始めたんだろう人の気配を感じて視線をそちらに向けた。
「あ…」
『え…?おや、またお会いしましたか。こんにちは』
ふわり、と柔らかく微笑むその人は、見覚えのある人物で。
『嘘。また…。アキさん…』
自然と零れた英語は、呆然とした響きを持っていた。
こんな偶然、あるのか。
ここ数日のあまりに高い遭遇率に、驚きしか浮かばない。
『ふふ、これはこれは、運命ですかね?』
悪戯っぽく目を細めて笑うアキに、俺も思わず笑ってしまった。
『本当に。会いすぎですよね』
よほど行動を決める思考回路が同じなのか。
だだ被りの行動範囲に、驚きを超えた笑いが込み上げてくる。
「翼さん。こちらは…?」
不意に、池田がスッと俺の横に来て、こそっと尋ねてきた声が、なんだかピリッとした緊張感を孕んでいるような気がした。
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