563 / 719

第563話

そんな池田の様子にはまったく気づかず、俺はアキと並んで、クレープ片手に、ちょっとした街中広場になっている場所の、木陰のベンチに座っていた。 「ん、いい匂い」 ふわりと漂う甘いクリームの匂いにうっとりとしてしまう。 『あ、アキさん、どうします?かぶりついたら…さすがに嫌ですよね?』 手で2つに分けるとしても、なんだかぐちゃぐちゃにしてしまいそうな気がする。 『私は構いませんけどね』 ふわりと微笑むアキを見て、なら…と答えようとした俺に、「つっばさ、さんっ?」と、思い切り動揺した、ぎこちない呼び声が聞こえてきた。 「え?あ、池田さん?」 ピクピクと頬を引き攣らせて、ザッと青褪めたその顔、どうしたんだろう。 「いやいやいやいや。え?じゃなくて…翼さん」 「はい?」 「ですから、お願いですから、駄目です、止めて下さい」 「はぁ…」 何をそんなに必死になって…。 アキが不思議そうにこちらを見ている。 「ですからっ、会長以外の方と、その、間接キスに当たるような行為をですね…」 「え?間接キス?」 「そうです。互いに口をつけたものを、互いに食べ合うなど…。俺にどう報告しろとおっしゃいますか。今ここで全力でお止めしませんと、俺が殺されます」 お願いですから、と頭を下げる池田に、俺はキョトンと、クレープとアキの顔を交互に見てしまう。 「ただでさえ今すでに、どこぞのよく知らない男と、並んで仲良くクレープを食べましたなどと、非常に報告に困る状況に陥っていますのに…」 「あー?」 「これ以上は本当に。俺の五体を守ってくださると思って、どうか」 ひぃっ、と悲鳴が零れそうな様相で、ガバッと深く頭を下げられれば、俺にそれを無視することはできなかった。 『翼?』 『あ、アキさん、すみません。えぇっと、ちょっとかぶりつき合うのはマズいってことで…手で分けますね』 へらりと笑った俺に、アキがキョトンとしながらもコクリと頷く。 『すみません、厄介なことを提案してしまって』 『いいえ、私は構いませんが。はいどうぞ』 『あ、上手。俺のも、はい。ちょっと潰れてますけど』 あはは、と笑いながら、綺麗に分けられたアキのキャラメルバナナと、多少不格好になったイチゴのクレープを半分ずつ交換する。 『ふふ、それにしても翼。実はどこぞのいいところのお坊ちゃまだったりします?』 『え?俺が?そんな風に見えますか?』 言いながら、首を傾げて気が付いた。 「そっか、池田さん…」 俺みたいな、どこからどう見ても未成年の子供に、傅き、付き従っているブラックスーツの男。 丁寧に頭を下げ、敬語…は日本語がわからないにしても、丁寧口調なのはきっと伝わっている。 しかもさっきは支払いまでサッとこなしたわけだし。 『翼?』 『あ、いえ。俺は、そんなんじゃないですよ』 ふふ、と笑ってしまう俺に、アキが心配そうにそっと首を傾げた。 『触れてはいけませんでしたかね』 すみません、と微笑むアキに、俺はハッとして首を振った。 『違います。アキさんは何も。俺が…俺がただ』 キュッと力の入ってしまった手の中で、クレープがぐにゃりと少し潰れた感触がした。 『翼?』 そっと気遣うように寄り添うアキの声だった。 思わずふらりと、心が緩む。 『っ、俺、は…』 ぽつりと落としてしまった声に、アキの全身が、「聞きますよ?」と言ってくれているような気がした。

ともだちにシェアしよう!