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第579話
「っ、火宮さん?」
きゅっと握られた左手に、疑問を込めて火宮を見上げたところに、ふと微かなノックの音が割って入った。
「失礼します、会長」
ガチャッとドアを開けて、遠慮なく入ってきたのは、言わずと知れた真鍋で。
「よろしいでしょうか?」
チラリ、と俺に向けられる視線が、使用済みのお湯とタオルに向かい、さらに火宮の柄を変えたネクタイへと移った後、再び俺に戻って来た。
「っ…」
まるで、先ほどまでの情事を余すところなく見透かすようなその視線に、俺は居たたまれなさのあまり俯いてしまう。
「ククッ、そう苛めてくれるな。俺も共犯だ」
「むしろ会長が主犯でしょう?」
まったく、ここをどこだと…とブツブツぼやいている真鍋は、さっき俺を見捨ててこの部屋を出て行ったような気がするけれど。
「こうなる結果がたやすく予想できていたお前も共犯だろう」
ククッと愉しげに喉を鳴らす火宮に、真鍋が黙ったまま、なんとも鮮やかな笑顔を浮かべた。
「ふっ、まったくおまえもたいがい…。それで?用件は」
スッと俺の手を離し、火宮が真鍋に向き直る。
「はい、先ほどの件ですが…」
スッと無表情になった真鍋もまた、真っ直ぐに火宮を見返した。
「もう調べがついたのか?」
多少驚いたように目を瞠った火宮に、真鍋の首が軽く横に振られる。
「いえ、翼さんに接触なさった中国人の方は、断言できるほどの情報はまだ」
「そうか。だが、すでにあたりはついているんだろう?」
おまえのことだ、と笑う火宮に、真鍋が無表情のまま頷いた。
「はい、一番可能性が高い人物が上がったところですが」
「それでいい、聞かせろ」
くいっと顎をしゃくった火宮が、真鍋を執務机の方に導く。
それに無言で従った真鍋が遠ざかっていくのを、俺はソファに座ったまま見送った。
「それで?」
「はい、名前は、連明貴 。中国黒幇 、六合会 の首領である男です」
「六合の首領…。なるほど、アキ、な」
クッ、と面白そうに喉を鳴らした火宮の言葉が聞こえ、俺はヒュッと自分の喉が鳴るのを感じた。
「はい。ただ、池田と浜崎の証言による容姿が、どうも…」
「黒幇の中でも、最大の組織である六合会、その首領の男は、黒髪のオッドアイ」
「えぇ、噂では、そう囁かれていますが…」
「黒髪黒目だった?」
ふっ、と小さく鼻息を吐いた火宮が、チラリと俺に視線を向けてきた。
「っ?」
「翼も見ているな?ミングゥェイ…アキの瞳の色は?」
「え?あ、はい、黒、でした」
それこそ、なんの特徴もない、口を開かなければ日本人かと思うほどの、ごく普通の綺麗な男だった。
「ならばカラーコンタクトで隠していたか…」
「もしくは噂が間違っているのか」
「レンではないか」
ポンポンと交わされる火宮と真鍋の会話だけれど、2人はその答えをすでに分かって話しているような感じがした。
「ですから、可能性が1番高い、と」
「なるほどな。まぁ黒幇の頂点に立つ男の容姿など、当然のように公表などされていないし、写真はおろか、直に会ったという人間の話すら聞いたことがない」
「そうですね。必ず影武者か代理の者、もしも直接会った人間がいたとしても、レンの容姿を知ったというだけで、きっとことごとく消される」
シラッと交わされる2人の話は、内容が相変わらずとんでもない。
「ならば可能性がもう1つあるんじゃないか?」
「レンの側近と名高い、劉永華 ですか?黒髪黒目、中国語と英語を流暢に操るという」
「あぁ。七重 との窓口になっているのも、その男だろう?」
コツン、と火宮が指先で執務机を叩いた音が、なんだか俺には苛立ちに聞こえて、ハッと顔をそちらに向けた。
「っ…?」
けれども火宮の表情は、どこまでも余裕そうに、唇の端を吊り上げた楽し気なもので。
それならば真鍋は、と思って見ても、こちらは相変わらずの無表情で感情が一切読めない。
「そうです。ですので、七重 と連絡を取らせていただきたいのが、1つ」
「そうだな。池田が接触しているんだ。リュウ本人かどうかは容易に結論付くだろう」
「はい。そして、もしもアキがリュウではなく、さらにレン・ミングゥェイだった場合…」
ピリ、と張り詰めた2人の空気が、会長室内を一瞬にして緊張状態にした。
「翼に接触してきた、目的は」
「……」
火宮の固い声に、真鍋がグッと押し黙った。
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