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第582話
「会長」と電話の向こうに呼び掛けた真鍋の声は、まったく感情の窺えない平坦なものだった。
けれど言葉を形作るその口元に浮かんでいるのは、ゾッとするような冷気を孕んだ冷たい笑いだ。
見ているだけの俺ですら、ぞくりと寒くなる。
「えぇ、これ以上、好きにはさせません」
にこりと弧を描くその目元すら、まったく笑顔に見えないのはなんなのか。
瞳の奥に揺れる冷ややかな青い炎が、表面を作る表情を完全に否定する。
「はい、ご許可を。手筈は、全て私に」
ククッ、という独特の笑い声と、「任せた」と重々しく響く火宮の声が、真鍋の耳に当てたスマホから漏れ聞こえてきた。
その時に真鍋の顔に浮かんだ表情は、どう形容したらいいものか。
この人が、裏ボスだとまことしやかに囁かれる意味がよくわかる。
冷酷で冷徹。そしてぞっとするほど美しく、この世のものとは思えないほどの艶やかな笑み。
喜びから漏れたものでもなければ、楽しみで浮かんだものでもない。
ただただ鮮やかに微笑む真鍋のそれを、表す言葉を俺は知らない。
「っ…」
身震いするような畏怖に包まれて、思わず両腕で自分の身体を抱き締めた俺は、ぼんやりとそんな真鍋を見つめた。
「それでは失礼いたします」
ふつりと、真鍋と火宮の通話が終わる。
それと同時に、圧倒されるような真鍋の笑みは掻き消えて、いつもの無表情がその顔に戻った。
「っ…」
「翼さん?」
ふと、こちらを振り向いた真鍋が、呼吸もままならない俺に不思議そうに首を傾げた。
「い、え…」
なんとか吐き出せるようになった息で小さく答えれば、真鍋はなおも不思議そうにしながらも、再び手の中のスマホに視線を落とした。
っ、無意識なの?この人…。
怖、と思うのと同時に、この人が味方側でよかったとも思う。
あの冷笑を超えた冷笑を向けられる側になるなど、考えただけで息が止まる。
「はぁぁぁ」
これが、蒼羽会幹部、ヤクザの中のヤクザだということか。
視線だけで人を射殺せそうな真鍋の目が、再び鋭く光り、今度は「池田」と呼ぶ声が、スマホの向こうに放たれた。
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