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第593話
パンッ!と乾いた肌を打つ音が、ジンとした痺れとともに広がった。
「あぁっ!」
手加減はされている。それなりに気遣いも。
それがわかる平手打ちだったけれど、痛くないかと言われれば、それは痛くて。
ヒクンッと仰け反った身体から、悲鳴は勝手に口を突いて出た。
「やだぁっ…」
ひゅん、とまた1つ、真鍋の手が振り上がる空気の揺らぎを感じる。
ぎゅっと固く閉じた目と、衝撃に備える身体が強張った。
「あぁっ!」
力を入れてしまったから、余計な痛みを受け取る羽目になる。
ジリッと熱を感じたお尻に、じんわりと広がる痛みが辛かった。
「それで?」
「はい、昨夜…といいますか、すでに今朝方近くになりますが、うちの構成員が同時に3か所で3名、後から鉄パイプのようなもので殴られ、襲われました」
「あぁ。電話で聞いた通りだな」
「はい。怪我自体は致命傷ではないように加減はされていましたが、全治数週間かかるくらいにはボコボコにされており…」
パンッ!
淡々と会話を交わしながら、真鍋の手は的確に俺のお尻に振り下ろされる。
「ひっ…」
あぁ、もう、痛い…。
散り散りになる思考が、けれども必死に2人の話を拾い上げようと、ぶたれる痛みを押しのける。
「自力で事務所に這ってきた1名を保護しております。他2名は身動きもままならず、連絡を受けて回収した者が、そのまま医者 のところに運びました」
「なるほど。それで、話は」
「聞き取ることはできましたが、なにぶん背後からの襲撃、犯人の顔は誰1人見ていないそうです。当然ながら目撃者もいません」
ふむ、と呻く火宮の声に重なって、パンッとまた1つ、お尻に痛みが走る。
「っあぁ」
それでも必死で話に耳を傾けながら、俺はジンジンと熱を持ち始めたお尻の痛みから、全力で意識を逸らした。
「3人の共通点は」
「うちの構成員という以外は何も」
「恨みを買っているような話は?」
「出ていません」
パシッとまたもお尻が張られる。
けれどもどうにか聞きかじる話が、ようやく脳内で繋がっていった。
「理、事、選絡み…」
ぽつりと悲鳴の間に呟いた声を、火宮と真鍋が不意に拾い上げた。
「聞けていたか」
「さすがは会長のパートナーであられるお方ですか」
ククッと面白そうに笑う火宮と、皮肉にしか聞こえない真鍋の声だった。
「馬鹿にして…」
そりゃ、確かに聞かせるつもりのなかった火宮に反抗して、盗み聞きしようとしたのは悪かったと思うけどさ。
こんな意地悪、本当にたちが悪いんだから。
「それで?」
ククッと笑い声を上げる火宮が、クイッと顎をしゃくって、俺を下ろしてくれるように、真鍋を促したらしかった。
「はぅ…」
スルリと拘束具が解かれ、ズルズルと重力に従った身体が台から落ちていく。
ペタンと床に座り込んだ身体を、ひょいと真鍋に抱き上げられた。
「わっ…」
「大人しくなさってください」
落としますよ、と冷ややかに微笑む真鍋に、ギクリと動きを止めてしまう。
満足げに目を細めた真鍋が、そのままソファへと俺の身体を運んでくれた。
「真鍋?」
「あぁ、はい。その、犯人の目星なのですが、沖嶋組が直接手出ししてきたとは考えにくいでしょう」
「だろうな」
くるりとうつ伏せに返された身体の、お尻をするりと撫でられる。
「ひゃっ?」
ビクッと身を竦ませて後ろを振り返れば、パシッと火宮から何かを受け取った真鍋が、その蓋を回して開けていた。
「な、に?」
ぬるりとそれを掬った真鍋の手が、そっとお尻に触れる。
ぶたれて熱くなったお尻に、冷やりとした心地よい冷たさが走った。
「スパンキングケア用のクリームですね。そのまま大人しくなさっていてください」
ぬりぬりと、お尻に広げられていくそのクリームとやらが、ヒンヤリと冷たく心地いい。
あぁそうか。ここってそういう部屋だっけ…。
うっかり忘れがちなこの室内の様相を思い出せば、そんなものの用意があるのも頷ける。
「ククッ、すっかり警戒心を解いて…」
今の今までぶっていたのもその男だぞ?と笑う火宮は、完璧に出掛ける支度を整えていた。
「で?」
「はい、沖嶋組と同盟を組んでいる西からの組織が上がってきているという噂もありますし」
「そいつらの仕業という線が濃厚か。狭霧がこんな低俗な手段を取って来るはずもないしな」
「そうですね。調査はすぐに開始していますが、沖嶋に潜らせた者からの報告は特に上がっていません」
ひやり、と優しく塗り広げられる薬に、だんだんと瞼が重くなってくる。
「黒幕の素性と目的を続けて探れ。と言ってもどうせ、理事選から身を引けと言う警告だろうな。致命傷を与えていないのは、これ以上被害を出したくなければ、という脅しのつもりか」
「でしょうね」
「はぁっ、まったく。理事にもなっていない時点ですでにこれだ」
「会長のお力を、脅威と捉えるものは多いですから」
「あぁ。それが本部の理事になどなってみろ。いらん逆恨みや足の引っ張り合い、無駄な襲撃や嫌がらせに、ますます事を欠かなくなるんだぞ」
それを分かっているか?と、火宮が意地悪く目を細めて見せる。
「それでも私は」
ついていく。それを望む。
真鍋の言外の言葉は、音にされなくても俺には分かった。
「俺も…」
あなたはそれでも負けないでしょう?
あなただからその地位に堂々と立って見せられる。
持て得る力を存分に発揮して輝くあなたが見たいから。
へにゃりと真鍋の言葉に便乗した俺の声は、そのままうっとりと閉じていく瞼の向こうに、静かに消えていった。
「あ、れっ?」
ふと、ハッと覚めた意識が、ガバリと身を起こさせて、キョロキョロと首を巡らせた視界の中に、火宮の姿はもうどこにもなかった。
「お目覚めですか」
「あ、真鍋さん…」
「一瞬でお眠りになられてしまって…。会長なら、とっくに事務所へ向かわれました」
あ。俺、あのまま寝ちゃっていたのか。
「本日はどういたしますか?1日あなたにお付き合いできるよう、スケジュールは調節してあります」
シラッと告げてくる真鍋は、この悪趣味な部屋で、よく冷静に仕事ができるのもだ。
仕事の書類を広げて、カタカタとパソコンを弄っている姿に、感嘆を通り越して呆れてくる。
「う、あっと…とりあえず、シャワーを浴びてきます…」
身体は多分、火宮が夜、綺麗に拭いてくれてはあるものの、やっぱりシャワーできちんと洗い流したい。
「わかりました。ごゆっくり」
今日の予定はその後考えればいい。
俺は、シラッと書類に再び目を落とす真鍋に見送られ、今度こそ本当に、シャワーを浴びるべく、浴室に飛び込んだ。
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