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第594話

それから、さっぱりとシャワーを浴びて、用意されていた新品の服に着替えた俺は、とにかくこの悪趣味な部屋を早くチェックアウトしたいと、仕事を中断してくれた真鍋と共に、エレベーターへ向かっていた。 廊下に出た瞬間、真鍋の他にも2人の護衛という蒼羽会の人がいて、俺は今が異常事態の真っただ中にあるんだってことを痛感した。 「ねぇ、真鍋さん」 「なんですか?」 シーンとしたエレベーター内がなんか気まずくて、チラリと隣を見上げた俺に、真鍋の相変わらずな無表情が向いた。 「あの…俺、事務所に行きます」 ぐっと腹に力を入れて、にこりと顔を上げて言った俺を、真鍋が薄く目を眇めて見下ろしてきた。 「どちらでも…どちらへでも、お好きなところへお行きになられて構わないのですよ?」 「はい」 「会長は、蒼羽会(こちら)の事情に煩わされずに、好きにお過ごしになられていいと…」 「はい。だから」 『普通』の『日常』。それを保障してくれようとする火宮の気持ちも、だからこそ本当は他にもいくらでも仕事のある真鍋を俺に付けてくれた、その考えも、俺はちゃんと分かっている。 「愛されている。この上もないくらい、大事に、ね」 「翼さん?」 「だけど、本当、火宮さんは、舐めすぎだって言うんですよね」 にこっと真鍋を見上げて笑顔を深めた俺に、真鍋の目がぴくりと小さく震えたのが見えた。 「俺の覚悟は、その程度じゃないって、何度言ったら分かるんでしょうね?」 「翼さん…」 「俺は、蒼羽会会長、火宮刃のパートナー。この非常時に、1人のんきにフラフラと外出して遊びまわることが、俺のするべき行動だなんて思わない。火宮さんの片腕で、蒼羽会にとってなくてはならない人であるあなたを占領し、連れまわすことが正しいことだなんて、思うわけがないじゃないですか」 ねぇ?と首を傾げる俺に、真鍋は曖昧に小さく微笑んだ。 「だから、俺が行きたい場所は、蒼羽会の事務所です。俺が今日一日したいことは…幹部室を貸していただき、1人で静かにそこで過ごすことです」 にっ、と口角を上げて言い放った俺を、真鍋はくしゃりと無表情を複雑に崩した顔で見下ろした。 「駄目ですか?」 にこりと笑った俺は、否定の言葉が返ることなど万に一つも想定していない。 案の定、真鍋は複雑な表情のまま、ふわりとその瞳に、驚くほどに優しい色を宿した。 「はぁっ、まったく、あなたは…」 「はい?」 「あなたは、会長より、よほど大人です」 感情に彩られた真鍋の声色に、ピシリと固まる護衛2人の空気が、なんか笑える。 「ふふ、見直してくれました?」 「えぇ本当に。このあなたをお選びになられたご自身の目を、あの方はもう少し信じるべきです」 ぽん、と頭に乗せられる、真鍋の手が驚くほどの温かさを持って、くしゃりと髪をかき混ぜていく。 「そうですね。俺が火宮さんに愛されていると思うのと同等かそれ以上、俺も火宮さんを愛しているんだってことを知るべきです」 相手を大切に想う気持ちは、俺だって同じなんだから。 「俺は、自分の身を確実に守れるなんて断言できるほど、力もなければ、武術や喧嘩の能力が優れているわけでもない」 「翼さん?」 「だからといって、真鍋さんみたいに参謀として、現状、火宮さんの力になれる頭脳や権力を持っているわけでもない」 「っ、翼さん」 「だけど俺は、火宮さんのためを思って、火宮さんのためを考えて行動することは、きっと誰より得意です」 「翼さん…っ」 「だって俺は、世界中の誰よりも、火宮さんを愛していて、世界中の誰よりも、火宮さんに愛されている」 「っ…」 「俺は、蒼羽会会長、火宮刃の、隣に立ち並ぶ男です」 にっ、と口角を上げ、清々と微笑んでやったら、真鍋が鋭く息を飲んだ音が聞こえた。 『あなたでよかった…』 ぽつりと呟かれた真鍋の声が、ふわりと小さく耳に触れ、じわり、と熱くなった胸の奥が歓喜に震える。 痺れるように湧きあがった感情と、込み上げる喜びに、今にも舞い上がってしまいそうだ。 何よりの誉め言葉…。 ツン、と鼻の奥が微かに痛んで、あ、泣く、と思った心とは裏腹に、ぶわりと俺から溢れたのは、この上もない緩んだ笑顔だった。 「では事務所へ」 「はい」 スッとエレベーターが1階に到着し、丁寧なエスコートとともに、ロビーへと導かれる。 ふわりと真鍋のその手を取ったとき、ふと突然、目の前の視界を遮るように、するりと動いた影があった。

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