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第595話
「っ…」
ピリッと途端に緊張した真鍋の空気と、素早く身を盾にした護衛さんたちの背中が見えた。
カツン、と音を立てて足を1歩進めてきたのは、この緊迫した空気にも怯まない、スーツ姿の男の人の革靴で。
「真鍋さん…」
ドキリ、と高まった恐怖心に、咄嗟に真鍋の袖口を掴んでしまった俺の手を、真鍋が宥めるようにひと撫でしてくれた。
「これは、蒼羽会の真鍋幹部と、蒼羽会会長のパートナーであられる翼さん」
にこり、と、敵対心とは程遠い、柔らかな声がスーツ姿の男から投げかけられた。
「っ?」
途端にピクリと器用に片眉だけを持ち上げた真鍋と、微かに動揺した護衛さんたちの気配を感じる。
真鍋にしがみついたままの俺はというと、そのどこか聞き覚えのある声に、ひょっこりと護衛さんたちの後ろから顔を出していた。
「あ…」
「どうも、お久しぶりです」
ふらりと軽く手を上げて、にこりと微笑んで小首を傾げた男の人は、随分と前に1度だけ目にしたことがある。
「確か、実園、さん…?」
記憶を辿って名前を引っ張り出した俺が、ふらりと真鍋の袖口を離したところで、真鍋が護衛の2人を静かに下がらせた。
「これは、狭霧組の若頭、実園さんではありませんか」
ふっ、とその肩書きから名前を呼んだ真鍋が、冷たい笑いを頬に乗せる。
「どうも。ご無沙汰しています」
「いえ」
こちらこそ、と軽く頭を下げる真鍋が、油断なく実園を観察しているのが窺える。
「ふふ、そんなに警戒しないでください」
「ふ、このような場所で、明らかに待ち伏せていた様子のあなたに、警戒するななどというのは無理な相談です」
何を企んでいる、と言わんばかりの不信感も露わな真鍋の冷笑が実園に向いた。
「ま、確かに今日ここに火宮会長が宿泊しているという情報を仕入れてやってきたわけですけどね」
「っ…」
「もしかしてもう、火宮会長はとっくに出て行っちゃっています?」
「お教えする義理はございません」
ツン、とそっけない真鍋にも、実園はめげなかった。
「ま、とりあえず張っていたら、あなたと翼さんが出てきたのを見つけたのは幸運でしたか」
「っ、なんの用件で…」
張っていた、と、自身の悪行を隠しもせずに告げた実園に、真鍋の目が鋭く光った。
「なんのと言われれば、まぁ偵察ですよね」
ひょいっと肩を竦めて、悪びれずに言い放つ実園に、真鍋の目が薄く眇められた。
「あ、信じてないです?」
「わざわざ極秘で宿泊しているこちらを突き止めていらっしゃる時点で、なんらかの工作の意図を感じますが…」
「何が起こったわけでもないですよね?別に攻撃する意志はありませんよ。ありません、が…」
にぃっ、と人が悪そうに、目を弧の形に歪ませた実園が、悪戯っぽく真鍋を見据えた。
「どうにも本気ではなさそうな火宮会長の意図を確かめ、戦線布告がてら、挑発を、なんて、ね」
クスクスッ、と悪さを暴露するこどものような無邪気さで告げた実園に、真鍋の眉が微かだが寄せられた。
「戦線布告、ですか?」
「ふふ、もちろんです。火宮会長がなにやら、理事選に乗り気ではなく、あろうことか狭霧 のオヤジにその座を勝ち取らせようと暗躍している動きが、読めないとでもお思いですか?」
「……」
「もちろん、うちのオヤジは理事選に勝ちたいと思っています。ですが、それは火宮会長の思惑通りに、譲られて勝ち取りたいものではありません」
お分かりですよね?と微笑む実園に、無言の真鍋は、それが答えなんだって俺には分かった。
「うちのオヤジが欲しいのは、正々堂々と正面切って戦って、実力で認めさせた地位です。だから…」
「うちの会長に、全力を出せと」
「そう言って聞いて下さるのなら、ぜひに」
にこりと笑ってウインクなんかをしてみせる実園の表情は、誰かさんを彷彿とさせた。
「けれどそれでも火宮会長の気が変わらなければ…」
「狭霧の若頭?」
「うちも、強硬手段に出させていただきますよ。否が応でも全力で戦いたくなるような、ね」
ふふ、と、どこか掴みどころなく微笑む実園が不気味だと思った。そしてこの男もまた、確かにヤクザなのだと、俺はその言動で強く認識した。
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