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第597話
「はぁっ、それで、コンビニ弁当でいいと言われましてもね…」
げっそりと、呆れて疲れて面倒くさそうに溜息を吐く真鍋を目の前に、俺はコテンと首を傾げて見せていた。
「だって、火宮さん、真鍋さんと食事をして帰っていいとは言いましたけど、本当に俺が真鍋さんとレストランとかでディナーなんてしていったら、妬いて面白くなくて苛々するに決まってませんか?」
どうせあんなの、火宮の強がりだ。
分かっているから、俺はコンビニかどこかで適当に買っていったお弁当を、ホテルの部屋で1人で食べるのでいいと言っているのに。
「それはそうかもしれませんけれどね、私は『翼と美味い飯を食べてやってくれ』と命令されていますので」
「だーかーら、それは」
「それが、コンビニ弁当で済ませましたなどと、どう報告いたしましょうか?」
私を亡き者にしたいのですか?と大真面目な顔で迫られても…。
「だから、それは大袈裟…」
「ではありませんからね。ほら、お分かりでしたら、肉でも海鮮でも中華でも、お食べになりたいものをさっさとおっしゃってください」
ほら早く、と、まったく引いてくれる気のなさそうな真鍋に急かされて、俺は抵抗を諦めてポツリと口を開いた。
「じゃぁお寿司」
火宮と行ったことのないようなところを選べば後でどうなるか恐ろしいし、だからと言ってファーストフードやファミレスあたりに真鍋を連れていける気もしない。
妥当なところだろうと考えて答えを決めた俺に、真鍋がようやく静かに頷いてくれた。
「お寿司ですね。分かりました」
にこりと微笑むその顔は偽物だ。
目がまったく笑っていない作り物の笑顔を見ながら、俺は、どうせこの人も回る寿司屋なんて選ばないんだろうなぁなんて、ぼんやりと考えていた。
そうして案の定、カウンターに座って注文するような高級寿司店に連れて来られ、俺はちょこんと席に座って目の前のネタケースを眺めていた。
「なんでもお好きなものをお召し上がりください」
にこり、と微笑む真鍋の、胡散臭いその笑顔に頷きつつ、俺はいつぞや火宮とこういうお高い寿司店に来た時のことを思い出していた。
『確か、いきなりトロを頼んで馬鹿にされたんだったかな…』
ボソリと独り言を呟きながら、ちらりと隣の真鍋を見上げる。
「なにか?」
「いえ…」
どうせ真鍋もきっと、俺が何をどう注文しようが気にしそうもないけれど、俺は火宮のパートナー。高級寿司店でもちゃんと振る舞えるんだぞ、ってところを見せるべきだ。
『でも…うぅ、トロ様美味しそう…』
目の前のケースの中でも、ひときわキラキラと輝いて見える艶やかなピンク色のそれ。反射的に唾液がじわりと滲み出す。
「翼さん?」
ジーッと仇のようにケース内を睨んでしまっていたんだろう。
真鍋が怪訝そうにぎゅっと眉を寄せていた。
「あ、いえっ…」
「……?」
「あ、えっと、じゃぁその、こ、コハダを」
うん。確かこれが正解だったはず。
火宮の姿を思い浮かべながら、パッと職人さんに告げたら、隣で「ふっ」と笑う真鍋の吐息が聞こえた。
「な、なんですか?」
「いえ、なんでもございません」
「……」
それ、なんでもないって顔じゃない。
小馬鹿にしている…というのとは少し違うけど、何となく生暖かい目なんだよね。
「ふ、いえ、ただ、健気ですね…と」
クスッと目元が緩む真鍋の、あまりに柔らかな表情が、ものすごく珍し過ぎた。
あんぐりと開いてしまった口が塞がらない。
「ま、なべ、さん…?」
「あぁ失礼。ただあなたが、無理して背伸びをして、それでも必死に会長に見合う男であろうとする姿が」
「っ…」
「ひとえにそれは、会長のためであることに他ならず、とても一途で…ですからあなただ」
っ、あーぁ、バレてら。
本当、この人の前ではいくら何を取り繕っても、無駄だな。
「大将、トロを2人前」
ふふ、と本当に笑い声さえも漏らした真鍋が、ギョッとなるような注文の声を響かせた。
「え…?」
「なにか?」
「っーー!」
本当、もう、この人も。
そういうところがスマートだ。
俺の視線をしっかり察していてくれちゃって、自ら自由に振舞って見せて、自分しかいないから、今は気にしなくていいんだと遠回りに伝えているつもり?
私は認めていますから、今くらいは好きに振る舞えって?
「本当、ずるいです。出来過ぎです」
格好良すぎて、敵わなくて。悔しくて、だけどどこまでも頼もしい。
「あなただから」
火宮が認めて、火宮が選んだ。蒼羽会にとってなくてはならない人間で、火宮の片腕として堂々と君臨する存在。
そしてすでに俺にとっても、もうかけがえのない人の1人になっている。
タンッと握られたトロの寿司2貫が、つやつやと目の前のカウンターの、一段高くなった台の笹の葉の上に輝いた。
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