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第600話
そうして一通り、彼らの不利益になるようなものを持っていないと確かめられたのか、不意にゴリッと背中に硬いものが押し付けられた。
「っ…」
振り返るまでもなく、それが先ほどまで俺に向かって突き付けられていた銃口だと分かる。
『歩け』
ボソッと冷たく放たれた英語は、俺だけでなく、真鍋にも向かっていた。
「え…?」
手の拘束を受けている真鍋の背中にも、俺と同じように銃が突きつけられている。
しかも真鍋にはそれだけではない。
左右からは頭に向かって、前からは心臓部へ、同じく銃口が向けられていた。
『互いが互いの人質です。一方が少しでもおかしな動きをした瞬間、もう一方の命が潰えると思って下さい』
事務的で淡々とした劉の言葉だった。
けれどもその中身は立派な脅しで。
ゴクリと喉の鳴る音が、やけに大きく自分の耳に響いた。
「翼さん」
従え、と真鍋がそっと目線だけで促してくる。
どうしても小刻みに震えてしまう身体を、どうにか自分の支配の下に引き戻す。
コクリと小さく上下した俺の頭を確認した真鍋の目が、そっと細められたのが分かった。
少しでも気を緩めれば、みっともなくその場に崩れ落ちてしまいそうな膝を叱咤する。
ガクガクと震える足はどうしようもなく、それでも俺は、必死でその足を前へと運んだ。
『あなたもだ』
トンッ、と真鍋が背中を突かれている姿が横目に見えた。
あ、一緒に連れて行かれるんだ…。
真鍋がこの場で殺されてしまうこともなく、俺と引き離されるわけでもないことに、なんだかやけにホッとする。
無言で冷たく目を細めた真鍋が、この状況でもどこまでも堂々と、店の出入り口の方へ歩いて行くのが分かった。
俺も…。
俺も、こんなことで、みっともなく取り乱してはいけない。
ぐっと唇を強く噛み締めた俺もまた、腹に力を入れ、真鍋の後に堂々と続いた。
店の扉をくぐるとすぐに、横付けされていた車の後部座席に押し込まれる。
残念ながら救出の手はそこにはなく、真鍋が立てていたらしい、けれども倒されてしまったという護衛の人たちの姿もない。
「……」
真鍋が纏う空気がピリリと熱くなる。
それでも黙って車に押し込まれた真鍋に、その間もピタリと俺たちから銃口を逸らすことなかった黒服の男が、別の武器を押し付けた。
「っ?真鍋さんっ!」
バチッ、と嫌な音がして、真鍋の身体がグラリと傾く。
シートの上に力なく倒れていく真鍋の身体が、ゴンッと窓ガラスに頭をぶつけた音と共に止まった。
「あ、あ、あ、あぁ…」
ガクガクと震える口から、意味のない母音が漏れる。
冷たく整った美貌はまるで死人のように、静かに閉じられた瞼はピクリとも動かない。
「ま…あ、あぁ…」
真鍋さん、と呼びかけようとした声は、引き攣った喉の奥に、空しく絡まってしまった。
「ひ、あ、あぁぁ…」
叫びが絡まる喉がヒリヒリと痛む。
じわりと滲んだ視界から、目に涙が溢れているのだと自覚する。
そろりと真鍋に向かって伸ばした手は、トンッと銃を持つ男の手で弾かれてしまった。
「っ!」
『ふっ、案ずるな。スタンガンで気絶しているだけだ』
びくり、と咄嗟に引いた手を抱え込み、ぼんやりと黒服の男を見上げる。
じわり、じわりとその男の言葉が頭に浸透してくるにつれて、「真鍋は生きている」ということだけは、どうにか理解ができた。
見れば真鍋の胸は規則正しく上下している。
「あ…」
よくはない。よくはないけれど、最悪の事態でもない。
ほぅっ、と身体から力が抜けたところで、バンッ、バンッと車のすべてのドアが閉じられた。
俺の隣には、銃を持ったままの黒服の男が乗り込んでいる。
真鍋は目を閉じ、窓側に寄りかかったまま微動だにしない。
スーッと走り出す車の中で、俺はせめてもと、流れていく車窓からの景色を記憶しようと、そっと窓の向こうに視線を走らせた。
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