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第602話
『何に対しての疑問?』
はっきりと教えてくれれば答えるよ?と明貴は笑う。
だから俺は、混乱する頭を必死で回転させながら、ゆっくりと震える口を開いた。
『俺、に、近づいた、こと…』
その疑問に答えが出れば、全ての謎が紐解かれる一言。
震える声で必死に紡いだ俺に、明貴の目がスゥッと細くなって、にこりとそれが弧を描いた。
『さすが、賢い』
グレイト!と口笛を吹きそうな勢いで賞賛の声が飛ぶ。
けれどもそれは、嬉しくもなんともない明貴の反応だった。
『連さん』
『ふふ、もうアキとは呼んでくれないんだね』
自分がそう導いておきながら、明貴は意地悪な言葉を言う。
『けれどもそうだね。それが、答えだ。賢い君はきっともう察している。それでも聞くかい?』
にこりと笑いながら、戯れのように手の中で銃を弄ぶ明貴に、俺は無言のままゆっくりと首を上下させた。
『残酷だなぁ』
『っ…』
残酷なのはどちらだ、と一瞬浮かんだ苛立ちは、すぐさま隠す。
俺の言動次第で、すぐ側に跪かされている真鍋の命が脅かされるのだ。
『あ、今のは少し意地悪だったね。ごめんね?』
ごめん、と言いながら、少しも悪びれた風のない明貴は、性格が悪いと思った。
『連さん』
『まぁそう焦らないで。でも、そうだな。どうして正体を隠して翼に近づいたか、というのは、単に好奇心かな』
『っ…』
『私は今回、うちと取り引きのある七重組の、窓口となって繋ぎをつけてくれている理事が、引退すると聞いてね』
こくり、と頷く俺は、そこまでの情報は確かに知っていた。
真鍋や池田が話していたことと、同じ話だ。
『それで、次の候補が誰になるのか、見学と見定めに来日した、ってところ。もしもこちらが気に入らない相手が後任につくなら、七重を見限ってもいいかなぁ、なんて』
こてん、なんて可愛らしく小首を傾げる明貴に、ヒュッと息を飲んだのは真鍋だった。
『あ、ことの重大性は、そちらの幹部様には分かったみたいね?』
キョトンとしてしまった俺には分からない。
それが何か問題でもあるのだろうか。
『ふふ、蒼羽会の姐といっても、翼は無知だなぁ』
クスクスと、少し馬鹿にしたように笑う明貴に、真鍋が小さく息を吐いた音が聞こえた。
『はぁっ、翼さん。六合会と七重のパイプが途切れる、ということは、六合会と取り引きをする日本の別組織が新たに現れるということです』
ゆっくりと、出来の悪い生徒に教えるように、真鍋が不意に口を挟んできた。
途端にザッ、と数人の黒服の男が、真鍋に銃を向けて取り囲む。
『勝手な発言は許していないんだけど』
『……』
『んー、でもまぁいいか。続けて教えてあげて』
ひらり、と明貴が片手を振れば、途端に黒服の男たちが、1人を残してスッと下がっていく。
真鍋は、一瞬黙った口を、ジッと明貴を窺いながらも、再び静かに開いた。
『今、六合会は日本では七重としか取り引きがないのです。つまり、六合会と七重組が独占取り引きの協定を結んでいる。それは、中国との取引を望むならば、うちと六合会を通さなければならないということ。そうすることで、こちらは他の雑多な組織が無意味な勢力をつけるのを抑え、悪質な品の流通も防げるというメリットがあります』
『そうだね。こちらは一番勢力の強い七重と手を組むことで、やっぱり他の小物が、うちの下部組織と勝手に交易するのを防げるってわけ。強者同士が手を組む。雑魚が勝手や余計な真似をしないようにするために手っ取り早いでしょ』
クスクス笑う明貴は、味方であれば本当に頼もしい相手なのだろう。
そして、その明貴が七重を見限るということは、その今は保たれている均衡が崩れるということで。
『っ…』
『あぁ、分かったみたいね。やっぱり賢い。だから、とりあえずはその最大勢力とやらが衰えることがないのか、わざわざボス自ら来日して、理事候補とやらを見に来たってわけ』
『それで…』
『うん。そのうちの1人の、蒼羽会の火宮、を調べたときにね、面白いことを見つけちゃったんだよね』
ふふ、と笑いながら目を細める明貴は、楽しそうに俺を見つめていた。
『俺、ですか』
『そ。男の妾がいる、なんてさ、面白すぎるでしょ。しかも、本命として寵愛して、籍まで入れて生涯の番としているなんてさ。しかも少年だよ?趣味を疑うっていうかさ、もう完全に痴れ者なのかと。そんな男が理事になったら大変、と思ったんだけどね』
『っ…』
『残念ながら、その「蒼羽会の火宮」は、他のどんな組織の頭よりも、切れ者で実力者で、この男こそが次のリーダーにはふさわしいって思うような男だったんだよね』
どうしたことだろう?と笑う明貴の目は、やっぱりどこまでも楽しそうに俺を射抜いていた。
『だから俄然興味の対象は翼、きみに向いた』
『連さん…』
『それほど「出来る」男が、何故そんな少年を選んだのか。この少年に一体何があるのか。気になって当たり前でしょ』
『それで』
『うん。きみに近づかせてもらったんだ。そして、結果、理由はよくわかったよ』
にこり、と微笑む明貴の笑みは、今だけ本物だと、なんとなくそう感じた。
『私としては、今回、次の理事には蒼羽会の火宮を推したい。狭霧っていうのもいい男なんだけどね、やっぱり火宮には及ばないかな。沖嶋っていうのは、もう全然駄目。あれが理事になる七重組なんだったら、本気で見限るよ』
『っ…』
『ま、あれはもうすぐ消えてなくなるみたいだけどね?』
にこり、と笑う明貴の目は、今度は楽しげに真鍋に向いた。
『ね?幹部様』
ケラケラと笑う明貴に、真鍋の周囲の空気が温度を下げた。
『どこからその情報を、なんて、無粋な質問はなしだよ。うちの諜報力はそちらの比じゃない。沖嶋が蒼羽会に余計なちょっかいを掛けて、すでに潰す算段が整っているなんてこと、こっちはとっくに掴んでいる』
『っ…』
『まぁ、全権の指揮者がここでこうして拘束されていては、どうなることかと思うけれどね』
困ったね?と笑う明貴に、真鍋がギリッと奥歯を軋ませた。
『でも、あなたを失って機能を果たさなくなる蒼羽会なのだとしたら、それも考えものだな』
『そんなことはない。私がいなくとも、部下がすべてをきちんとやりこなす』
『うん。頼もしい。だからこそ、やっぱり次の理事は蒼羽会会長かな。本人のやる気があまりにもなさすぎるのが難点なんだけど』
ねぇ?と首を傾げた明貴に、真鍋の顔が苦々しく歪んだ。
どこまで明貴の情報収集力はすごいのか。
あまりの力の差を見せつけられながらも、俺はぼんやりと、アキとクレープを食べたときのことを思い出していた。
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