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第606話

『ねぇ翼』 『は、い…』 『火宮刃は、どんな男?』 ふと、小さく首を傾げる明貴の腕がゆるりと緩んで、俺の身体を解放する。 柔らかく微笑みながら、問いかけられるその言葉の真意が、俺にはさっぱりわからなかった。 『連さん?』 疑問はそのまま言葉と表情に乗る。 『ふふ、報告書は、読んだ。火宮の持つ能力も、その紛うことない確かな実力も、持って生まれた容姿も、その周囲を取り巻く人間たちのことも』 『っ…』 『けれど翼。きみが見る、きみの目に映る火宮刃という男は、一体どんな男なのかな?と思ってね』 クスクスと笑う明貴の目が、悪戯っぽく細められて、スッと俺の顔から逸らされて、ストンと俺の手元に落ちた。 『気づいていないとでも思ったかい?』 『っ!』 『きみが、全てを賭けて譲らない男、か』 『れ、ん、さ…』 『こう仕向けておいてなんだけど、私はきみの肉体だけが欲しいのではないのだよ?』 『っ…』 『私は、賢く気高くしなやかで強い子猫。きみのすべてが欲しいんだ』 クスッと笑った明貴が、ふわりと俺に手を伸ばし、俺の左腕をグイと捕らえた。 『っ…』 咄嗟にギクリと身が強張り、反射的にその腕を引いてしまう。 けれども明貴は俺のその抵抗を許さず、そのまま強く俺の左腕を引き寄せた。 『大人しくしているんだ』 『っ、れ、ん、さん…』 『きみに逃れる術はない』 コソッと耳元に吹き込まれる声に、ゾクリと身体が震える。 『っ!』 ぴたりと抵抗を止めてしまった俺の左腕を捕らえたままの明貴が、するり、するりと、二の腕から肘へ、肘から手首へ、そして手のひらへとその手を滑らせていく。 そうして最後に薬指までたどり着いた手が、そこに嵌められたリングをキュッとつまんだ。 『っあ…』 ピクリ、と指先が引き攣り震える。 『Je marche la vie ensemble。JtoTね…』 『れんさっ…』 『ふふ、気づかないとでも思っていたの?きみが紡いだ言葉の意味。決して外されることのなかった、この、指輪の、意味に』 クスクスと笑った明貴の手が、俺の薬指から火宮と俺の誓いのリングを奪っていった。 『連さ…』 ふるり、と唇が震え、じわりと視界が滲む。 きゅっと噛み締めた唇の痛みに涙を堪え、震える拳を固く握りしめて耐える。 『きみがその身を投げ打ってまで大切に想うこの男に、それだけの価値があるの?』 にぃっ、と吊り上がる明貴の口元が、とても楽しげに、そしてとても意地悪に、鮮やかな微笑を描いた。 『火宮刃には、力がない』 『っ…』 『きみをその手の中に留めるだけの力も、地位も、権力も』 『れんさっ…』 『きみを取り戻しに来るだけの、そのための力を、火宮は持たない』 クスッと小さな笑い声を立てた明貴が、ピンッと手の中のリングを宙に弾き、パシッとそれを受け止めた。 『七重組傘下、蒼羽会会長。なるほど、確かにそれなりの肩書だ。けれど、その程度の肩書だけでは、とても私には…我々の組織には敵わない。いくら七重とうちが同盟を結んでいるとは言ってもね。その下部組織のいち頭であるというだけの火宮に、我々に太刀打ちできるだけの力はない』 『っ、ん…』 『たとえ今のまま火宮がきみを取り戻しにやってきたとしても、火宮は、蒼羽会は、ただ無様に散るだけだ』 『っ…』 分かっている。 分かっているから、俺はここにいる。 分かっているから、俺は明貴を選んだ。 ぎゅっと握り締める拳は、力を入れすぎて白くなっていた。 その目の前で、ゆっくりと、明貴がリングを指先で縦につまんで、目の高さまで持ち上げる。 左右で違った色をする明貴の目が、片方だけ伏せられて、そのリングの輪の中から俺を射るように捉えた。 『だから翼。きみは、こうしてここにいる』 クスッと笑った明貴の目が、何もかもを見透かすような色をして、キラリと光を弾いた。

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