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第611話

『え…。あれ?』 これまで感じていた違和感が、最高潮に高まった。 そして、それと同時に、たくさんの疑問が目まぐるしく頭の中を駆け巡った。 『翼?』 ふふ、と笑う明貴の声に、ふらり、ふらりと疑問が浮かび、ぽんぽんと脳内で弾けていく。 なんで?どうして。 明貴は火宮に理事になられては困るはずだ。 俺を手に入れるために、火宮が腑抜けた男だと証明したかったはず。 なんで?どうして。 明貴は火宮に俺の想いは伝わらないと、それは綺麗ごとで俺の幻想で。 火宮が本気で理事の椅子を取りに行くなどしないと、明貴は言っていた。 『なのに、どうして…?』 思えばこれまでずっとそうだった。 明貴は本当なら、火宮が理事になるかどうかの結果を待つ必要なんてなかったんだ。 すでに真鍋の命を盾に取り、俺を強引にその手に落としたのだから。 たとえ俺がどんなメッセージを真鍋に託し、火宮に、蒼羽会に帰らせようとも、そんなの知らぬと、明貴は俺の意志など無視して、あのまま本国に俺を連れ帰ってしまうことだってできたのに。 『あのときのように、無理やり連れ去ってしまえばよかったのに…』 火宮がそう易々と、もう手出しできない異国に。 銃でもなんでも突き付けて、俺を従わせて、俺を得ることなど簡単だったはずだ。 『なのに、どう、して…?』 ふらりと彷徨った視線が、テーブルの向かいの明貴にピタリと合わさった。 ふわり、と明貴の目が、愉悦を宿して弧を描く。 けれどもその、左右に色を違える瞳は、とても寂しそうにゆらいでいた。 『きみは賢い』 『っ…』 『賢く強く、そしてとてもしなやかだ。だから、だから私は…』 ふわりと微笑んだままの明貴の手が、スッと何かをテーブルの上に差し出した。 コト、と音を立ててテーブルの上に置かれたのは、銀色に輝く俺のリングで。 『っ、アキさん…?』 ひゅっ、と息を飲んだ俺の目の先で、明貴がそれはそれは鮮やかに、花開くような綺麗な笑みを浮かべて見せた。 『だから私は、本気できみを欲したんだ』 ぎゅぅ、と胸を引き絞るような、切なくなるほどの美しい笑顔に、俺はただ、ハクハクと口を無意味に動かした。 『言ったでしょう?私はきみの、全てが欲しいと。あの時、力で脅し、強引にきみを我が物にすることくらい、確かに私には簡単にできたよ。だけど』 『アキさん…?』 『だけどそれではきみは、ずっと火宮に心を残したまま、私には心のない、その空っぽの肉体しかくれないと思ったから』 『それは…』 『だからきみに言ったんだ。火宮が腑抜けで、きみの期待になんか応えてくれない男だと。それをその目で確認していけと』 『っ…』 『火宮が理事選になんて本気を出さずに、きみを救い出しにも来ない。そうしてきみは、火宮に絶望し、火宮への未練は完全に打ち砕かれて、私のものになってくれると思ったから』 『……』 『だから、きみを無理やり国に連れ帰らずに、火宮の行動を待ったんだ』 にこりと微笑んで紡がれる明貴のそれは、きっと本気の本音だ。 嘘じゃない。狡いその計算は、多分きっと、この人の本音の1つで。 だけどその顔がまた、スゥッと冷たさを纏い、アキが明貴に変わる。 『けれども同時に、私は別の計算もしていた。黒幇の首領である私は、組織の利益のため、火宮が理事になることを強く望んでいた』 『ア、キ、さん…?』 『だから翼、きみを利用して、火宮を理事選に本気にさせようとした』 『っ…』 『火宮が、理事の座につけばいいと、思っていた』 ひゅっと詰まった息は、明貴の冷たく凍てつくような心がそこに見え隠れしたから。 あぁそうだ。この人は、中国黒幇、最大組織の首領だ。 柔らかな雰囲気と対照的な底の知れない冷酷なまでの計算高さ。 これが、マフィアのトップに君臨する、この男の、もう1つの姿。 『ふふ、矛盾しているよね。分かってる。分かっているんだ』 はは、と自嘲を漏らす明貴が、なんだかとても頼りなく見えて。 『私は組織のため、火宮に理事になってもらいたい気持ちも本当で、けれども私のため、きみの希望を打ち砕き、きみを手酷く裏切って欲しいと思うのも本当だった』 『アキさん…』 『だけど、そのさらに向こうの、本気の、本音はね…』 クスッと小さな笑い声を上げて、ツン、と指先で小さく俺のリングを突いた明貴が、パッと顔を上げて、晴れ晴れしく俺を見た。 『これで、よかったと思ってる』 スゥッと息を吸い込んで、あまりに清々しく、あまりにさっぱりと。 明貴がにこりと無邪気に微笑んだ。

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