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第612話

『ア、キ、さん…?』 ひゅっ、と掠れた吐息を喉に絡ませるのは、これで一体何度目か。 さすがに傷んできた喉に、ゴクリと唾が生々しく通過していく。 そんな俺の目の前で、明貴は鮮やかな笑顔のまま、ゆるりと小さく首を傾げた。 『これでよかったと思っている。だって私の最大の本音はね…』 『アキさん…?』 『これで翼が泣かずに済む』 『っは…?』 なにを、と思った疑問は、そのまま目と口と言葉に乗った。 『翼の希望を打ち砕いて私のものにする。そう思ったのも嘘じゃないんだけど、でもそれ以上に』 『っ、アキさ…』 『それ以上に私は、きみが苦しむ姿を、もう2度と、見たくはないと思ったんだ』 『っーー!』 それは、熱烈な、痛いほどの愛の告白で。 『火宮に裏切られ、悲しみ苦しむきみを、私は見たくないと思った。だから』 『アキさんっ!』 『これでよかった。きみが傷つき悲しむ姿を、これで見ないで済みそうだ』 にこりと笑う明貴の本音なんてもう、聞かなくても分かった。 だから明貴もきっと、明確なその言葉は口にしなかった。 口にされてしまえば困ってしまう俺のことを、明貴はきっと分かっているから。 『っ、ぅ…』 ぶわり、と目の前が滲んでぼやけたのがなんのせいかなんて、考えなくても俺には分かった。 けれどこの涙を零してしまうには、俺はあまりに冷酷になれなくて。 『あぁ…』 あぁそうか。ずっと感じていた違和感の正体は、それだったんだ。 明貴はずっと、俺にはまるで恋人にするように、優しく甘く接してくれた。 ホテルの1室からは出られないとは言え、拘束も受けず、俺は自由にこの中で過ごせた。 外に見張りはいたらしいけど、室内は完全にプライベートな空間で、その部下たちも、俺に無体を強いることなく、むしろ丁寧な態度で接してくれていたっけ。 『アキさん…』 あなたも、そうだ。 あの日以来、武器を一切手にすることなく、必ず丸腰で俺の前にいた。 物騒なものは互いの間に必要ないと、力による強制力を発揮するつもりはないと。 あなたはずっと俺にそう誠意を示してくれていたんだ。 「その全てが、あなたの想いか…」 ぽつり、と落ちたのは日本語で、明貴にはきっと伝わらなかった。 それでも堪えた涙の意味は、それこそ賢い明貴には分かってしまっただろう。 『2日後』 『っ…』 『2日後が、理事選当日だ』 コン、と指輪を持ち上げ、それで軽くテーブルを叩いた明貴が、薄く目を細めて俺を見た。 『翼。最後の賭けを、私にさせて?』 『ア、キ、さん…?』 『最後の賭けだ。翼、きみに、銃の扱い方を教えてあげる』 『っ!な、にを…』 『2日後。きみを迎えに来る火宮の前で、最後にきみに、選んで欲しい』 『っ、ア、キさ…』 くしゃり、と顔を歪めた俺の前で、明貴が指輪をぎゅっと握り締め、パッと俺の目からそれを隠してしまった。 『っあ…』 『そのときに、きみの最後の答えを、教えておくれ』 ふわりと華々しく微笑んだ明貴が、隣の護衛に手を差し出した。 とん、とその手のひらの上に、護衛の懐から取り出された銃が乗せられる。 あぁ、今もまた、この人は丸腰だったんだ。 ただそうぼんやりと認識して、俺の頭は甘く痺れた。 『3度目の正直となるだろうか』 ふふ、と笑う明貴はどこか楽しげで、けれどもどこか寂しそうで、きゅっと握られた手の中の銃が、何故だか小さく震えていたのが印象的に目についた。

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