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第614話

コツ、と1歩、火宮が豪奢な椅子に座る黒髪オッドアイの男の前に進み出た。 張り詰めた空気を破ったのは、その火宮の靴音で、パッとさらなる緊張感を走らせた周囲の黒服の男たちが、一斉に火宮に向かって銃を構えた。 [ふっ、七重組執行部、事務局長、蒼羽会火宮だ。貴殿が中国黒幇は六合会、首領の連明貴か] ニヤリ、と唇の端を持ち上げた火宮が、堂々とした態度で、黒髪オッドアイの男を見下ろした。 その口から紡がれるのは、響きからして中国語。きっと流暢なのであろうそれの、意味は俺には分からない。 ただ、黒髪オッドアイの男が静かに片手を上げ、それと同時に、火宮に定められていた銃口の数々が、一斉にスッと下ろされた。 『会話は、英語で。可能だな?』 淡々と、火宮の問いには答えずに、黒髪オッドアイの男が告げた。 その言葉は流暢な英語で、きっとそれは明貴の気遣いなんだろうと俺には知れた。 俺は中国語ができない。 そして英語ならばよほど複雑な専門用語でない限り、聞くことも話すこともできる。 『分かった。これでよろしいか』 するりと心地よく耳に触れたのは、火宮の綺麗な発音の低音ボイスで。 黒髪オッドアイの男は、満足そうに黙って頷いた。 『それで?』 スッ、と黒髪オッドアイの男が、足を組み、その膝の上に組んだ手を置いて火宮を見据えた。 劉、真鍋に続く無表情は、氷のように冷たい。 『っあ…』 思わず口を差し挟もうと動いた俺は、不意にすぐ隣の黒服黒髪黒目の男にクイッと袖を掴まれ、ピクリと固まった。 『トップ同士の話の邪魔はしては駄目だよ』 にこりと悪戯っぽく笑う黒服の男に、思わずくしゃりと顔が歪んでしまう。 俺を害する気なんて微塵もないくせに、背に当てられている銃口がとてもおかしい。 そろりと、痛くない位置に身体をずらしてその銃口を逸らせた、その時。 『中国黒幇、六合会首領、連明貴。翼を返してもらいに来た』 朗々とした宣戦布告が、火宮の口から放たれた。 『っ…』 ピクン、と肩を揺らしたのは、俺と、俺にぴたりと張り付く黒服黒髪黒目の男で。 鋭い視線が、豪奢な椅子に座る黒髪オッドアイの男から、スゥッと横に流れて、俺の隣の黒服黒髪黒目の男にカチリと合わされた。 『っ!』 ひゅっと吸い込んだ息がそのまま止まる。 俺の背に銃口を押し当てた黒服黒髪黒目の男の纏う空気が、楽しそうにコロコロと揺れる。 ゆっくりと、懐に手を差し入れた火宮が、流れるような仕草で、そこから黒光りする殺傷能力の高い武器を取り出した。 その銃口が真っ直ぐに、俺の隣の黒服黒髪黒目の男に向けられる。 『ふふ、どうして分かった?』 にこり、と楽しげに、コロコロと鈴が鳴るような軽やかさで放たれた明貴の声と同時に、ザッと周囲を取り囲む黒服の男たちが、一斉に火宮と真鍋に銃口を向けた。 けれども火宮はわずかも怯むことはなく、真っ直ぐに明貴に向けられた銃口はかすかのブレもない。 明貴の方が、クスクスと笑う声につられて、俺の背に当てた銃口をぶらせる方が目立つくらいだ。 だけどその手に、俺の身体はクイッと引かれ、まるで火宮の前に俺の身体を盾にするように、明貴がその後ろに身を隠してしまった。 『っ!』 『クスクス、だって、私の容姿は、どこにも記録されていないはずだよ?』 『……』 『裏社会でまことしやかに囁かれているのは、連明貴は、黒髪オッドアイの美貌の男。それくらいの情報だと思うのに』 ふふ、と軽やかに笑う明貴の銃は、さっきからふらふら、ふらふらと揺れている。 『どうしてそちらの男が影武者で、私が本物だと分かったの?』 にこり、と笑う明貴は、これが中国黒幇の首領だと言われてもまるで信じられないだろう、あまりに無邪気な笑顔を見せていた。 『ふっ、分からないわけがあるまい。中国黒幇の首領ともあろう男が、手放しに味方と呼べる間柄でもない我々に、清々と姿を見せると思うか』 『なるほど?でも、そっちの男は私の噂の特徴通りの容姿だろう?』 『カラーコンタクト。偽の瞳の光など、見ればわかる』 『へぇ、さすが?』 『それに、あなたはさっき、翼の日本語の呟きを正確に聞き取り、英語で返した』 『っ!』 ニヤリ、と唇の端を吊り上げる火宮の言葉に、短い息を飲んだのは、明貴も、俺も、だった。 『聞いて…?』 『クックックッ、俺が、翼の、一挙一動を見逃すと思うな』 『でも確かに誰にも気づかれていないと思ったんだけど』 『ふっ、そもそも、翼があなたの隣にいて、まったくといっていいほど緊張感がないのが、その証だ』 『え…?』 きょとん、となってしまったのは、俺だ。 『普通、見張りだかなんだか知らない男に、それほどぴたりと張りつかれてみろ。翼はガチガチに緊張するに決まっている。なのに翼は、のんきに俺の姿や状態を観察し、さらには真鍋の様子までのんびり窺っていたんだぞ』 クックッと楽しげに喉を鳴らす火宮のその癖が懐かしい。 『それで、分からないと思うか。翼が、自分に決して害をなすことがないと信頼しているような、憎たらしい男が、何者かなど』 『ピュゥッ、グレイト。さすがは、蒼羽会火宮。いや、翼の、元、男か』 クスクスと、楽しげに口笛を吹いた明貴に、火宮の顔が、ぞくりとするほど壮絶な笑みを浮かべた。 「元、かどうかは、決めつけるのはまだ早い。翼を一番に理解するのは、これまでも今もこれからも、この俺だ」 「っ…火宮さ」 「翼、おまえの望みに、おまえの期待に応えに来たぞ。翼の全てを理解する、俺こそが、おまえの男だ、翼」 「っ…」 「さぁ、連明貴。翼を返してもらおうか?」 にやり、と笑った火宮が、堂々とした日本語で明貴に告げる。 あぁそうか。明貴は日本語を理解できるのか。 ピクリ、ともう1人、反応を示したのは、向こうに見える劉で。 他の護衛の人たちは、2人の会話についていけずにいる。 「ふふ、翼を取り返す?できるものなら、してもらおうか」 クスクスと、笑みを浮かべた明貴の言葉もまた、驚くほどに流暢な日本語で。 ピーンッ、と何か小さな金属を、明貴が俺の背後から、火宮の方へと弾き飛ばした。 カツン、と微かな音を立てて、火宮の足元に落ちたのは、俺の指から奪われた、俺のなにより大切な誓いのリングで。 「っ…」 くしゃり、と顔を歪めてしまった俺の背中に、ゴリッと一際強く、明貴が持つ銃の口が押し付けられた。

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