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第636話
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波乱の夏休みは終わりを告げ、待つまでも望むまでもなく、新学期がやってきた。
夏休み明けに早々に行われた課題テストでは、俺は、なんとぶっちぎりの1位で、学年トップに君臨した。
最大のライバルと言っていい紫藤が、体調不良で欠席したというのもあるだろう。けれど、結果は結果だ。真鍋に胸を張って持ち帰ることができる結果表を手に、俺はホクホクと帰路についていた。
「ご機嫌だな、翼」
「まぁねー」
送迎の車までの道のり、隣に並ぶ豊峰にニコリと笑いかけながら、俺は得意げにふふんと鼻を鳴らした。
「ま、分かるっちゃ分かるけど」
あの真鍋幹部に突きつけるには最高の手土産だもんな、と笑う豊峰は、その真鍋の厳しさを良く知る、同士だ。
「藍くんだって、9位だっけ?大健闘じゃない?」
「おぅ、まぁな。学業を疎かにしない、休み明けの課題テストで10位以内を約束するって条件で、バカンス後の夏休み、バイトを許可してもらったしな」
ニッと笑う豊峰は、そういえば課題も全て片付け終わってしまった暇な夏休み、どこぞでバイトに励んでいたらしい。
というのは、浜崎や他の構成員さんたちに聞いた話だ。
「そっかー」
「あぁ。多分おまえより俺が今1番ホッとしてる」
「あはは」
「マジで。あの真鍋幹部と交わした約束、破ったなんてことになった日には…」
ぶるりと身体を震わせて、恐ろしげに言葉を途切れさせた豊峰に、思わずぷっと吹き出してしまった。
「ふはっ、大袈裟。…じゃないのは、よく知ってるけど。それにしてもビビりすぎ」
「そりゃビビるだろ」
あの真鍋幹部だぞ?と顔をひきつらせる豊峰に、笑いは止まらなかった。
「ふふ。でもそんな条件ついてでも、バイトしたかったの?」
豊峰の生活費は、豊峰がうちの使用人という建前で、給料という形で保障されているはずだ。本来なら、自分で更に稼がなくてはならないようなことはないはずだけど。
「あー、まぁ、真鍋幹部は、俺に不自由ないようにはしてくれてるけどさ。でもほら、俺はその働きに見合う以上の報酬をもらってるのは、な?どう考えても明らかだろ?」
「うーん…」
「だから、な?」
せめて小遣いくらいは自分で稼ぎたいとかそういう…。
なんとなく豊峰の気持ちを察して、俺は小さく「そっか」と呟いた。
「真鍋幹部たちはさ、本当ならこんなでけぇガキ、背負い込む必要はなかったんだ。それをこうして保護して、よくしてくれてる」
「藍くん」
「だから、俺は必要最低限の生活費で済むように気を使うべきだし、この先、進学っつー金がかかるできごとも奨学金を取るつもりでいる。社会人になったら、養ってもらった分の金はちゃんと返すつもりだしな」
ニカッと笑った豊峰が、なんだかとても大人びて見えた。
とても力強く、なんだか少しだけ凛々しく。
「そっか」
色々と考えているんだね、なんて失礼なことは、思ったけど口には出さなかった。代わりに目の先に見えてきた車に、話題を変える。
「なんか大仰になっちゃったよねー」
チラリと視線を向ける先は、見慣れた黒い高級車。馴染みの運転手と護衛の浜崎が待っている、その後ろに、送迎の車とは別に1台、俺の乗るはずの車を護るようにして停められた車があった。しかも馴染みのない黒スーツの男が2名、いかにもその筋の者ですという空気を隠しもせずに立っている。
「あー、それはまぁ、ほら。なにせ七重組本家、執行部理事様の情人様だからなー」
ぷくく、と笑う豊峰は、さすがは元ヤクザの一人息子か。その立場がいかなるものか、よく分かっている様子だ。
「はぁっ。火宮さんは、就任直後の、不安定な一時期だけだとは言ってたけど…」
ポツリと呟きながら、車の真ん前まで辿り着いた俺を、浜崎が「お帰りなさいっす」と迎えてくれた。
「あー、ただいまです」
反射的に返事をしながらも、豊峰との会話は途切れない。
「ま、でもそれは嘘じゃねぇだろ。そうそう本家からの護衛がこんな風に出向してくることなんてありえねーし。ただの念のためと対外的に牽制を兼ねてだろ。特に、内部や別系列の組というよりは、組対に向けて、な」
パチリとウィンクをしてみせて、あっけらかんとしている豊峰に、俺は渋々頷いてみせた。
「そっか」
「なっ?浜崎さん」
「えぇ、はい?あー、そうっす。もう少しでもすれば、会長がその実力で、ざわつく者すべてを黙らせてしまうでしょうっすから」
それまでの辛抱ですよ、と浜崎が笑う。
どうやら俺たちの会話は漏れ聞こえていて、内容は薄っすらとだが理解していたらしい。
2人いわく、火宮、及びその情人には、何人たりとも手を出すなかれ。そういう了解が広がるのは、時間の問題だとか。
「ま、覚悟してなかったわけじゃないですからね」
自分のポジションが、いかに火宮にとっての諸刃の剣で、薬にも毒にもなるものなのか。俺はもう、とことんまで理解している。
「蒼羽会会長にして、七重組本部理事、事務局長のパートナーか」
きゅっと握った左手のリングの重さを噛み締め、俺はにこりと笑って見慣れぬ護衛の方々に、品よく頭を下げてみせた。
そのままゆっくりと車に乗り込んでいく身体の後ろで、感嘆したような、ピュゥッという口笛が聞こえたのは、多分豊峰の仕業だっただろう。
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