639 / 719

第639話

それでも、真鍋の姿が見えなくなってしまえば、もう用はないとばかりに、チラホラと立ち去っていく生徒たちにホッとする。 それぞれが部活に帰宅にと去っていく中、それでも粘り強く居座ったのは、いわずと知れたリカ様だった。 「あー、リカ?」 「ふっふっふ、このまま引き下がる私ではなくってよ」 「はいはい、今度は出待ちね」 この場に残ったリカの目論見など、火を見るよりも明らかだ。 げっそりしながらも言い当ててやった俺に、リカは得意げに鼻を鳴らして、悪びれずに笑った。 「ご名答」 「分かるって」 本当、ご苦労なことだ。 でも俺の番までの待ち時間、話し相手がいるのはいい暇つぶしになるか。 廊下に待合席と形ばかりに置かれた椅子に座りながら、俺は隣の空いた椅子をリカに勧めた。 「座る?」 「おっ邪魔しまーす」 きゅるん、と可愛く笑って、とすっと腰掛けるリカから、ふわりといい香りがする。 「香水?」 「ん?あぁこれ?そう。どう?少しは大人っぽい?美形様、どんな香りが好みかな?」 キラキラと、目を輝かせて尋ねてくるリカは、まぁ健気で可愛くないとはいえない。 だけど。 「真鍋さん?残念だけど、俺はそこまでよく知らない…」 真鍋の好みのタイプなど、強いて言うならあのどSっぷりについてこれる超絶どMじゃ…とか失礼なことを考えている俺は、ゆるく首を左右に振る。 さすがにそんなことを言うわけにはいかないので、当り障りなく話題をはぐらかす。 「それよりリカは面談いつなの?」 「私?私は明日の3番目」 ピッとピースサインを向けてくるリカがにこりと笑う。 「そっか。将来とか、なんか、アレだね」 「うん、アレだね」 なにがアレなのか、多分分かりはしなかっただろう。 それなのに、クスッと笑って相槌を打ってきたリカが、悪戯っぽく目を細めた。 「ふふ、つーちゃんに感傷とか似合わないんだけど」 「はぁっ?」 「だって、ちょっと想像しちゃったんじゃない?」 「え?」 「この先、さ。それぞれの選択によって、道が分かれていくこと」 違う?と鮮やかに微笑むリカには、なんか敵わないな、と思った。 「そうかも。これから、それぞれの進路によって、下手したらクラスすら別れていっちゃうんだよね」 「まぁねー。出会って、別れて。みんな、それぞれの、それぞれの道を行く。大人になるのよねー」 うん、と呟いた声は、思ったよりもずっと頼りなく小さかった。 「まっ、でもそれで途切れる友情じゃないし。今まだ2年だしね!」 感傷に浸るのは3年になってから、それもいざ、卒業を迎えるそのときでいい、と笑うリカは明るく強い。 「そうだけど」 「ふふ、なにかな?私たちの心を纏めたつーちゃんが、そんな大人なつーちゃんが、今度は大人になりたくないって、駄々デスカ?」 つん、と人の頬っぺたを悪戯っぽくつついてきたリカに、俺は苦笑しながら首を振った。 「そうじゃない。そうじゃないけど…」 「けど?」 「今が、あまりに幸せ過ぎるからかな?」 へらりと笑ってしまった顔に、リカの目が大きく見開かれたのが分かった。 「っ…もう、つーちゃんは」 「あは。何言ってるんだかね」 恥ずかし、と咄嗟にパッと立ち上がったところに、ちょうど面談室のドアががらりと開いた。 「翼ー。終わったー。次おまえの番…って、リカ?」 何故いる、と呆れた顔をした豊峰の登場で、俺とリカの会話はそのまま途切れる。 「えへへ、美形様の出待ち」 「了解。アリガト、藍くん。じゃぁ俺行ってくる」 ぷらりとリカに振った手に、リカの細くて綺麗な指先がプラプラと動く。 「頑張ってー。あ、でも美形様出てくるの、待ってるからねー」 「ははっ、うん」 「つーちゃん。怖くない。怖くないよっ」 ぐっ、と拳を握った右手を突き出してきたリカに、俺はハッとしてその手を見つめる。 「何を選んでも、どこに向かっても、きっと変わらないものは必ず、あると思うから」 「っ…うん」 「幸せな今のその先にはさ、きっともっと大きな幸せが、待っているよ」 「っ、うん」 にこりと笑うリカの言葉に唇を噛み締めて、ぎゅっと握った拳を、リカの拳にコツリと当てる。 「行ってきます」 「行ってらっしゃい」 押し当てた互いの拳をゆるりと開き、ふふ、と笑い合った俺たちを、豊峰がなんなんだ?という顔をして横から見ていた。

ともだちにシェアしよう!