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第640話
「失礼します」
静かに入室した面談室内には、向かい合わせに2つ、長机が並べられていて、その長辺のそれぞれ両側に、担任と真鍋が向かい合う形で椅子に座っていた。
「どうぞ」
担任が、自分の向かい、真鍋の隣の椅子を勧めてくる。
ペコリと一礼してそちらに向かった俺の目の前で、スッと素早く立ち上がった真鍋が、俺のために椅子を引いてくれた。
「うぁ…」
「翼さん?」
相変わらず、どうにも慣れないエスコートに怯んでしまう。小さく疑問調に跳ね上がった真鍋の呼び声は、俺にそうすることが当たり前のことである証。
一体この光景を、目の前の担任はどう思って見ているのか。
「あ、えと、ありがとうございます」
恐る恐ると腰掛ければ、絶妙なタイミングで椅子が押された。
完璧な位置に留まった椅子に感心しながらチラ見した隣では、真鍋が洗練された仕草で自分の椅子に腰を戻している。
相変わらずクールだなー。
まだ微妙に膨れた右腕の違和感を、わずかも感じさせない動きに感心していたら、その何もかもを気にしなかったらしい担任が、カタリと動いた。
「さてと、今度は火宮くんだね。えぇと、まずはこちらが1学期中の成績と、先日のテストの結果です」
スッとすぐさま担任が、俺の個別ファイルを差し出してくる。
真鍋に対して隠し立てしているようなことはなく、俺は特に興味もなく、そのファイルを真鍋が見下ろすのを眺めていた。
真鍋も真鍋で、とっくに知っているそれらの情報を、いつもと変わらぬ無表情で眺めている。
「まぁ、優秀だね」
言うことなし、と微笑む担任に、真鍋が無言で頷く。
俺はそのやり取りを隣でぼんやり聞き流しながら、担任がパラパラと捲る手元の書類を眺めていた。
「ご家庭では、進路について、話す機会はある?」
「えっ?あ、まぁ、将来の希望?みたいなのは、話したことありますけど…」
チラリと隣の真鍋を見上げれば、こくりと無言で頷かれる。
「進学?」
「はい、そのつもりです」
「保護者様もそれで了解しておられます?」
「えぇ」
不意に振られる話にも、真鍋は無表情のまま淡々と答えている。
「ちなみに希望の進学先…候補とかでも、少しは決まっているのかな?」
にこりと担任に微笑まれて、俺はソロソロと口を開いた。
「えっと、医大か医学部と…」
「なるほど。具体的には?」
大学名をあげろということだろうか。
それならば。
「真鍋さん?」
どうせどこ大に行けだとかどうしろとか、この人や火宮が決めていることだろう。チラリと隣の真鍋を見た俺に、真鍋がふと俺を見て眉を寄せた。
「なんですか?」
「え?何って、進学先…」
俺はまだ聞いていないけど、あなたなら知っているんじゃないんですか?
きょとんと真鍋を見つめたら、ますます真鍋の眉が寄せられた。
「私に聞かれましても知りませんが」
「え?じゃぁ火宮さん?」
「はい?何故です。あなたの将来でしょう?あなた以外の誰に聞いてどうするのです」
何を言っているんだ、と言わんばかりの、呆れた顔を隠しもしない真鍋に、レアだなー、なんて思う間もなく、俺はきょとんと目を丸くしてしまった。
「え…?」
完全に思考停止して、固まってしまった俺に、担任の苦笑が割って入った。
「あー、まぁ、いきなりだから戸惑ったよね。うん、まだ未定ってところかな。大丈夫、焦らなくても構わないよ。まだ2年の夏だし、むしろ前の豊峰みたいに、ばっちり大学名まで決まっている方が珍しいからね」
未定、っと、と呟きながら、担任が手元の書類にサラサラとペンを走らせている。
「将来の希望は、医師、でいいのかな。まぁ冬頃には、国公立狙いでいくのか、私立を目指すのか。具体的な目標が決まってくるといいね」
うっかり温度を下げてしまった空気に、担任の声があれこれと響いている。
けれどもなんだかとても頭が混乱してしまっていて、その後俺は、担任や真鍋がなにか話をしているのが、まったく頭に入って来なかった。
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