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第650話
「はぁっ…死ぬかと思った…」
ぐちゃぐちゃで、ドロドロで、ぐったりした身体を、畳の上にでろーんと投げ出しながら、俺は泣きじゃくり過ぎて腫れあがった目をぼんやりと見慣れない和室の天井に向けた。
「ふっ、まったくあなた方は、本家の真っただ中で何をなさっているのやら…」
はぁっと呆れを隠しもしない溜息をついた真鍋が、ゆるりと俺の左腕を持ち上げて、湯を張った洗面器に浸けたタオルを当ててくれた。
「う…。そ、れはっ、火宮さんに言って下さいっ」
こんなところで、俺をぐちゃぐちゃのドロドロに抱き潰してくれたのは、あのどSで何様俺様火宮様の、あなたの会長様なんだから。
俺は、素っ裸なのを恥ずかしがる余裕もなく、隠す余力もなく、指一本すら動かすのが億劫なまま、ぐったりと真鍋に身を晒して、先ほどからせっせと後始末と介抱をされていた。
「こちらは?」
「うっ、見ないでください…。大丈夫です。そっちは、なんとも…」
「ふむ。まぁ、かろうじて避妊具をつけるだけの良識はありましたか」
ぐいっと足を持ち上げられて、後ろを無遠慮に覗き込まれる。
恥ずかしさに顔を背けた俺にも淡々とした真鍋の態度は崩れず、「掻き出す必要性はなさそうですね」なんて、蕾をタオルで拭ってくれているそのことを、俺はどう受け止めたらいいものか。
「ではこの周囲に飛び散ったあれも、これも、あなたの身体を汚すこれも、すべて…」
一体何度イッたのやら、と言わんばかりの、シラーッとした冷たい視線に晒されて、俺は羞恥も相まって、ツンとそっぽを向いた。
「わ、るいのは、火宮さんですからねっ?お仕置きだかなんだか知りませんけどっ、何度も何度もイかされてっ…。出なくなってもまだイかされて、あんな、あんな…っ」
指でナカを弄られてはイかされ、中心を銜えられてまたイかされて、火宮のもので貫かれてからは、もう何度イッたかもわからない。
もう出ない、もう出ないと泣きじゃくりながら懇願して、それでも貫かれ突き上げられることを止めてもらえずに、薄まった白濁を吐き出したのは何度目のことだったか。
それでもまだ解放してくれることを知らない火宮に攻め立てられ、空イキを繰り返した挙句、潮まで吹いたのはもう忘れてしまいたい醜態だ。
「はぁぁぁぁぁっ」
白濁とは違った液体でぐっしょりと濡れた火宮のスーツのジャケットをジロリと眺めて、真鍋が疲れ果てたように頭を振った。
「っ…高級なジャケット…敷いたのは火宮さんですからねっ?」
「えぇ。畳を張り替えるような事態にしなかったのは賢明でしょうが…」
「っ…しばらくこっちに寝泊まりしてたから、着替えならあるって…」
「その通りですが」
「っーー!ど、う、せ!俺がまだウダウダ悩んでっ、突っ走って七重さんを頼って、火宮さんを嫉妬させたのが悪いんですね!はいはい、分かりましたよ。俺が悪ぅございましたっ!」
多忙な会長さんを煩わせて。今だって、俺を抱き潰した後、本家での仕事が…と呼び出されて、事後のフォローもそこそこに、本家の仕事に連れて行かれてしまった火宮の忙しさは、俺だって分かってる。
それでも俺の側を離れがたそうに、ぐずぐずと渋っていた火宮を、真鍋が「後は私が処理いたしますから」と蹴り出す勢いで追い出したのがなんのためかだって、おれはちゃんと理解しているんだ。
理解している、だからこそ。
「さらに俺が寄り掛かって甘えて、煩わせてしまいたくなかったのになぁ…」
ぽつりと零れた言葉に、真鍋が俺の下半身を綺麗に拭ってくれながら、クスリと笑った。
「馬鹿ですね」
「はい…」
「あなたがそういう人間だということを、会長が誰より一番、ご理解なさっているでしょうに」
「っ、あ、はっ…」
「あなたが会長に甘えていると認識し、それを納得も許容も出来ずに思い悩み、自力で何とかしようともがくことなど」
「ん…」
そうなんだよなぁ。そうなんだ。
あの人は…火宮刃という人は、本当に真鍋が言う通り、そういう人なんだ。
「だからこそ、こうしてあなたが本家に向かったと聞きつけ、余裕もなく押しかけ、こんな事態になるくらいには」
「あはは、うん、はい」
まぁ元々今日も本家に仕事があり、どちらにしろ来る予定ではあったけれど、という真鍋の言葉は蛇足だ。
けれどもその『仕事』とやらを後回しにして、俺の『仕置き』という名の行動を優先させた理由は、分かり過ぎるほど分かっていた。
「信じて、いいと思いますよ」
「え…?」
「あなたはあなた自身のことを、もう少し」
そっと抱き起された身体に、ふわりと上着が渡される。
「終わりました」と微笑む真鍋に、清められた身体はいくらかさっぱりしていた。
「あなたは、あの火宮刃に選ばれ、私に認められ、七重組組長のお眼鏡にも適った人物なんです」
「っ…」
「ーー大学」
「っ、そ、れは…」
「会長にお聞きしました。その目標に、相違と躊躇いは?」
「ありません」
最後の意思確認をしてくる真鍋を、俺は真っ直ぐ好戦的に睨みつけた。
「よろしいでしょう」
にこりと微笑む真鍋の目は、俺を認めて賛するものだった。
「っ…」
「では。いかに成績優秀なあなたでも、まだまだ努力の余地はありますので」
「は、い」
分かってる。
俺が目指すことに決めたその大学は、最高学府のなかでも最高峰の偏差値を誇る、しかもその中のさらに医学部だ。
楽に入学できるとは思っていない。
「これから残り1年半弱、ますますスパルタにしごかせていただきます」
にっこりと、頬を持ち上げる真鍋の目には、火宮が意地悪をするときと同種の光が宿っている。
けれどもその奥に、期待と信頼がちらついているのも見えてしまい…。
「頑張ります。意地でもついていきますよ」
「いい覚悟です。合格以外の結果は認めませんので」
「望むところです」
「さらに欲を言えば、首席合格」
にっこりと、とんでもないことをさらりと告げた真鍋に、さすがの俺も手からポロリと着ようとしていた服を取り落とした。
「は?はぁぁぁっ?」
「ご自信がおありではありませんか?」
にーっこり。
あるわけがない、そんなもの。それがどれだけ無謀で高くてあほみたいに滅茶苦茶な目標なのか。
どこかのど天才と、法学部首席合格だったらしいど秀才とはわけが違う。
けれどもどこまでも嘘くさく微笑む真鍋の、その笑顔の向こうに何故が鞭が浮かび上がって見えてしまっては、フルフルと首を左右に振るしかなく。
「どブラックな微笑み…」
あぁこの人も、ヤクザのしかも幹部様だったんだよなー、と、こんなときには思い出す。
これからの鬼家庭教師との勉強時間の地獄っぷりを想像して、今からげっそりと深い溜息が漏れた。
「翼さん?何か?」
「っーー!いえっ、何もっ!何も言ってませんよっ?」
にこりと黒い笑みが深まった真鍋に慌てて、バババッと脱ぎ散らかされた服をかき集め、俺は急いでそれらを身に着けていった。
『まぁすでにーー大の赤本は購入済ですからね…』
ふっ、と揺らいだ真鍋の空気に、ちらりと聞こえた気がする不穏な台詞。
「真鍋さん…?」
「いえ、なんでもありません」
にこり、と、やっぱりどこまでも嘘くさく微笑んだ真鍋が、後は汚したジャケットと多少汚れのついた畳の処理ですね、と呟きながら、俺をどかして掃除を始めたのを、俺は色々な思いの詰まった目でぼんやりと見ているしかなかった。
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