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第651話
*
「ハロー!ハゥアーユー?アイムファイン!」
教室に入り、自分の席へ向かおうとしていた俺の背中に、はっちゃけた陽気な英語と、バシッという衝撃が飛んできた。
「うっ、ゴホッ、ゴホッ…リィーカァー?」
あまりの衝撃の強さに涙目になって噎せながら、登校早々、そんな仕打ちをしてきた犯人をじとりと睨みつける。
「あっ、ごめん、つーちゃん。あまりにいい朝だから、ついうっかり」
「力加減っ」
「うん、だからごめんて。あっ、豊峰くん。ハロー、ハゥアーユー?アーイムファインッ!」
バシィッ!
おざなりに俺に謝って、ヒラリと身を翻したリカが、スキップしながら第2の被害者を生み出していた。
憐れにもターゲットにされた豊峰が、俺と同じように背中を強かに叩かれてゲホゲホと噎せている。
「………何なの、あれ。朝からなんていうテンションの高さ…」
思わずジトッと呆れて目を据わらせた俺に、横からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「ふふ、おはよう。まぁ今日は、あの日だからね」
にこりと微笑んで、自席からコテリと首を傾げて話しかけてきた紫藤に、俺は自分の机に登校鞄をドサリと置きながら同じく首を傾げた。
「おはよう。あの日?」
何だそれは、と疑問符が浮かぶ頭に、思い当たる節はない。
たっぷり1秒。どうか答えを、と紫藤に希う様に視線を向けた俺に、紫藤がにっこりと微笑んだ。
「うん、あの日。文化祭実行委員を決める日」
「文化祭?」
「うん。またの名を学園祭?クラスごとに出し物をするんだけど、その中心になって、取りまとめる役、みたいな、ね」
「あ~」
なるほど。納得。そういえばもうそんな時期。前の学校でも、その名の催し物は確かにあった。
だけど。
「で、それでなんで、リカのハイテンションと繋がるわけ…?」
「クスクス、そういえば火宮くんは初めてだよね。うちの学校、この文化祭がね、かなり本気なんだ」
「へっ?」
「クラスの出し物で模擬店をやるのは、まぁ結構一般的かもしれないんだけど…」
うんうん。高校の文化祭って、どこを見ても大体そんな感じだよね。
まぁ前の学校で、すでにバイト三昧の不登校に突入していたこの時期に、俺は文化祭の参加経験なんてないんだけど。
「うん…」
「だけどね、うちの学校の何が本気って…その模擬店の売り上げ、集客率、店舗に関する総合評価で、順位が決まる」
「うん?」
「そして、栄えある校内1位になったクラスには、学食1か月食べ放題チケット&豪華テーマパーク1日豪遊券が贈られるんだ」
「っな…」
「しかも併設の豪華ホテルディナー券つきのね」
ふふ、と笑う紫藤に、俺はポカンと開いた口が塞がらなかった。
「去年は惜しくもリカのクラス、2位だったんだ。1位はもう卒業した3年。リカは1位を狙って去年も実行委員やってて、でも勝てなかった。から、今年こそはって、リベンジに燃えてるんじゃない?」
「な、るほ、ど?」
「それに、2位以下でも、各クラスの経費を抜いた純利益は、そのままそのクラスに還元されるからね」
「えっ?」
「とりあえず、打ち上げ費用くらいは稼ごう…あわよくば、バックされる山分け金を狙えればいい。そんなシステムだもんで、どのクラスも滅茶苦茶本気だよね」
あはは、と笑う紫藤に、もうそのスケールの違いに唖然とした。
「本気過ぎじゃ…」
「うん。まぁ、この学校、経営者の跡取りとかごろごろしているし、デザイナーの2世3世やらファッションモデルの子供やら?そういう人たちに事欠かないし、模擬とはいえ、その辺り、相当本格的な催しなんだ」
「なるほど…」
普段の授業では見せられない、その辺りの才能や能力を発揮して見せろというわけか。
あわよくばそれで開花する人材を見極め育てる意味もある、と。
「学校側も本気だね」
「まぁ、こういう学校だからね」
「そういうリカは、じゃぁ…」
「ふふ、火宮くんの身上はバレているのに、リカのは知らないよね?そう。彼女は楢崎コーポレーション、最高経営責任者…CEO様の、ご令嬢様」
「っ…」
「そして、モデル事務所オークのトップモデル、カオリ・ナラサキの娘さんだ」
「……」
ぽっかーんと開いた口が、本当に、本当に、塞がらない。
だって経済界や芸能にそれほど詳しくない俺でも知っているぞ、その名前。
超ド級の有名会社&有名人じゃないか。
「まぁでも、火宮くんの会長さんトコの会社よりは大きくないか」
「は?え?」
「経営手腕と言えば、火宮会長さんやあの真鍋幹部さんのほうがよっぽど。あぁ、ならそのパートナーの火宮くんのほうが…」
「は?や?いやいやいやいや…」
なにを言い出す。俺の将来の目標は医者だ。経営なんてそんなもの、ちっとも興味はありはしない。
の前に、ちょっと待った。火宮さんの仕事のことは詳しく聞いたことはないけれど、え?楢崎コーポレーションより大きい会社?
そういえばどんな会社を持っていて、どんな経営状況なのかなんて知らないんだけど、え?
「火宮くん?」
ぐるぐると、目が回るほどの思考の渦に飲み込まれ、大混乱をきたした俺を、紫藤が覗き込む。
「あ~?」
やばい。完全にオーバーヒート。思考回路は停止した。
理解の及ばぬ範囲の話を聞かされて、俺はそれを考えることも追及することも放棄した。
そこに。
「翼っ!」
「あ?豊峰くん?」
「なっ、おまえ、なに呆けてるんだよ。…まぁいいや、それより、今日のHR、逃げるぞっ」
「へっ?あ?なんで?」
やばい。思考はまだまだ正常を取り戻せないみたい。
突然こちらに駆けてきた豊峰が、言っていることの意味がまったく頭に入ってこない。
ぼけっと呆気にとられたままの視線を豊峰に向ければ、くしゃりと眉を寄せた豊峰の顔が見えた。
「なんでって、リカのあのテンション!」
「うん?」
「あいつ、実行委員に立候補する気満々で」
「うん」
「あのノリじゃ、クラスの誰も反対なんかできないから」
「うん」
「リカに決まる。そしたらあいつ、ぜってぇ俺とか翼とか、補佐に指名してくるから!」
「はぁ」
うん、それが、なにか問題でも…?
まだまだ回らない思考で、ぼんやりと豊峰を眺めたら、盛大で深い溜息を吐かれてしまった。
「分っかんねぇのかよっ?アレの補佐だぞっ?細々した雑用だなんだと振り回されて、小間使いのようにこき使われるに決まってんだろっ!」
「はぁっ?」
「去年の…あぁ、おまえは知らなかったな。あのな、去年の、リカ。そりゃ、1年にして、敏腕カリスマ経営者出現、なんて噂になったくらいには、リカのクラス模擬店運営センスは抜群だけど…その裏でな…」
「うん」
「その辛辣、冷徹な経営手腕の裏側で、どれだけ補佐が駆けずり回らされたか…人をこき使うことに関しても、あいつはトップクラスなんだよっ」
「ほぇ…」
「確かに上に立つやつだ。指示は的確、人を使い慣れている、だけど…だからこそ、あまりに容赦ない」
ひくりと顔を引きつらせて述べる豊峰に、横で紫藤が「有名な話だね」なんて呑気に笑ってた。
「っーー!だからっ、早く逃げるぞ!」
捕まる前に!と急かす豊峰に、俺は曖昧に微笑んだ。
「だけど…」
「和泉は大丈夫。こいつはまた生徒会執行部の方の仕事があるから免除だ」
「じゃぁ俺ももう体育祭実行委員やったし…」
「かんけーねぇよっ。委員になれってんじゃねぇんだよ。本当に補佐。あいつの片腕で秘書で…要は、使い勝手のいいパシリってことなんだっ」
だから逃げる!と腕を引いてくる豊峰に、俺は困って紫藤に助けを求めた。
「あは。まぁ、こればっかりはね」
藍の選択の方が賢明かもよ?と微笑む紫藤に「なら…」と動きかけた足は、無慈悲な始業のチャイムの音に、その場に縫い留められてしまった。
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