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第656話

「ククッ、疲れを滲ませていたかと思ったら、元気になって」 「っーー!誰のせいですかっ」 あなたが揶揄うことばかり言うから。 ついつい身体にも言葉にも、覇気がこもってしまうのだ。 「さてな?」 知らん、と嘯く火宮に、ますます力が入ってしまう。 「あーなーたーは!」 このっ!と飛び掛かってやった手が、パシリと逆に掴まれて、ぐいっとその胸元に引き寄せられてしまった。 「うわっ、とと…」 「ククッ、本当におまえは…」 「んっ…んーっ」 ニヤリと妖しく笑った火宮の美貌が、ぶつかりそうなほど間近に迫る。 気づいたときにはもう、俺の唇は火宮のそれに塞がれていて、ふわりとコーヒーの香ばしい匂いが鼻をくすぐった。 「んっ、はっ…」 トントンと、舌で唇をノックされれば、すっかり躾けられた身体は、従順に口を開いてしまう。 いつの間にマグカップをテーブルに置いたのか、両手首はそれぞれ火宮の手に掴まれ、ソファの上に縫い付けられていた。 「ん、あ…っ」 まろやかな甘みが残っていた舌に、微かな苦味がふわりと混ざる。 クチュリと絡み合った舌と舌が、互いの口内に残る苦味と甘味を心地よく中和していった。 「あぁっ、はっ…き、もちい…」 「クッ、煽っているのか」 悪いやつだな、と笑う火宮の目が、とても愉しそうだ。 とろりと蕩けていく視線の向こうでその目を捉えて、ぞくりとたまらない快感が湧いた。 「あっ、はっ、あぁんっ…」 くちゅ、ぐちゅっ、と激しく深く口内を貪られ、ゆっくりとその唇が離れていく。 ツーッと互いの間に糸を引いた唾液が、名残惜しくて、けれど嬉しくて。 「あんンッ、火宮さ…」 もっと、と突き出した唇に、チュッと軽やかなリップ音を響かせて、火宮の唇がちょんと触れた。 にまぁっ、と笑み崩れていく顔を自覚した俺の目の前で、火宮の形のいい唇が緩やかに弧を描く。 「ククッ、その顔」 「ふぇ…?」 「そうだな。風呂にでも入るか」 「へっ?」 ニヤリと愉しげに笑った火宮が、するりと俺の両手首から手を離し、そのまま身体中を辿りながら、悪戯にあちこちを撫で上げてきた。 「ちょっ、火宮さん…?」 キスで昂ぶってしまった身体に、その意味ありげな触れ方はやばいんだけど。 カァッと熱くなる身体と顔を、俺は持て余す。 「ククッ、お疲れだっただろう?風呂に入って、ゆっくり疲れを癒すといい」 「あっ、はっ…」 ニヤリと笑うその顔は、気遣うようなことを言っているのに、意地悪な何かを含んでいるようにしか聞こえなくて。 「俺が丁寧に入れてやる」 ククッ、と喉を鳴らした火宮が、ギラリと妖しく目を光らせて、俺は「あぁやっぱり」と思うしかなかった。 「入れる違いはやめて下さいね」 「なんだそれは。期待か?」 いやらしいな、と囁く火宮に、それはどっちだと突っ込みたくなる。 火宮に風呂に入れてもらって、ただ風呂に入るだけで済むはずがないと思うのは、決して俺だけじゃないはずだ。 「してませんし、疲れているのも本当ですからね!」 「ククッ、真鍋のスパルタ家庭教師に加えて、文化祭の準備だったか?」 「はい、まぁ…」 「実行委員の補佐についたらしいな」 「はい」 あぁ浜崎か。護衛という名の、半ばスパイが、学校に用務員という形で潜入していたんだっけ。 「あっ…」 「なんだ」 「え、あー」 じゃぁこれはもしかして、例の話も、すでにこの火宮には伝わっていたりするんだろうか。 フラフラと視線を彷徨わせた挙句、そぉっと火宮を窺った俺は、ニヤリと口角を持ち上げた、嫌味ったらしい火宮の顔を見つけた。 「うん?」 ニヤニヤと笑う火宮の顔、これはもう知っている。完全に知っていると思うけど、そうと認めるのは何だか怖くて。 「っーー!俺っ、風呂!」 ここはとりあえず、一旦逃げるが勝ちだと、火宮の腕をすり抜けて、俺はソファから立ち上がろうとした。 けれど。 「あっ…?」 「おっと」 トンッと床に降り立ったはずの足から、ヘナヘナと力が抜け、そのままクタリと床に座り込んでしまう羽目になった。 「あっ?なんで?」 「ククッ、腰が抜けているんだ」 ひょいっと俺の身体を支えながら、火宮が「さっきのキスでな」なんて楽しそうに囁いてくる。 「っーー!」 「だから、風呂は俺が入れてやると言っているだろう?」 「だからそれはっ…」 「疲れているなら何もしないと約束してやってもいいが、ここはそうでもないみたいだぞ?」 「元気いっぱいだ」と揶揄うように笑う火宮が、するりと俺の中心を撫で上げる。 「っーー!」 しっかりと、ズボンを押し上げ、硬く熱くなってしまっているそれを指摘され、俺はカァッと真っ赤になっただろう顔を俯かせた。 「ククッ、一緒に入るぞ、翼」 あぁ、俺に拒否権はない、その確定的なものの言い方。 色んな意味で危険な入浴になりそうな予感が目の前に迫り、俺は頷いていいものか、首を振って全力で逃げるべきか、答えが見つけられなかった。

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