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第662話

そうして衣装直しの済んだ俺は、リカに背中を急かすように押されて部屋を出て行った。 火宮たちの居場所は…と、探すまでもなく、ざわりと揺れる空気の波紋を辿って行けば、その姿は容易く捉えることが出来た。 「翼」 ぐっちゃりと、外部内部問わず、文化祭参加客に囲まれた中から、火宮が真っ直ぐに俺を見つけて名を呼んだ。 「失礼します」「通して下さい」と、人の波を掻き分けているのは、本家から七重についてきた護衛の面々か。 リカが「ダンディなおじさま」と称した、関東最大規模指定暴力団七重組組長もまた、俺の姿を捉えたらしく、その目が楽しそうに薄く細められた。 「ふはは、なるほどあれが翼くんか」 どこの美少女かと、と隣の火宮に話しかけている声が、ここまで届く。 特別驚きもなく可笑しそうに弾む声に、俺の女装はあらかじめ知らされていたのだと知る。 「うーっ、それにしても、近づけない…」 人の輪の中心で、亀の歩みで進んでくる火宮たちと、その輪の外側で、ピョコピョコ跳ねて火宮たちを見る俺との距離、ゆうに数メートル。 この周囲に群がる人込みさえなければ、互いに数歩で辿り合いつける距離なのに、これではまるで俺と火宮たちを寸断する壁だ。 どうしたものか、と困惑したのは、多分俺だけではなかったみたいで、「真鍋」と小さく動いた火宮の口元が見えた時には、何故か「キャァァァ!」という耳をつんざくような悲鳴がそこらじゅうで上がっていた。 「うっわ、うるさ…」 キーンと、鼓膜を突き破らん限りに叫ばれた悲鳴と雄叫び。 クラリと眩暈を起こしそうになった瞬間、この身体はふわりと何かに抱き込まれていて。 「やっと会えた、翼」 「え…?火宮さん?」 ククッと喉を鳴らした独特の笑い方と、ふわりと香る火宮の匂いが、間近に感じられた。 「え?え?あれ?あの、一体どんな魔法を…?」 ついさっきまで、あれだけ開いていた俺たちの距離なのに。 一瞬でどうやってここまでやって来れたのか。 「あぁ」 ククッ、と笑い声を上げた火宮が、そっと身体を横にずらしてくれて、クイッと顎をしゃくった向こうに、ぐっちゃりと集まる群衆が見えた。 「あー…」 あの中心にいるのって、気持ち悪いほど笑顔を浮かべた真鍋さん…? そう気づいた俺が顔を引き攣らせるのを、火宮はしれっと見下ろしている。 「人身御供にしましたね?」 「ククッ、贄となることを選んだのは真鍋だぞ」 その隙に、あなたはあの人込みから目を盗んで抜け出してきたっていうわけですね。 出来た右腕だろう?と笑う火宮は、さすがはヤクザか。 「大事な右腕を売ってくるとは」 「別に俺は、力づくで掻き分けてくれても構わなかったんだがな。あいつが勝手に、全追っかけを惹きつけた」 サラリと言い切る火宮の、引きつけるの字が違うところがさすが、自分の容姿を自覚している幹部様ってことか。 「でもあの顔」 レア中のレアだ。 思わず構えたスマホのカメラモードで、バシャバシャとその姿を連写してしまった俺に、隣の気配がクックッと揺れた。 「後で知れてどうなっても知らないぞ」 「えー?」 「本当、おまえは怖いもの知らずだな」 ついでに懲りない、と笑う火宮の顔が、可笑しそうに真鍋の方に移った、そのとき。 「っ!」 バシャバシャと、連写していたカメラ画面のその向こうで、群衆に向かって笑顔を振りまいていた真鍋の顔が、真っ直ぐにこちらに向けられた。 「おっと」 にっこりと、それはそれは大盤振る舞いの笑顔の中で、その目だけが冷たく鋭く俺の画面を真っ直ぐに見据える。 「バレた。嘘でしょ?この距離で?この騒ぎの中で?」 どうして分かった!と焦る俺の隣で、火宮が軽く頷いている。 「注目が逸れている間に、さっさと行けだとさ」 「っ、あ、はい…」 「ククッ、ついでにあの目は、それを没収して消去を見届けろと言っているようだが…」 「っーー!」 「寄越すか?翼」 ん?と手を差し出されて、俺は見下ろす画面に映る、真鍋の盛大な笑顔と、人込みの向こうに感じる俺だけが分かる冷気を比べて…。 「夏原さんと、池田さんと、火宮さんのパソコンに送ったら、消してもいいですよ?」 どうせバレたんなら、もう真鍋の不興を買ったのは必至だ。 ならばもう、何をどうしたって真鍋に何かしら責められるのは変わらない。 「クックックッ、本当、おまえはな」 庇ってやらないぞ?と笑う火宮が、それでもその発言を止めて来ないのを見ると、この状況を面白がっているのは明らかで。 「俺にも一枚」 にや、と笑った、いつの間にかこちらも人込みから抜け出していたらしい七重が、不意に隣に並んできて、楽しそうにスマホをフラフラと振って見せた。

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