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第666話
「はぁーっ、すごかった」
どうにか人でごった返す店舗前を抜け出して、俺は火宮と七重と共に、少しだけ人通りの少ない廊下まで歩いてきていた。
ぽつり、ぽつりとすれ違う参加者たちが、チラホラと火宮の美貌に、七重の貫禄に目を向けてきていることに気づいていたけど、周囲を取り巻く本家護衛の面々の異様さに、ヒクリと顔を引き攣らせては、声を掛けてくる勇気がなさそうに去っていくお陰で平和だった。
「さてと、じゃぁ次はどこに案内しましょうか?」
ひらり、と翻るスカートの裾が心もとないけれど、俺は引き攣りそうになる顔を笑顔で押さえて、火宮と七重を見る。
「そうだな…」
なにか目ぼしいものは…と首を巡らせながら、火宮から前方に視線を戻したとき、ふとトイレの入り口が見えて、俺は急に尿意を催した。
「あっ、ごめんなさい。その前に、ちょっとトイレ。寄ってもいいですか?」
ちょうどよかった、と青い表示がある方のトイレ表示を指さす俺に、火宮が頷く。
その目がスゥッと面白そうに細められて、クイッと顎がしゃくられた。
「あっちじゃないのか?」
ククッと楽し気に鳴らされる喉が、愉悦を含んだ言葉を揺らす。
その目は揶揄うように、赤色の表示がついた入り口の方を示していた。
「っーー!なっ…バカ火宮っ」
思わず迸った暴言は、どう考えても許されるべきだと思う。
だっていくら女装中だからって、俺は男で、男で、男で…。
ぷくぅっと膨らませた頬と、つんと突き出した口先を火宮に向ける。
「こっちですーぅ」
んべー、と盛大に舌を突き出してやり、俺はひらりと身を翻して、『男子トイレ』に駆けていった。
「ククッ、あの顔」
「おい、火宮。おまえこそ、顔」
緩んでいるぞ、と呆れた声を上げる七重の言葉が、小さく背後に聞こえていた。
「っ…!」
「っ…?」
ふと、トイレに駆け込んだ俺は、そこにいた先約たちが、一様に息を呑んで固まったことに気が付いた。
「あ、えぇっと…これは、その」
えへっと浮かべた笑みは、多分勘違いされてるんだろうなーと思う、誤魔化し笑いだ。
「え、なに?女子?」
「まさか痴女ってやつ?ここ男子便」
「っ、違っ…」
やっぱりな勘違いに、俺は慌てて首を振った。
「へぇ?こんなコスして、そーゆー趣味?」
「え…?」
「こんなミニで、足出しちゃってさ、オトコ誘ってんだ?そっかぁ」
ニヤリ、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた男たちが舌なめずりをし始めて初めて、俺は己の失敗を悟った。
「だからっ、違っ…。俺はおと…」
「俺だってー。クスクス、可愛い格好に、俺キャラ?ギャップ萌えってやつ?」
好色な笑みを浮かべた男の手が、今にも俺に飛び掛からんと伸びてくる。
「やっべぇ、その絶対領域」
食いつきてぇ、と、俺のニーソックスとスカートの間の露出した太ももを舐めるように見て、男たちが俺を取り囲んできた。
「っ…」
ヤバイ、ピンチすぎる…。
俺を完全に『女子』だと思っている男たち数人。ギラついたその目を向けてくる多数の男に、俺が力で敵うとは思えない。
「っ、ひみ…っ」
かくなる上は、武器となる大声だけだと、多分トイレの外の廊下にいるだろう火宮に助けを乞おうとした口は、ひゅっと開いたところで先を読んだらしい男の手のひらにぐっと押さえつけられてしまった。
「んぐ…むーっ」
じとりとした手汗が触れた口元が気持ち悪い。
思わず後退した背中が、トンッと洗面台に触れる。
逃げ場を失ったことに、ぎくりと身体が強張った。
「ふふふ、その怯えた顔。そういう設定?」
「嫌がるアタシを無理やり押さえつけて、みんなで輪姦 してーってか」
「男子便所に忍び込むだけはあるよなー。スキモノ過ぎ」
最高ー、と勝手に盛り上がる男たちに、俺は塞がれた口をもごもごと動かしながら、必死で首を振った。
『っ…火宮さんっ…』
奪われた言葉の代わりに、必死で心の中で呼び掛ける。
ジワリと浮かんだ涙がぼんやりと視界を滲ませて、男たちの下卑た笑い声がグラグラと脳を揺さぶった。
『嫌だ!嫌っ…。火宮さんっ、助けてっ…』
するりとスカートの裾から滑り込んできた手と、むにっと鷲掴みにされた偽物の胸に、絶望的な気分になりながら、ただひたすらその嫌悪に顔を歪めるしかない。
もう駄目かも、と固く奥歯を噛み締めた、そのとき。
ガチャッ、と音がして、奥の個室の扉が開き、ゆっくりと1人、新たな男が姿を現した。
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