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第675話

そんな、平和で穏やかな日々が続いていく、と思った、矢先のことだった。 今日は平日。いつも通りに出勤していった火宮に遅れること数十分、いつも通りに登校してきた俺は、午前中の日課を終えて、昼休みに屋上で、豊峰とのんびり昼食をとっていた。 ズズッ。 「うーん、美味しい」 片手で持ったラーメンカップから、多目に掬い上げた麺を吸い込めば、向かいにいた豊峰が、物珍しそうに苦笑していた。 「翼がカップ麺とか、今日はどうした」 いつもは有名ベーカリーのパンや、高級弁当やらお重だろ、と笑う豊峰に、ニッと歯を見せてやる。 「俺だってたまにはジャンクフードが食べたくなるんだよね。だから今日は自分で調達しますーって真鍋さんに言って、お金だけ貰ってきた」 「それで、売店でカップ麺かよ。同じジャンクにしたって、バーガー辺りにしようとは思わなかったのか?」 俺みたいに、と手元を示す豊峰は、分厚いハンバーガーをバクリと1口、美味しそうに頬張っていた。 「んー、ラーメンの気分だったんだよね。それもこのインスタントの」 「あー、まぁ、そういうのが無性に食べたくなるときがあるのも分かる。でも、こんな食事が知れたら、真鍋幹部辺りに怒られるんじゃね?」 「えー?真鍋さんは別に、俺の食生活に口を出してくることはないと思うけど…」 「そうか?なんか、小言がうるさそうなイメージ」 「成績に関してだけはね」 確かにうるさいし、豊峰もその姿は知っている。 「あー、まぁそこはな。そこだな」 「うん」 「もうすぐテストもあるしな」 「だね…」 2学期中間テスト。そのビッグイベントが目の前だ。 文化祭だなんだと盛り上がっていた熱も冷め始め、本来学生の本分である勉強が前面に出てくるのも当たり前のことだろう。 「2年の2学期って、大事なんだよな」 「うん、そう言うね。そろそろ受験勉強を始めろ、って感じだよね。模試も始まるみたいだし」 「テストに、模試かぁ…」 かったるいなー、と空を仰ぐ豊峰に、俺もぼんやりと空に浮かぶ雲を見上げてしまった。 ふと、そこに。バタバタと階段を駆け上がってくる足音。続いてバーンと遠慮なく開かれる、校舎内と屋上を繋ぐドアの音が響いた。 「っ?!」 「翼…っ」 驚きに飛び上がった俺の前に、襲撃かと身構えたらしい豊峰が盾になるように立ち上がる。 ピリリとした緊張感に包まれた屋上に、ふと翻るスカートの裾が見えた。 「つーちゃん!」 「え?あ、リカ…?」 そろりと豊峰の後ろから顔を出せば、パタパタと足音を立てて駆け寄って来るのは、リカの可愛らしいデコがされたスリッパで。 「なんだよ、リカかよ」 驚かせんな、と苦情を漏らした豊峰が、面倒くさそうに元居た位置に戻って腰を下ろした。 「あぁっ、もう、2人とも、なにのんびりお昼なんか食べてるのっ」 「なんでって、昼休みだから?」 「あーっ、もう、そうじゃなくって!そうじゃなくて、これよ、これっ!」 まったりと、昼食の続きに戻ろうとした俺と豊峰の前に、イラッとした態度を隠しもせずに近づいてきたリカが、ドーンとスマホの画面を向けて見せてきた。 「これ?」 「そう!見て!」 「あ?あー?なにこれ、ニュース……っ、これ」 「え?ニュース?一体何の……っ、な」 先程、正午過ぎ、というアナウンサーの声から始まる、無料のニュース動画。 日付け、時間ともについさっきの出来事らしいそれは、どうやら検索サイトのトップに出てくる速報ニュースらしくて。 その画面で語られるニュースの内容に、ピクリと反応した俺と豊峰が、サーッと血の気を引かせたところに、ブルブルと俺のポケットでスマホが震えた。 「っ…あ、浜崎さん…」 取り出したスマホの画面に表示された発信者名に、今、その電話の内容は取らなくても知れた。 目の前でリカに見せられているニュースと、浜崎からの着信。それを関連付けないでいる方が、俺には無理な話だった。 「これ、マジか…」 呆然とリカのスマホのニュースを見ていた豊峰が、俺に入った着信に気づいて、青い顔で呟く。 こくりと頷きながら震える手でスマホを操作した俺は、途端に息せく浜崎の叫び声が聞こえてきたことに、ドクンッと胸を波立たせた。 『先ほど、正午過ぎ、東京都××区〇〇丁目……爆発騒ぎがありまして……爆発は、配達物によって…』 電話の向こうで叫ぶ浜崎の声と、こちらでリカが流しているスマホのニュース動画の声が重なって、ぐわんぐわんと頭の中でこだまする。 『ですから、翼さんっ、今すぐそちらに行くんで、そのまま動かずに待っててくださいねっ?』 「あ、うん、はい…」 『会長、幹部たちともに無事です。が、下っ端が数名負傷して…』 「っ…」 『狙いや目的等はまだ定かではありませんが、すでにマスコミ、公安、組対が嗅ぎつけてますんで、翼さんは裏口から、そっと早退してもらう手筈になってますんで…』 「あ、は、い…」 『なるべく、正門や敷地外には近づかないように…』 「はい。藍くんと、屋上にいますけど…」 それならば、下から姿が見える端の方には近づくな、と言いながら、浜崎の声は走っているのだろう息が上がった声に掠れていった。 「翼。おーい、翼?」 よほどぼんやりとしてしまったんだろう。 ふと気づけば、目の前で必死に手を振る豊峰の顔があった。 「あ、あぁ、うん」 「大丈夫か?浜崎さん、なんだって?」 「え?あ、うん、爆発は、やっぱり火宮さんとこで間違いなくて…」 「っ…」 だよな、と呟く豊峰は、蒼羽会の事務所があるその住所も、先ほどニュース動画に映った建物も熟知している。 「つー、ちゃ、ん…?やっぱりこれって、会長さんの…?ニュースでは、名前、出てなかったんだけど…その、そういう、口コミサイトで、蒼羽会の事務所だって…」 「チッ、もう噂が出てんのか」 「ニュースで、暴力団が所有する建物、ってことまでは、言ってたから…」 急いで知らせに来た、というリカに、俺は小さく「ありがとう」と礼を述べた。 「っ、翼。会長とか、幹部は?無事なのかよ?」 「え?あ、うん。下の方で、荷物受け取った人たちがチェックのために開けたところで爆発したって…」 「あぁ、そういう役目の人たちがいるからな。それで…」 「うん。まだなんとも分からないけど、とにかく、俺は早退だって」 「そっか…。ニュースを見る限りじゃ、それほど大規模な爆発じゃなかったっぽいし、建物自体は下の方の階が損傷してたくらいで、全部を吹き飛ばすほどの威力の爆発物は使われてなかったみてぇだけど…」 「うん…」 「それでも、もしチェックなしに幹部や会長の手に渡って手元で開けられていたら…。もしくは、たまたま会長が下に下りてきていた時に開けていたら…」 「っ…」 火宮や真鍋が。そして事務所に寄っていたら、俺だって。被害に遭っていた可能性がある。 誰を、何を狙ったものなのか。現時点で確定するには、まだあまりにも要素が足りなかった。 「おまえを真っ先に匿おうとするのは分かる。俺も浜崎さんと合流して、送るよ」 まだ食べ途中だったバーガーをくしゃりと紙に包んで袋に突っ込み、豊峰が立ち上がる。 「リカ、情報サンキュ。後は、こっちで対処する」 「う、うん…。その、つーちゃん?」 「ん?」 「だい、じょうぶ?」 「あ、うん。火宮さん、無事だったみたいだしね」 心配そうな顔のリカに、にこりと笑みを向けて、俺は力強く頷いた。 「そっか。えっと…じゃぁ私はこれで…」 「うん、わざわざありがとう」 「ううん。その、私にできることは、これくらいで…。えっと、他に何か…」 「っ、いい。大丈夫。関わらないで」 「つーちゃん?」 「ごめん。だけど、関わらないで」 ぐ、と前に突き出した両手の平を、強くリカに向けて拒絶を示す。 ふらりと泳いだリカの目が、へにゃりと少しだけ悲しそうに揺れた。 「っ…ん。分かった」 スッと足を1歩引くリカが、こくりと深く頷く。 冷たい。心配してくれた友人に、なんて冷徹な態度を取っているのかという自覚は、俺にもちゃんとある。 それでも冷たく拒むのは、俺が立っている場所が、そう、だから。 「分かった。じゃあ、ね」 バイバイ、と手を振って身を翻すリカに、心の中で何度も「ごめん」と「ありがとう」を繰り返す。 それでも、突き放す以外の選択を俺はしない。 だってたまたま火宮が怪我をしなかった。真鍋さんが被害に遭わなかった。 だけどそれでも、その配達物は、確実に『蒼羽会』の事務所に送られてきたもので、『蒼羽会』を狙ったものなのだ。 「俺は、『蒼羽会』会長、火宮刃のパートナー」 狙われた『蒼羽会』に含まれる、人間だ。 ぽつりと呟きを落としたところで、パタンと軽やかに、屋上と校内を繋ぐドアが開かれた。 それは、リカがこの場を去っていく音で、浜崎が息を上げて駆け込んできた音でもあった。

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