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第679話

「っ……」 一体、どれくらいの間、そうして身を震わせ硬直していたのか。 不意に、画面を暗くしたスマホがパッと光を取り戻し、ピピピピ、と初期から変えていない着信音を響かせた。 「っあ…」 ハッと意識を取り戻し、見下ろしたスマホの画面には真鍋の文字。 急いで伸ばした手がワタワタと何度もスマホを拾い損ね、それでもどうにか慌てる心を落ち着かせながら、スマートホンを取り上げた。 「もしもしっ」 怒鳴るような勢いで通話に出てしまった。 けれども向こうの気配は特別変わった様子を見せない。 ぎゅぅ、と強くスマホの本体を握り締めながら、耳に押し付けた通話口から、いつでも変わらない、冷静で単調な真鍋の声が聞こえてきた。 『翼さんですか?ニュースはもう、ご覧になられましたか?』 多分俺が、先の速報を知って、動揺しているだろうと予測された、真鍋の確信的な声だった。 「っ、はい。火宮さんがっ、火宮さんの乗った車が爆発したって…」 震える唇で縺れそうになりながらも、必死に言葉を紡いだ俺に、真鍋の小さな吐息が重なった。 『やはりご存じですね。そうです、蒼羽会の、火宮刃会長が乗ったとされる車が、爆発、炎上いたしました』 「っ、だからそれは知って……」 淡々と紡がれる真鍋の言葉に、噛みつく勢いで叫んでしまう。 そんなことはニュースを見てもう知っているんだ。俺が知りたいのは、その「火宮」が無事なのかどうかの話で…って。 「え…?」 『えぇ』 「いや、え?乗ったと、される、車…?」 なんだ? 何かが引っ掛かる。 その、言い方ではまるで。 『はい。お気づきですね。ご安心ください。あの車に乗っていたのは、火宮刃、の振りをした、会長の影武者です』 「っーー!」 『真鍋っ。その電話は翼かっ…?』 後ろの方でざわつく音の中から、微かに火宮の馴染んだ声が聞こえてきた。 『お聞き及びですね?この通り、会長はご無事で、ピンピンしております』 「っ、は…ぁ、あぁ…」 ドッ、と力が抜けた身体が、ふにゃりと床に崩れていった。 『報道の性質上、翼さんがお知りになられていましたら、深くご心配なされているだろうと考えまして、1報入れさせていただきましたが』 「は、い…」 『我々は、うちを狙っているにしろ、会長個人をターゲットにしているにしろ、何よりも会長の身の安全を最優先に、最大限の警戒態勢を取って動いておりますので』 「そ、う、です、よね…」 『万が一にも会長の御身に、何かがあるようなことはございません』 「っ、ん、はい」 信じろ、任せろと自信たっぷりに伝わる真鍋の声に、俺は床に蹲ったまま、安堵の息を何度も吐き出した。 『ただ、申し訳ありませんが…』 「ん、はい。俺の外出禁止は長引くんですね?それから、火宮さんも帰れない日が続く」 『ご識見、ありがとうございます。翼さんには軟禁状態でご不便をお掛け致しますが』 「大丈夫です」 無力な俺が、どうしていればいいのかくらいは、ちゃんと分かってる。 『ご連絡差し上げることも、受け取ることもままならない状態が続いてしまうと思いますが…』 「はい」 『どうぞ、今しばらくご辛抱下さい』 うん。大丈夫。 さらに続いた爆破事件で、目が回るほど多忙だろうに、俺を気遣ってこうして1報入れてくれただけで有難いと思うから。 『何かありましたら浜崎に、遠慮なく申し付けください』 「はい」 『では私はこれで。会長のお声も直にお聞かせしたいところなのですが、なにぶん立て込んでおりまして…』 「大丈夫です」 さっきちらっと聞こえた声は、もうすっかり遠ざかってしまったのか、僅かも届いては来ないけれど。 「無事、なんですよね」 『はい、それは、間違いなく』 「ならいいです。大丈夫です」 ふわりと電話のこちら側で笑ってあげれば、真鍋がいい子だ、と言うように小さく微笑んでくれたのが分かったような気がした。 「あっ、でもただ…」 『なんでしょうか?』 「その、影武者?っていう人…。火宮さんの代わりに…」 あの車に乗っていたとしたならば、その人の無事は…。 恐る恐る尋ねた俺に、真鍋の「ふっ」という笑い声が小さく聞こえた。 『やはりあなたは…』 「え?」 『いえ。そこをお気になさる方ですよね、と思いまして』 「はぁ…」 なんだろ。何か可笑しなことを言っただろうか? 『心配ありません。それなりの訓練を受けたプロが身代わりをしておりますので』 「じゃぁ…」 『はい。会長の替え玉、及び運転手、護衛の振りをした構成員すべて、多少の火傷等は負っていますが、無事爆破時に車内から脱出し、逃げ延びております』 「っ、よ、かった…」 火宮がなんともなくてよかったけれど、その代わりに誰かが失われたなら、それは素直に喜べない。 みんながどうにか無事だったことにホッとして、けれど、それほどギリギリの命のやり取りをしている火宮たちが、心配で心配で苦しかった。 「真鍋さん」 『なんでしょうか』 「死なないでくださいね」 『……はい』 「誰も、失くさないで下さいね」 お願いだから、火宮を、そして蒼羽会のみんなを、守って下さい。 祈るように握り締めたスマホに、滲んだ手のひらの汗がべっとりと張り付く。 ぎゅぅ、と閉じた瞼の裏に、今も必死で指揮を執る火宮の姿が、それを補佐する真鍋の姿が浮かび上がる。 指示に従い、右へ左へと駆け回る、池田や浜崎や部下の人たちの姿が。 「っ…どうか、無事で…」 祈るように馳せた心は、ただただ静かに宙を舞って掠れていった。

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