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第680話

その翌日も、そのまた翌日も、火宮が帰宅することはなかった。 その間、火宮から直接の連絡が来ることはなく、真鍋から、「本日は会長はお帰りになりません」「本日も会長はお帰りになりません」という、事務的な連絡が来るだけだった。 「っ…」 こちらから送ったのは、火宮たちの様子と体調を心配するメールを1通。 それも見てくれたのかどうか、確かめる術はないまま、返信はもちろん来ない。 あまり邪魔しても…という思いと、また送ってまたスルーされるのも悲しいからというのもあり、こちらからはその1通を送ったのみだ。 シーンと真っ暗なまま沈黙を貫く手の中のスマホを見下ろして、俺はコツコツと時を刻む壁の電波時計の音を、ぼんやりと聞いていた。 「っー!」 一体何分、そうして時計の針の音を数えただろう。 不意に、指先の微妙な力加減で、スマホのボタンに触れてしまったらしい画面がパッと明るくなる。 特に壁紙などを設定していない、水色をしたロック画面に、デジタル表示の日付と時刻が表示されていた。 「あぁ、もう5時過ぎだ…」 24時間表示にしてあるため、正確には17時7分を示すデジタルの数字。 その下に小さく見えるのは、火宮が帰宅しなくなって3日が過ぎたことを教える数字だ。 「はぁっ、忙しいのは、分かってるんだけどね…」 今日、4日目を数えるのかな、と思いつつ、俺はプツンとスマホの画面を消して、すくっとソファから立ち上がった。 「今日は帰って来るとも帰ってこないとも連絡はまだないけど…」 とりあえずはこの時間だ。どちらにせようちで夕食なら、とっくにその連絡が来ていていいはずの時間帯。 「夕飯、今日も1人だなー」 ここ数日、すっかり慣れつつある1人分の料理に、1人の食事。マンション内にずっと引きこもっているから、やることといったら料理と食事くらいしかなくて。 もちろん真鍋にブリザードを背負わせないために、教科書や参考書をひっくり返して、独学と自習にも励んではいるものの、やはり唯一の気晴らしといったら食べることだろう。 ましてや無駄に時間があるここ数日、やたらと料理に手間暇掛け、無駄に凝った食事を作ってしまっていた。 「昨日は角煮、一昨日は手作り餃子…。材料は昨日浜崎さんに買ってきてもらったし。うん、今日はピザでも作っちゃおうかな」 もちろん生地から手作りだ、と気合を入れて、テクテクとキッチンに向かう。 粉に、ボウルに、カップにと、必要な材料や調理器具を作業台の上に並べていきながら、調理の強い味方、みんなが作ってる料理のレシピサイト、を開くべく、先ほどポケットにしまったスマホを取り出そうとした、そのとき。 ガチャッ。 「……翼」 不意に、玄関が開く音と、廊下を歩く足音。それに続いてリビングのドアが開けられ、やたらと凄みのある美貌を晒した火宮が現れた。 「あ、え、あ、火宮さん、おかえりなさい」 「ただいま」 ズカズカとリビングからダイニングを通り、キッチンカウンターを回ってきた火宮が、グイとネクタイの結び目を緩めている。 「あ、あの、今日は帰って来れたんですね」 連絡がなく、帰宅を知らされていなかったから驚いた。 ワタワタと動揺を隠しながら見つめた火宮の顔が、壮絶な美貌のまま、ふわりと綻んだ。 「翼…」 「う、わっ、ちょっ、火宮さん、重っ…」 やけに綺麗に微笑んだな、と思ったら、次の瞬間には、のしっと圧し掛かる勢いで俺の上に倒れ込んできた火宮。 どうにか受け止めたその身体が、ぎゅぅっと苦しいほどに俺を抱き締めてくる。 「翼。あぁ、3日ぶりだ」 スン、と首元で鼻を鳴らされ、その仕草が恥ずかしくてカァッと頬が熱くなった。 「ちょっ、なに匂いを嗅いでるんですかっ。俺、まだ風呂…っ」 「風呂?あぁ、石鹸の匂いに消されていない、翼の匂いがする」 ベロリと首筋をそのまま舐められて、俺はゾワッと身震いしながら火宮を押し返した。 「ちょっ、火宮さ…」 いつにも増して火宮の変態度が上がっている気がする。 なんなのだと思いながら、どうにか押し戻した火宮の身体の下から、そろりとその美貌を見上げれば、元々の美貌の数倍は凄みがある、疲労と色気に彩られた火宮の顔があった。 「っ…」 なんて顔を…。 ゾクッとするような色香を纏った雄の顔。けれどもその中に、どうしても隠しきれない顔色の悪さと、目の下の隈を見つけてしまう。 「お疲れですね…。あの、大丈夫ですか?」 そっと気遣うように目元に手を伸ばせば、ふっと苦笑した火宮が、するりとその指先から逃げていった。 「心配ない。ほんの1日2日、短時間睡眠でいただけだ」 忙しすぎて平均1~2時間しか寝れない、と笑う火宮に、するなと言われても心配するに決まってる。 「そんな。でも今日帰れたってことは、今日は少し休めるんですよね?じゃぁゆっくりお風呂に入って、朝まで寝…」 「いや。さすがに数日帰っていなかったのと、自宅の風呂に浸かって少し仮眠を取りたいと思ってきただけだからな」 「仮眠…」 まだそんなに時間がないのか。 爆破事件で休む暇もないのは分かるけど。分かっているけど、だけどでも、そんな調子では身体を壊してしまう。 「あの…」 「クッ、そんな顔をするな。俺なら大丈夫だ。でも、そうだな、ひとまず風呂に入ってくる」 ここ数日はシャワーだけなんだ、と言う火宮に頷いて、俺は急いで風呂の湯をためるボタンを押しに走った。 「ありがとう」 ふわりと微笑んでくれる火宮の顔に、疲労が隠しきれない。 そのことが辛くて切なくて、だけど俺に出来ることは、ここで食い下がって、どうせ引くことはないだろう火宮と無駄な問答をし、僅かな休息時間を奪うことではない。 少しでも火宮の負担を減らしてあげること…。 「あの、食事は?食べますよね?俺、火宮さんがお風呂に入っている間に、何か作っておきますね」 「そうだな。できれば睡眠に時間を取りたいから、簡単に食べられるものを頼めるか」 うどんや茶漬けでいい、という火宮に、俺は慌ててキッチンに広げた粉やらボウルやらを片付けた。 「はーい」 うん、どうやらのんびりと生地からピザ作りなんてする時間も場合でもなさそうだ。 カタンとバスルームに消えていった火宮を見送って、俺は時短料理に切り替えたメニューを調理するべく、ぐいっと袖を捲り上げた。

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