684 / 719

第684話

がちゃりという受話器が上がる音を聞いて、俺は「もしもし」と通話口に向かって話し掛けた。 「浜崎さ…」 「はい」 「あれ?違った。えーと、神谷さん、でしたっけ…?」 いつもこの内線には、9割以上の確率で浜崎が出る。今もそうかと思って話しかけていた俺は、返ってきた声があまり馴染みのないものだったことに驚きながらも、その声色の持ち主を記憶の中から引っ張り出した。 「はい。浜崎は少々、出ています。ご用でしたら俺が」 低く威圧感のある、けれども丁寧な声。内線の向こうで深々と頭を下げた様子が目に浮かぶようなその声色に、俺はワタワタと慌てながらも、見えない手振りを受話器のこちらで必死にしていた。 「あのっ、いえ、用っていうか、その…」 「なんですか?」 「いや、あの、浜崎さんか藍くん…って、豊峰くんに、クラスメイトからノートを受け取ってきてもらえないかな、と思いまして。お願いしたくて」 内線を鳴らした、と言った俺に、神谷がふむ、と1つ頷いて、少しだけ考えるような間が開いた。 「や、やっぱり難しいですよね」 そんな使い走りみたいなこと、浜崎たちには頼みやすいけれど、他の人にはどうにも気が引けてしまう。 沈黙が、では自分が代わりに、と言うに言えない神谷の戸惑いと捉えて、断りの声を上げようとした、そのとき。 「いえ、俺で構わなければいかせていただきたいとは思うのですが…」 「あ、え…」 「ただ少々…。あの、その受け取り先というのは、学校になりますか?」 「え?あ、指定はできますけど、多分学校とか、校門のところとか、その辺りだとは思います」 「ふむ…」 むっつりと黙り込み、またも何か考え込んだ様子の神谷に、俺はハッとした。 「あっ、そうですよね。それだったらやっぱり、浜崎さんとか藍くんの方がいいですよね。紫藤くんと面識もあるし…」 神谷の尻込みが分かったと頷いた俺に、受話器の向こうから「いえ…」という歯切れの悪い言葉が返ってきた。 「神谷さん…?」 「いえ、その、面識はそうかもしれないんですが、学校…というのが、今、その…」 どうしたものかと言い淀む神谷に、俺は不審に思いながらも、そっと続きを窺った。 「あの…学校が、なにか…」 「あー、えーと…ですね、その…」 「神谷さん?」 「いえ。まぁ、いずれ知れることとは思いますが、今ちょっと、学校の方で、事件があってですね」 「え…?」 「まぁその、浜崎が出ているっていうのは、その学校に向かったわけでして、使いを頼むにはちょうどいいのですが、その…」 「じ、けん…?」 するりと耳に入ったその言葉が、思い切り頭に引っ掛かった。 「少々立て込んでいると思う…」 「ちょ、待ってください。その、事件って」 「え?あぁ、このところうちを騒がせている、爆破事件の、4標的目、だと思われるんですが」 「っ!それってまさか…」 「はい。どうやら正門付近を軽く、ということだそうですけどね、爆破されたと」 「っーー!」 ひゅっ、と飲み込んだ息が、変に喉に絡まった。 「多分、ここ数日の爆破事件の場所を考えるに、うちに対する、連続爆破事件の1つ、と考えるのが妥当だろうと。なにせその学校には、翼さんがお通いになられています」 「っ…」 「ですのでただいま浜崎が、現場の様子見と情報収集で学校に向かったところ…」 そこまで聞いたとき、不意にポケットの中のスマートフォンが、ピコンとメールを受信した。 「あ…」 「えぇと、翼さん?」 話の途中だけれど、なんだか導かれるように取り出してしまったスマートフォンの、メール画面を開いてしまう。 そこには紫藤から。件名「今」。本文の内容は「校門で爆発騒ぎ」という端的なものが、送られてきていた。 「っ…。俺が知りたいだろうと思って、送ってくれたんだね」 頭の回転の速い紫藤のことだ。ここ数日の爆発騒ぎと、それが蒼羽会関連で起きているということ。 今まさに、多分授業中だった学校で、突如起こった爆発騒ぎが何を意味しているのかを瞬時に悟った結果だろう。 「負傷者は?分かる限りで」 手早くメールを打ち返した俺は、ふと、もう片方の手で持った受話器から、神谷の声が困惑気味に俺を呼んでいることに気が付いた。 「あ、すみません。えっと、ノートの件は、またでいいです」 「え、あの、ですが…」 「忙しいですよね。また爆破事件なんて。浜崎さんも、現場に行っているんじゃ、立て込んでいるだろうし、そんなお使いのために連絡入れるのも悪いし」 「でも…」 「いいんです、大丈夫です。俺は急ぎじゃないんで!あの、神谷さんも、もし出る用事が出来たら、俺のことは気にしないでそちらを優先していいですからね」 他に動く必要があったら、下にいなくていいという俺に、神谷が困ったように苦笑したのが分かった。 「いえ、俺は翼さんの要望に応えるために待機する役目ですから…」 「そうですか。あの、じゃぁ、その、さっきのお願いはキャンセルってことで」 「分かりました」 お願いします、と声を放ち、内線を切ったところで、手の中のスマホがピコンと音を立てた。 『僕が得た情報の限りでは、負傷者なし。授業中で校門付近には誰もいなかった。前の道路にも通行人はいなかったそうだよ』 「はぁぁぁぁっ。よかっ、た…」 音の正体は紫藤から届いたメールで。その画面を一読した俺は、ひとまず「負傷者なし」の情報にそっと息を吐き漏らした。

ともだちにシェアしよう!