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第692話
「見つけました」
バァンッと開かれた収納庫の中で、俺はビクッと身を竦めながら、逆光になった人影をそろりと見上げた。
「も、もう?」
かくれんぼ開始から5分足らず。
鬼のスタートから考えれば、探し始めてからものの2、3分の出来事ではないだろうか。
「これだけ気配を振りまいておられたら、簡単なことです」
「気配…」
これでも殺してたつもりなんだけどな。
むぅ、と唸り声を上げながら、のそりと収納庫から身を出した俺は、黒幇の精鋭だと言うその鬼の男を見上げて、唇を尖らせた。
「他の人は?」
「まだです」
「うぁー、俺が1番最初かー」
くそ、悔しい。
どうやら他の護衛の人たちやアキは、まだどこぞに清々と隠れているらしい。
トップバッターで見つかってしまったことに唇を噛みながら、俺は発見された者の待機場所と指定されたスタート地点へと、渋々足を向けた。
*
「はぁ…。暇なんだけど…」
見つかってしまった俺は、待機場所のソファに座り込み、足をブラブラさせながら、刻々と過ぎていく時間を数えていた。
「っていうか、あれからもう30分は経つんだけど」
ぼんやりと待つ俺のもとに、やってくる者が1人もいないとはどういうことか。
「みんなどれだけ上手く隠れてるの…」
中国黒幇の精鋭中の精鋭。それを鬼に据えたはいいが、思えば隠れている方もほぼ同条件の男たちだった。
「これ、もしかして決着がつかないんじゃ…」
広いと言っても限りある温泉宿内だ。
小一時間もすれば、どこぞに隠れた者たち全員を見つけ切れるかと思ったけれど、なんだか雲行きが怪しそうだ。
「こんなことなら増殖ルールを採用しておくんだったな」
早々に見つかってしまった俺は、他のみんなが見つかるまで、暇で暇でしょうがない。
ならば見つかった者はそのまま鬼と化し、探す側に回れるようにしたほうがよかったな、と思う。
「あーあ、さすがだな」
思えば今も、旅館内かくれんぼのさらに外側で、対劉たちと大規模な隠れ鬼をやっているも同然なのだ。
「見つかるわけ、ないんだ…」
たかがこの旅館内ですら、これほど苦戦しているのだ。
それが建物内どころか屋外、さらに県まで越えているアキを劉たちが見つけるには、一体どれだけの日数が掛かるのだろう。
「ふふ、何もかもが桁違い過ぎる」
規模も、格も。まったくスケールが大きい。
ぶらーん、と、退屈ついでに揺らした足が、ゆらゆらと床に影を作っていた。
そうして、結局1時間経っても、俺以外の見つかった者はほんの2、3人。
残りはもう、見つかる気配もなく、鬼がギブアップ宣言をしようとした、そのとき。
「あーっ、お腹空いた。どうしていつまでも見つけてくれないんだ」
身体が痛むよ、と笑いながら、ひょっこりとアキが姿を現した。
「あ、アキさん」
にっこりと笑いながら、ぐるぐると肩を回して近づいてくるアキが、発見された者の顔を順番に見回して、クスッと皮肉気に唇の端を上げた。
「ふふ、翼は想定内。だけどおまえたちは…ふーん、なるほどね?」
にぃぃっ、と笑うアキの目が意地悪く細められて、順番に舐めるように見つめられた護衛たちが、ひっ、と息を飲んで固まっていた。
「ア、アキさん…?」
これ、ゲームだよね?
ただの遊びだよね?
なんだか殺伐とした空気に、俺はオロオロとアキを見た。
「それから?鬼はおまえだっけ?」
チロリ、と、こちらもこちらで舐めるように流し見られた鬼役の護衛が、頬を引き攣らせて短い悲鳴を上げている。
「ふふ、甘いな」
シゴキ直しかな、と笑うアキの、艶やかな顔が、ぞくりとするほど妖しかった。
「しごき…って、アキさん?」
だから、これはただの遊びでゲームなんじゃ…。
まるで見つかってしまった護衛にも、全員を見つけられなかった鬼役の護衛にも、何かを科しそうな雰囲気に、俺はごくりと唾を飲む。
そんな俺に気づいたのか、アキはふわりと優しく、俺に向かって微笑んだ。
「ん?あぁ、別に何も酷いことはしないよ。ちょっと鍛え直しが必要かな、って、劉にでも提案してみようかと思っただけだから」
ねぇ?と小首を傾げて護衛たちを流し見るアキの視線に、びくりと肩を震わせて、ピシッと固まる護衛たちが、なんだか憐れだ。
その反応を見る限り、アキの言葉がそのまま言葉通りでなんかないのだろうことは、俺にも容易く知れた。
「あの、あまり、その…」
可哀想なことはしてやってくれるなと、オロオロ訴える俺にも、アキは鮮やかに微笑むだけ。
あぁ、アキじゃない、連明貴は、下手をしたら真鍋さんより怖いかも…。
この、無邪気な表情の裏側で、アキは、冷酷無慈悲な中国黒幇首領、連明貴だったのだと、こんな時にはふと思う。
笑顔で人をとことんまで追いつめられる。この人は間違いなく、裏社会のトップに立つ人間だ。
どこぞの幹部様と似通った空気を持つアキに、ヒクリと俺がドン引きした、そのとき。
ぐぅーーーっ!
「え…?」
「あ、あはっ…」
やっばい、恥ずかしい…。
カァッと熱くなった頬を、サッと俯けながら、俺は盛大な鳴き声を披露した己の腹をぐいと押さえた。
「っ…ごめ、なさ…」
わぁっ、もう、なんでこんなタイミングでこんなど派手に。
恥ずかしさで縮こまる俺に、一瞬ポカンと口を開けていたアキが、次にはふにゃりと頬を緩めて、クスクスと盛大に笑い出した。
「っ…」
「ふふふ、うん、そうだよね。お腹空いたよね」
気づけばもう、昼近くだし。
そう笑うアキが、いい子、いい子と慰めるように俺の頭に手を乗せる。
「昼食にしようか」
「う、すみません…」
「いいや、私も隠れるのに飽きついでに、お腹が空いて出てきちゃったんだし」
気にしない、と笑うアキに、ようやくホッと身体の力が抜けた。
「ランチは、贅沢ランチ懐石に、しゃぶしゃぶ食べ放題」
「肉っ」
内容を聞いただけでジュルッと涎が出てきそうだ。
「ふふ、たっぷりお食べ」
本当、可愛い、楽しい、と上機嫌に笑うアキに、護衛たちの空気がホッと緩んだ。
「行こう」と手を引くアキに促され、俺たちは食事の膳が用意されているという一間に向かった。
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