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第700話

「ひぅっ…」 痛い、辛い、痛い。 頭の中を巡る思考が、どんどん単純化していく。 2倍に腫れ上がっているような気がするお尻は、もう痛くて熱くて、きっと猿もびっくりな赤さだろう。 「痛いぃぃ」 えぐえぐとしゃくりあげながら、グズグズと縋り付くように椅子の背もたれに額を擦りつけたら、するりとお尻を鞭で撫で上げられた。 「数は?」 「あ、え?は、ち…。はち。8回目ですっ…」 するすると何度も鞭を往復されて、俺はぼんやりしてきた頭の中で、ただ反射的に叫んでいた。 「よろしい。あと2つ」 あぁ。2度目はないと言いながら、ちゃんと待ってくれる寛大さにじんとする。 それでも必死に耐え続けた身体はかなり限界で、足はガクガクと震えていた。 「っ、っ…」 ふ、と鞭がお尻から離れていった。 来る!と身構えた身体に力が入る。 きゅぅ、と背もたれを掴む手に力を込め、目を固く瞑った瞬間、ピシリと軽い音が後ろで弾けた。 「くぅっ、あぁっ、あぅ…きゅ、っ、かい、め…」 ボロボロと溢れた涙が、椅子の座面に水溜まりを作っている。 ずずっと吸い上げた鼻水が、ツーンと鼻の奥に沁みた。 ガクガクと笑う膝を懸命に踏ん張りながら、俺はようやくゴールが見えてきた数字に最後の力を奮い立たせた。 後1回。ラスト1回。これを耐えれば終わる。 ぎゅぅぅぅっ、と歯を食いしばり、最後の1打を覚悟して待つ。 ふわり、と背後で空気が揺れ、ヒュゥッと鋭く風を切る音が聞こえた。 ピシィッ! 「くっぁぁっ…いたぁぁっい…じゅっ、か、いめ…えっ、ぇっ、うぇっ、く…」 耐えたぁ、と思った瞬間、ガクリと身体から力が抜けて、ガタンッと椅子を揺らしてその場にへたり込んでいた。 ジンジンと痛むお尻が、冷たいタイルの床に触れて気持ちいい。 俺が崩れるのと同時に俺の上から離された池田の手は、椅子が転ばないようにその背もたれをちゃんと押さえてくれていた。 「ふぇぇぇっ、うぇぇっ、痛い。いたいぃ…」 うぁーんと声を上げて泣きながら、俺はべったりと椅子の座面に頭を押し付ける。 ひゅっ、と鞭を一振りして下ろしたらしい真鍋の足音が、カツン、と鋭く響いた。 「思い知りましたか?」 「うぅっ、したっ。懲りました、反省しました、ごめんなさい。たくさん心配掛けて、勝手なことして、約束破って、本当にごめんなさい」 えぐえぐとしゃくりあげながら、必死で答えた声に、真鍋の空気がふわりと緩んだ。 「よくお耐えになりました。お終いです」 スッと一瞬頭に触れていった手は、まさか真鍋のものだろうか。 ハッと顔を上げれば背もたれの向こうにいる池田の手は椅子の背もたれを掴んだままだし、遠く壁際にいる火宮の手でありえないのは言うまでもない。 「っーー!」 真鍋さんがっ。いいこいいこまではいかなくても、頭、撫でっ…? それだけでなんだか、たまらないほど胸がきゅんとして、ぶわっと新たな涙が目から溢れた。 「う、あ、あぁ、あぁーんっ…」 みっともない。恥ずかしい。何を子供みたいに泣きじゃくっているんだろう。 だけどなんだかもう、お尻は痛いし、怒ってる大人たちは怖かったし、罰は辛かったし、でも許してもらえたみたいでよかったし、頑張ったことを褒められたみたいで嬉しいし、張り詰めていた気は抜けたし、ぐちゃぐちゃで滅茶苦茶な感情が溢れかえって、どうにも涙は止まらなかった。 「翼さん」 もういいんですよ、と池田が目の前で笑っている。 「ふっ、手当てはどうなさいますか?」 背後で多分、苦笑を浮かべている声だ、これ。 真鍋が火宮に尋ねている声から、目を細めて、その目の奥までちゃんと笑っているだろう真鍋の表情が分かる気がする。 「冷やすものだけ持って来い。俺の部屋でいい」 「かしこまりました」 カツン、とようやく革靴の足音を響かせて、腕を解いた火宮が、壁から背を離して、俺に近づいた。 「立てるか?」 「っ、ん、はい…」 俺の真横まで来た火宮が、スッと俺を見下ろして手を差し出してくる。 ゆっくりとそれを見上げながら、身体をジリジリと動かした俺は、伸ばした手で火宮の手を取った。 「いっ、たぁ…」 ぐい、と手を引かれ、反動で立ち上がった瞬間、ズキリとぶたれたお尻が痛んだ。 ジンジン、ひりひりと痛みを主張し続けるお尻には、小さな身動きも拷問並みの苦痛だ。 「クッ、まぁ道理だな」 これだけ赤く腫れているんだ、と笑う火宮を、思わずジロッと睨みつけてしまった。 「ほぉ?まだそんな余力があるか」 翼だな、と言われて、俺はハッと視線を引っ込める。 「ククッ、忘れてもらっては困るが、まだ俺からの仕置きは残っているからな?」 「っ…」 そうだった。まだ身体検査とやらと火宮からの仕置きとやらが、宣言されたまま順番待ちしているんだった。 「俺への反抗は命取りだぞ」 「っ、ぅ…」 ニヤリ、と意地悪く頬を持ち上げた火宮に、ぐぅと押し黙るしかない俺は、無言で俯いた。 その視界に。 「っあ、や…」 そういえばまだズボンも下着も下ろされたままだった、裸の下半身。 足元に溜まる下着とズボンを見つけて、俺は慌ててそれを引き上げようと手を伸ばした。 「っあぅっ、痛いっ…」 だから、このお尻でそういう咄嗟の身動きは、致命的なんだって! 忘れていた自分の頭を殴りたくなる。 反射的に飛び上がった身体が、ぴんと伸びる。 その一連の行動を可笑しそうに見下ろしていた火宮が、「脱げ」と、俺の足首に絡まったズボンと下着を示した。 「へ…?」 「だから、これではとても会長室まで歩けそうにないからな」 え?なに? するりとジャケットを脱いで、早く、と急かしてくる意味が分からない。 「ククッ、担いで行く」 「えっ?ちょっ、うわぁっ、火宮さんっ?!」 キョトンとするだけの俺に痺れを切らしたか、ぐいと足でズボンと下着を踏みつけた火宮が、そのまま俺の腰に手を回して俺を抱き上げた。 その動きでズボンと下着は完全に足から脱げ落ち、俺の身体は火宮の肩にひょいと担がれる。 「えっ?えっ?」 身体をくの字に折りたたむように担がれて、丸見えになってしまったお尻には、ふわりと火宮のジャケットが掛けられた。 「これなら痛まないな?」 「え?あ、はい、まぁ…」 多少はジャケットが擦れてヒリヒリするけれど、多分、ズボンと下着を履いて自力で歩くよりはずっとマシだ。 「ククッ、じっとしていろよ」 暴れたら落とす、と意地悪な声で言われ、俺はきゅっと火宮の背中側のシャツを握った。 「池田、開けろ」 「はっ…」 冷ややかな火宮の声に、サッと動いた池田が、部屋の出入り口のドアを開いて押さえる。 「真鍋」 「かしこまりました」 次に呼ばれた名前に、真鍋は何かを理解したらしく、スッと室内で動く姿が見えた。 「って、なんで分かるの…」 命令ですらない、ただの呼び声。 なのに真鍋はどうやら正確に火宮の言いたいことを読み取っていて。 相変わらず、この2人のこのコミュニケーション力は意味が分からない。 「ククッ…」 得意げに笑う火宮が、部屋の出入り口に向かって足を進める後ろで、真鍋が俺の脱ぎ捨てられたズボンと下着を回収して、丁寧に畳んでいた。

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