710 / 719
第710話※
「んっ…」
ぼんやりと浮上した意識に、ゆっくりと目を開けたら、すでに夜が明けていることに気がついた。
「うぁ…声ガラガラ」
しかも腰が物凄く怠い。全身も物凄く重くて、どうにも起き上がる気にならない。
「しかも、やっぱりね…」
当たり前というかなんというか、かろうじて寝室のベッドに寝かされ、身体も綺麗に清められてはいるものの、全裸に首輪という姿は、しっかり維持されていた。
「お仕置き中だってことを忘れるなってことか」
昨晩は結局、最後にはドロドロに抱かれ、ちょっとはもう許されるのかな?なんて期待してなかったわけじゃない。
火宮だって俺が火宮だけだってことを分かってくれて、普通に愛して抱いてくれていたと思うけど。
「まぁ甘くはないか」
せっかく俺を監禁して苛め抜ける機会だもんな。
あのどSが逃すはずがない。
「で?その俺を抱き潰してくれた火宮さんは?」
とりあえず、ぐるりと見回した寝室内には姿がない。ペタペタと手を伸ばして触れたベッドの上の火宮が寝るエリアは、すでに温もりもなく冷たかった。
「また嬉々として、俺を苛める方法や道具とかでも準備してるのかな」
そもそもこれから起きていき、朝食という話になれば、またあの最低最悪なディルドを銜えながらの食事が待っているはずだ。
「あー、起きたくない」
ただでさえ怠い身体を、そのままバフンとベッドに沈めたまま、俺はせめて火宮が呼びに来るまでは2度寝をしてやると決め込んだ。
「…ばさ。翼」
「んっ…後5分ー」
「翼」
「うひゃぁっ!」
トントンと、肩を叩く鬱陶しい振動と、しつこく名前を呼ぶうるさい声に限界まで抵抗していたら、突然べろりと鼻先を滑った何かに撫でられた。
「クックックッ、いい加減、起きろ」
「うぁぁ、もう、何するんですか」
どうやら火宮に舐められたらしい鼻を、グシグシと擦りながら、俺はもそりと火宮を睨んだ。
「あまりに遅くまで寝ているものだからな」
もう昼だぞ?と笑う火宮に、俺はハッとして枕元のスマホを手に取った。
「え…?だって1度起きたときはまだ朝で…。それから少しうたた寝をしちゃっただけで…」
昼?!と驚いた俺が、見下ろしたスマホの画面には、確かに正午を2分ほど過ぎた時刻が表示されていた。
「うわぁ」
「ククッ、おまえの『少し』は何時間だ」
楽しそうに喉を鳴らしている火宮の機嫌は、いい。
だから俺も、ほんの少しだけ気が緩んだ。
「火宮さんが抱き潰すから疲れているんですー」
ベーッと舌を出して悪態をついてやれば、火宮が薄く目を細めて、サディスティックに笑った。
「ふっ、さっさと起きて、顔を洗って来い」
昼食にするぞ、と囁く火宮に、ギクリと身体が強張る。
「ククッ、思い出したようだな?おまえはまだ、仕置きの最中だぞ」
「う…」
ニヤリ、と持ち上がる火宮の口元を見て、ピクリと頬が引き攣った。
「っ、っ…?」
火宮の言いつけ通り、起きて顔を洗ってダイニングに顔を出した俺は、覚悟を決めて引いた自分の椅子に、何の細工もないのを見て、目を白黒させた。
「ククッ、どうした」
座れ、と笑う火宮の目の前のテーブルには、サンドウィッチとお洒落なパスタ、胃に優しそうな野菜のスープが並んでいる。
「えぇっと?」
うん。テーブルの上を見る限り、昼食、で間違いはないと思うんだけど。
これから毎食、食事の際はごにょごにょ…って昨日言っていたやつは、どうなったんだろう?
「ククッ、なんだ。何か言いたいことがありそうだな?」
「っ…」
ニヤリ、と笑った火宮の顔は、俺が何に戸惑い、迷っているのかを明らかに察していて、俺は鋭く息を飲み込んで、パッと首を振った。
「別にっ…」
そうだ。火宮がしないと言うんだったら、自ら墓穴を掘り下げる必要なんてない。
ないならないで万々歳だ。平和に穏やかに食事ができる大チャンスじゃないか。
「ククッ」
それがすっかり火宮の計算内で、そんな風に思考することが完全に火宮に染まり切っている証だということには気付かずに、ササッとなんの変哲もないダイニングチェアに腰を下ろしたら、火宮が愉しげに含み笑いをして目を細めていた。
「な、何ですか?」
「クッ、いや?ただ、おまえは相変わらず飽きないな、と思ってな」
たまらない、と笑う火宮に、俺はポカンと口を開けた。
「どうした?」
「あ、いえ…っ、っ」
ふわり、と目を細めて、完全に緩み切った火宮の笑顔に、カァァッと頬っぺたが熱くなる。
この人が声を上げて笑うことさえレアなのに、さらにこんな風に完全に気を緩めて無防備に笑顔を晒すだなんて、もう堪らないのはこっちだ。
「っ、す、き…」
「ん?翼?」
「好きです、愛してる」
ポロリと、本当に何も意識せず、零れ落ちるように溢れ出てしまった言葉に、ジーンと涙が溢れた。
「翼…」
「あっ、やっ、違っ…。あ、いえ、違わない…違わないんですけど、違っ…」
あぁぁぁ、どうしよう。
何を言ってるんだか、何をしてるんだか、自分で自分がわけわからない。
グシグシと、溢れてしまった涙を必死で掬っては拭いて、拭いてはまた掬うけど、後から後から零れる涙が、何故か止まらない。
「あはっ、あは、や、やだな…どうしたんだろ、俺」
まるで涙腺がバカになっちゃったみたいに、ポロポロ、ポロポロ、落ちる涙が溢れ続ける。
「翼」
不意に、ゆるりと目を細めて、愛おしい、愛おしいと語る火宮の柔らかい呼び声が聞こえ、きゅぅっと胸が切なく震えたところに、ふわりと優しい指先が伸びてきた。
「翼」
クッと笑う火宮の顔から暖かい愛が溢れていて、スッと優しく俺の涙を掬い上げていく指先から、たまらないほどの愛情が伝わってくる。
「っーー!あなたをっ、愛してるっ」
ぶわっと荒れ狂った激情で、俺はダイニングテーブルを乗り越えて、火宮の胸に飛び込んだ。
「俺はあなたの笑顔で幸せになれるっ。あなただけが俺の全てを動かせてっ、あなたの全てが、俺の幸福ですっ…」
「翼…」
「あなたでよかった。あなたと出会えて、あなたを愛せて、あなたに愛されて、俺はっ…。あなたは危険な組織の上の方にいる人で…平穏が崩れる音を何度も聞いて、この先も、きっとその音が迫らない保証なんて1つもないけど…っ」
ぎゅぅっ、としがみついた火宮の身体からは、規則正しいトクン、トクンという命の旋律。
「俺はその度に、あなたの笑顔を、こうして取り戻したいっ…。その度にあなたの笑顔を、必死で守りたい…っ」
「翼」
「俺は、蒼羽会会長、七重組理事、火宮刃の。唯一、絶対の、パートナーですっ。あなたの、笑顔が、俺の幸福だ…っ」
「翼」
「愛してる。愛しています、刃。あなただけを。あなただけが。…っ、無事でっ…爆弾なんかに奪われずにっ、よか、った」
うわぁぁぁ、と思わず声を上げて泣いてしまう俺は、ようやく気がついた。ようやく実感した。
「翼…」
「こわっ、怖かった…。本当はすごくすごく心配で、すごくすごく怖くって…。刃の屈託のない笑顔を見たら、それに気づいちゃって…」
情け無い。俺は、危険と知ってこの男を愛した、蒼羽会の姐なのに。
「あなたの笑顔が、俺に実感させちゃった…」
「翼?」
「俺の望みは…」
ただ1つ。
この、穏やかな笑顔が、傍らに永遠にあること。
「っ、愛して、います…」
ぎゅっと火宮の顔を両手で両側から挟み込み、ぐいっと引き寄せて自らの顔を近づける。
「翼…」
「俺は弱い…。あなたの喪失を考えるだけで、気がおかしくなるほどに弱くて脆い…だから」
「翼」
「傲慢なのは分かってる。だけど、俺は必ずあなたを守る力を手に入れる…。俺のために、あなたをどんな危機からも掬い上げる力を得てみせるから…」
チュッ、と触れた唇を、薄く開いて、チュッ、チュッと口付けを深くしていく。
「んぁっ…」
「翼」
「待ってて、刃。待ってて下さい」
「翼?」
「ふふ、この、笑顔を。俺に、守らせて下さい」
俺のために。俺だけの火宮刃を。
チュゥッと再びキスで攻めた俺に、やられっぱなしは性に合わないと、火宮の舌が乱暴に応戦してくる。
「んっ、はっ、あ…んんっ、ん」
クチュリ、グチュリと口内を掻き混ぜられ、舌を絡め取られ、火宮の膝の上に、向かい合わせで乗っかった身体が、ゆらゆらと勝手に揺れてしまう。
「んっ、んんーっ、ンッ…」
あ、やばい…と思ったときには、もうすでに時遅く、すっかり忘れていたけど、全裸に首輪1つの身体では、身を隠すものなど何もなく、ゆるりと頭をもたげてしまった性器が、余すところなく俺たちの間に晒されてしまっていた。
「ククッ、本当におまえはな。どこまで男前だ」
「あっ、やっ、火宮さっ…」
「ここもばっちり雄を主張して」
「はぅっ、あっ…」
「クッ、心配を掛けた。けれど、俺は必ずおまえの元に帰る。俺の居場所はここだ。ここだけだ」
そう幸福そうに囁いて、俺の心臓の辺りをトンッと指先で突いた火宮が、ふわりと笑う。
「俺の全ては」
「俺の全ては」
「おまえのものだ」
「あなたのものです」
ぴったりと重なり合った心に、幸福の足音が聞こえる。
クチュリ、昨夜の名残ですっかり緩んだ後孔に、再び潜り込んでくる、愛おしい人の、愛しい熱が、たまらなく心を震わせた。
ともだちにシェアしよう!