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第711話

「それで、これは…?」 ふと、小さく浮上する意識の向こうに、冷たく呆れたような声が聞こえた。 「ククッ、仕置き中だが。可愛いだろう?反動だ」 「……」 ゆらりと揺れる身体を感じたけれど、まだ目蓋を持ち上げるには、気力が足りなかった。 「あまり見るなよ。減る」 「はぁぁっ、あなたは…」 何をしていらっしゃるのですか、と疲れ果てた溜息が聞こえ、あ、これ、真鍋さんの声だ、なんて、夢のこちら側で思う。 「連の一件の仕置きにな、2泊3日、俺に縛りつけてやろうと思ったのに…縛りつけられたのは俺の方だったか」 ククッ、と笑う、特徴的な声に合わせて、ゆらゆらと身体が揺れる。 「会長…」 「俺にもこいつだけだ」 「……」 「こんなに愛おしく、こんなに執着するのはな。心配したんだと。だから、俺を離さないと、離れないと、すっかりくっつき虫だ」 笑えるだろう?と言いながら、笑う誰かの声と、揺れる身体を感じる。 「はぁっ。私は別に、会長が裸の翼さんにがっちりしがみ付かれていても、会長がそれを心底嬉しそうに膝の上に抱えてヤニ下がってくださっていても、この必要書類にサインさえ頂けたらそれでよろしいのですけれどね」 「3日は休暇だと言っただろう?」 押し掛けやがって、と嫌そうに歪むこの声は、そうだ、火宮のものだ。 「そうも言っていられないことは、会長もお分かりでしょう?」 「チッ、事後処理など、どうとでもすればいい」 面倒くさい、と突っぱねる、この拗ねた子供みたいな声。 「なら、制裁ついでに、こんな厄介な裏カジノの権利など、奪わなければよろしいものを」 あなたにしか決裁できませんよ、と、書類でも差し出したんだろう、パラリと紙が擦れる音がする。 「ククッ、やつらがやけに最後まで執着していたものでな」 「まぁ、そこそこの利益を上げている、美味い収入源ではあったようですけど…」 「手放せなかったのは、裏カジノの所有権自体や利益ではない」 「と、言いますと、それに付随する、後ろ暗いものを抱える顧客のリスト、ですね」 「さすがか」 クックッと揺れる身体に、そろそろ眠りにしがみつくのも限界になってきた。 「すでに抜き取り済みです」 「クッ、抜かりないな。どうだ?有名芸能人や、どこそこの官僚や政治家の名前でも出てきたか」 「ふっ、手持ちのカードは、増える一方で」 にっこりと、楽しげな声に聞こえるのに、どこかに冷え冷えとしたナイフのような鋭さを感じるのは気のせいか。 「ククッ」 「では、そうしましたら、後は旨いところだけ吸い上げて、このような、いつ摘発されてもおかしくないような厄介な取り物は、さっさと潰しますよ?」 「任せる」 ではサインを、と促す声に、ゆらりと動いた身体に、ぼんやりとようやく目蓋を持ち上げる気になった。 「んっ…」 あぁ、ぎゅっとしがみついた身体から、火宮さんの匂いがする。 「ククッ、まだ寝ぼけているのか?」 可愛いな、と額を掠める温もりは、火宮の唇だった。 「んぁ…」 あぁ好きだなぁ。大好きだ。 きゅぅ、と力を入れた腕の中に、火宮の身体がある。 「あぁそうだ。やつらの始末だかな。手土産ついでに、連にくれてやれ」 「はっ…」 「向こうの方が、簡単に上手く捌けるだろう?」 「かしこまりました」 うわぁ。聞いちゃった。 その、捌く、が魚等を捌く、というのと同じ意味で使われているんだってことは、この人たちの生業を知っている俺には正確に知れた。 「殺したんですか?」 不意に目を覚まし、ゆるりと頭の上に見える火宮の顔を見上げたら、クッと喉を鳴らした火宮が、意味ありげに目を細めた。 「知りたいか?」 「そうですね…。でも、俺は答えが分かっているような気がします」 だってあなたが、躊躇いなく俺に触れたんだよね。 「ククッ、おまえはいつでもいつまでも眩しい」 「刃…」 「ふっ、真鍋。もうないだろうな?」 「はい。緊急のものは以上になります」 スッと頭を下げた真鍋が、スマートに立ち上がる。 「分かった。もう2度と邪魔してくれるなよ」 「失礼します」 「ククッ、では俺は翼と、残りの仕置き時間ずっと、べったり過ごしてやる」 「へっ?火宮さん?」 あれ?ここからはもう意地悪はもうお終いで、らぶらぶ、イチャイチャ、甘やかしてくれるっていうこと? ホッと期待に力が緩む俺は、相当甘いらしい。 「1分1秒も離れずに…。おまえの呼吸以外の全ての営みを俺が手ずからしてやるからな」 「え…?えぇっ?」 いや、それって、甘やかすっていうか…。 「ふっ、ですからあなたはお甘いのです」 会長が言葉通りに甘いわけがないでしょう?と目を細めて笑う真鍋の視線に、俺はウッと言葉を詰まらせた。 「ククッ、喜べ、翼。残り2日間、おまえにべったり密着だ」 「あー、いや、それは、遠慮…」 なんちゃら24時とかじゃないんだからさ。 やめようよ。って言うか、やめてくれ。 「遠慮するな。俺がおまえの下僕同然なんだぞ?」 嬉しいだろう?って? いや、嬉しくないから! トイレとかお風呂とか、1人でしたい。頼むから1人でさせて…。 「くれるわけがないんですよね」 なにせ後2日は『お仕置き』期間中なんだもんね…。 やっぱり火宮はただ甘いだけなんてことはなく、しっかりはっきりサディストで。 「意地悪…」 「そんな会長が、お好きでお好きで仕方がないという目をされましてもね」 はぁ、やってられない、と溜息をついた真鍋が、チラリとこちらに流し目を送り、「お風邪だけはお召しにならないように」なんて言い残して、部屋を出て行った。 「っ、風邪って…俺裸っ!」 うわぁ!すっかり忘れていた。昨日から着衣を許されていないせいで、微妙に違和感がなくなりつつあった。 「クックックッ、この翼の裸を見て、あぁも淡々としていられるやつは真鍋くらいのものだろうな」 こんなに可愛いのに、じゃないですよ! 「やはりあいつは人間離れしているな」 「だからっ、そうでもなくて!気づいていたんなら教えて…っ、ていうか、隠して下さい!タオルとかシーツとか服っ…」 くれればいいでしょうっ?と半泣きになる俺に、それはそれは愉快そうに、火宮は鮮やかに微笑んだ。 「っ、このどSーッ」 「嫌よ嫌よも好きのうちか」 あぁぁぁ、なんて話が通じない…。 まったく会話にならない火宮の唇が、ニヤリと愉悦に吊り上がり、ゆったりとそれが、さらなる暴言を吐こうと開きかけた俺の唇に重なった。

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