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第6話
「あのー、これ、ありがとうございます」
「いえ。社長のご意向ですので。よくお似合いです」
クールを通り越した無表情で言われても、お世辞なんだか本心なんだかさっぱりわからない。
「あー、どうも」
当たり障りなく答えるしかなかった俺にも、真鍋の表情はわずかも動かなかった。
能面みたい…。
そろーっと真鍋を窺っていたら、さすがにその目が怪訝な色を宿した。
「何か?」
「っ!あ、いえ。えーとその…」
冷たいとは違う。だからといって温かいとは程遠い。強いて言えば、無感情の視線なのか。
「えーと、火宮さんは?」
実はトイレだったとか、と予想した俺の考えは、あっさり否定された。
「社長でしたら出社なさいました」
あぁそう。出社。
「って、え?会社?」
「はい。昼間は基本、社の方に仕事に出ています」
ヤクザと出社という言葉がいまいち繋がらず、頭の中にあれこれと想像が湧き上がる。
「仕事って…」
俺の勝手なイメージだと、日本刀が飾ってある棚と、達筆な習字が掲げられた壁の前で、両脇に護衛の人を従えて、重役椅子にふんぞり返り、床で土下座している哀れな人を睨みながらドスのきいた声で…。
「ごく普通に社長業をこなしています。書類仕事から商談、接待、社の経営に関する全ての業務です。正規のクリーンな企業ですよ」
内心を読まれたわけではなさそうだが、真鍋の視線がさらに冷ややかになった気がするのは気のせいか。
「あははー」
そもそも、自らを極道と名乗る人が社長の時点で、それってクリーンって言えるんだろうか。
「法を侵しているわけではありませんので」
「わっ?!え、俺、何も言ってませんよね?」
まるっきり内心を見透かされているようで恐ろしい。
「目が…いえ、ですので、社長は夕方までこちらには戻りません」
ニコリともしない真鍋の顔は相変わらずの無表情で、声も恐ろしく平坦なまま。
内心が全くわからないが、少なくとも不愉快という感情すらも感じないのは救いか。
「えっと、真鍋さんは?どうしてここに」
お留守番?と呑気に考えた俺に向くのは、今度は呆れた視線だった。
「今日は翼さんへお伝えすることと、いくつか確認事項がありましたので、ここでお目覚めまで待たせていただきました」
あれ?それ、責めてる?
確かにもう10時過ぎだけど…。
「普段は真鍋さんも会社?」
「ええ。社長の秘書をさせていただいております」
「え、あ、そ、そうなんだ。なんかすみません」
たぶん、俺が中々起きて来なかったから、火宮にここに残されてしまったんだろう。
ちょっと申し訳なくなってくる。
「いえ。社長のご命令ですので」
それに対して、快不快を述べることはないと言わんばかりだ。
「あ、そ、そうですか…」
「勘違いなされているようですが、私は社長がお連れになったあなたへの、伝達事項と確認を仰せつかっただけです」
「はぁ」
「社長がお連れした愛人の管理も仕事のうちと心得ておりますので」
絶対服従でやっていることではない、と、真鍋の目が語っていた。
けれど俺が引っかかったのは…。
「あ、愛人〜っ?」
「衣食住の経済援助を受け、社長に所有される。愛人以上でもそれ以下でもありませんよね」
何を驚いているんだ、と言わんばかりの冷たい真鍋の視線だった。
「そっか…。そうだよな」
言われてみればその通り。
まぁ、ペットでも囲われ者でも呼び名はなんでもありだろうけど。
「男の…少年というのは初めてですが、社長があなたをお手元に置く限り、私もあなたをそう認識し、接しさせていただきますので」
あくまで個人感情はない、と告げる真鍋には、俺は本当にただの火宮の所有物の1つというだけのようだった。
「はい」
それならそれと割り切っている方が、俺にも楽だ。
変に気を使ったり、下手に馴れ合ったりする必要がないわけだから。
「そうしましたら、お伝えすることですが」
「はい」
「まず、昼間、社長がご出勤中は、この部屋から1歩も外に出ませんよう」
いわゆる軟禁か。
「勝手な外出や、ましてやお逃げになろうなどとは考えなさいませんように。社長の許可がない限り、ここから出ることはお許しにならないそうです」
「わかりました」
別に行きたいところも会いたい人もいない。
借金を代わりに返してくれると言い、生活の保障までしてくれる火宮から逃げたいなどとも思わない。
この家に引きこもっているくらい、簡単な命令だ。
「食事は時間に準備させていただきます。何か入用なもの、買い物等がございましたら、社長に直接か、私へ連絡下さい。買いに行かせます」
「連絡?」
「はい。こちらが連絡用の携帯電話です。電話帳1番が社長の番号、2番が私です。念のため3番に社の番号が入っています」
うわー、これ、最新機種。
「何かありましたらそのいずれかにご連絡下さい。また、この番号を他人に教えることと、中の番号を誰かに漏らすことはお控えください」
「はーい」
だから、言う人いないって。
「あとは、当面の衣服がそちらに」
「え…」
そちらって、あのわんさか置かれたショ袋?
真鍋が示した部屋の片隅に置かれていたショッパーは、1つや2つじゃなかった。
「しかもあのロゴ、ブランドの」
袋に印字されたデザイン文字や絵は、さすがに俺でも知っている、有名ブランド店のものたち。
「収納場所は社長にご相談下さい」
「あー、はい」
中身を見るのも恐ろしい。
量といい、質といい、きっと旅立って行った諭吉さんの人数を数えるのも億劫になるだろう。
「そうしましたら次は食に関しての確認ですが」
火宮の金銭感覚についていけない俺をスルーして、真鍋の話はさっさと進んでいく。
「朝食は和洋どちらかお好みはありますか」
「へっ?」
「ご飯かパンか、と」
「あー、別にどちらでも」
そこにこだわりはない。
「わかりました。では昼食ですが、昼食のみリクエストにお応えすることが可能です」
「リクエスト?」
「社長は社や外で済まされますので、昼は翼さんの分だけこちらに準備させていただきます。食べたいものがあるようでしたら、私にご連絡下さい」
昨日も寿司が届いたし、毎日デリバリーとか好きなものを買ってきてくれるってことだろうか。
「自炊って駄目なんですか?」
もったいないよなー、と思う俺は、普通階級のど庶民だ。
借金を背負って以来、その日食いつなぐだけで必死で、まともなものは作っていないが、本来そこそこの料理くらいはできる。
でも真鍋には、俺の発言は突拍子もなかったようだ。
「自炊、ですか?」
能面の無表情だったものが、驚きを貼り付けている。
なんだ、そんな人間らしい表情もできるんじゃん。
「はい。材料があれば、自分で作るし」
「……。社長に確認しておきます」
そんなに意外なことを言っただろうか。
戸惑ったままの真鍋の表情は、なかなか元に戻らなかった。
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