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第21話

「翼。翼?」 「んー?」 「翼!」 「うぁ?はっ、はい!」 まずい。いつの間にか居眠りしてしまったらしい。 気がつけば車はどこかの駐車場のようなところに止まり、火宮が隣で俺を呼んでいた。 「す、すみません」 「フッ。大分消耗しているか」 小さな苦笑を浮かべている火宮は、怒っているようではない。 「これから少し歩くが、大丈夫か?」 むしろ、緩やかに微笑んでいる顔は、俺への気遣いを見せている。 「大丈夫です。すみません」 「いや。じゃぁ下りてついて来い」 運転席側のドアから下りた火宮を見て、俺も助手席側から車外に出た。 え?デパート? 火宮の後を追って入った建物は、有名ブランド店が軒を連ねる高級百貨店だった。 「何か買い物ですか?」 「まぁな」 俺を連れてきたってことは、荷物持ちだろうか。 正直、力的にも体調的にもあまり役に立てるとは思えないが、仕方ない。 「頑張ります」 「は?」 「え?」 思い切り怪訝な表情を向けられて、俺は何か外してしまったかと焦った。 「あれ?荷物持ちですよね?」 「は?おまえが?プッ…」 「え?え」 「その華奢な身体で荷物持ち?おまえを使うくらいなら、下っ端の1人2人を呼び出すよ」 小馬鹿にしたように笑われ、さすがにプライドが傷つく。 「華奢って…でも、少しくらいなら力だってあります。それに、プライベートには部下はどうのとか言っていたじゃないですか」 はなから役立たずと言われているようで、ムッとなりながら文句が出た俺を、火宮が可笑しそうに見てくる。 「本当、負けず嫌い。別におまえを見下したわけじゃない。おまえの役目はそうじゃないだろう?」 「え…?」 俺の役目? 荷物持ちじゃなきゃなにが、と思ったとき、ちょうど目的の店に着いたらしかった。 「ここだ」 「え?」 火宮が足を踏み入れた、明るく清潔感溢れる店舗。 入り口にディスプレイされているのは、食卓をイメージしたテーブル。 棚に並んでいるのは、お洒落な食器類や、鍋やフライパンなどの調理用品。 「え?調理器具屋さん?」 「あぁ。必要だと思うものを好きに選べ」 スタスタと店内に歩いて行ってしまう火宮についていけなくて、俺はぼんやり立ち止まってしまう。 「え?選べって…」 「翼。なにをぼさっとしている。おまえが言ったんだろう?」 「言ったってなにを…」 「自分で飯を作りたいって。真鍋からそう聞いているが」 違ったか?と振り返った火宮の言っていることが、ようやく理解できた。 「いいんですか?!」 「だからこうして調理器具を買いに来たんだろう?」 「っていうか、ないんですか?調理器具…」 あの立派なマンションには、とても立派なキッチンが存在していたはずだが。 「ないな。俺は料理を一切しない。コーヒーくらいは淹れるがな」 そういえば、あまり漁ってはいないが、キッチンにはやかんすらなかった覚えがある。 コーヒーは仕方なくサーバーのお湯でいれた。 「あれ?でも、朝食…」 確かに夜と昼は既製品だったが、朝の料理は手作りだと思っていた。 「あぁ。下で作って持って来たんだろう」 「下?」 「真鍋が説明しなかったか?下の階に、使いっ走りが何人か住んでいる。そいつらの誰かに作らせたんだろう」 当たり前のように言う火宮の常識は、俺の非常識だった。 「料理人を抱えているってこと?」 「料理人?まぁ、誰だったかが、調理師免許を取るだか取っただかで、修行はしていたらしいが」 よく知らん、と大して興味がなさそうな火宮は、その料理を食べたことがないのか。 「火宮さんは朝食はどうしているんです?」 「基本、コーヒーだけだが」 「えーっ?朝はちゃんと食べなきゃ駄目ですよ」 「必要なときは、ベーカリーから持って来させる」 その口調から、それは月1回もないだろうことが窺えた。 「よく保ちますよね…」 朝を抜くなんて、俺からしたら考えつかない。 お金が無くなってからは、そりゃ仕方なく抜く日も多かったが、そんな日はもう昼前にエネルギー不足で沈没していた。 「くくっ、別に空腹で困ったことはないが…そうだな、翼が作るんなら、食べてやってもいい」 「えっ?」 「うん、そうしよう。さしあたり、今日の夕食はおまえが作れ」 火宮が、いいことを思い付いた、と言わんばかりに楽しそうな顔をする。 だけど、そんな呑気な思いつきをいきなりされても困る。 「ま、待って下さい!俺の料理って!俺、本当、庶民の家庭料理しか…」 とても火宮の口に合うような料理が作れると思えない俺が慌てるのを、火宮はなんだ、という顔をして見てくる。 「別になんだって構わん。そうと決まれば、早く器具を買うぞ」 「買うぞって、えっ、えーっ」 ただ、毎回仕出しや中食なのがもったいないから、自炊したいと思っただけなのに。 なんだかとんでもないことになってしまった。 これまでの食事を考えるに、火宮の舌は相当肥えていると思われる。 「それが、こんなど素人の庶民料理?」 荷が重すぎる。 「おい翼、鍋はこれでいいのか?」 「は?え?」 何故か楽しそうに、さっさと調理器具を選んでいる火宮が、大きな鍋を手にしている。 「ちょ、ちょっと待って下さい!なんですか、それ。何人前作るつもりですか?業務用ですか…」 無駄に大きな鍋を選んでいる火宮に駆け寄り、俺は慌ててそれを棚に戻させた。

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