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第23話

そうして結局、調理器具一式を購入してしまった火宮。 支払いのときに示された金額の桁数は、見てはいけない、と自分に言い聞かせた。 だけどチラリと見えてしまった火宮の手の中のカードの色は、黒かった。 「ヤクザが儲かるなんてー」 やっぱり納得行かないなー、と思っていた俺は、火宮の呆れ果てた目が向いてハッとした。 「全くおまえはな…」 「ッ!口に出てた?!」 「だから、合法の会社経営をしていると言っているだろうが。そろそろペナルティーだな」 やばい。火宮の目が冷たい。 醸し出す雰囲気も、わずかに温度を下げている。 「あ、う、そのっ…」 じりじりと近づいてくる火宮の、俺を見据える瞳が妖しい。 やばい、やばい、やばい。 頭の中をその一言のみが駆け巡り、焦る気持ちは思考回路を残してくれない。 「ひ、みや、さんっ…」 「暴言の過ぎる口にはお仕置きだ」 伸びてきた手にぐいっと顎を掴まれて、痛みに顔が歪んだ。 「ッ!」 なっーー。 いきなり、火宮の唇に口を塞がれ、頭が真っ白になった。 「ンッ、ふっ…んッ」 吸い込み損ねた息が苦しい。 強引に、乱暴に、口の中を舌で犯される。 「ンッ、はッ…」 飲み込みきれない唾液が、口の端からタラリと溢れる。 近すぎて焦点のぼやけていた美貌が、ゆっくりとクリアに見えてきた。 「ふ、ンッ…はァッ、火宮っ、さ…」 腰が、抜けた。 咄嗟に目の前の身体にしがみついた両手も力をなくし、ズルズルと火宮に縋るように床に座り込んでいってしまう。 「ッ、あ…」 助けてくれることもなく、支えてくれることもない火宮に見下ろされ、ゾクリと身体が震える。 見上げたそこには、艶やかで意地悪な、サディスティックな笑みを浮かべた火宮がいた。 「フッ、やはり感じやすい」 「っー!」 「翼、謝罪だ」 悠然と佇み、目を眇めて俺を見る。 「っあ…」 「無礼な口をきいてごめんなさい、だ、翼。言え」 絶対的支配者の声だった。 逆らうことを許さない命令口調が、俺の自由意志を奪い去っていく。 「っ、ァ…ご、め…」 痺れたようになっている頭と身体が、上手く動かずに喘ぐような呼吸が漏れる。 「翼」 「ッ!ごめっ、なさい…。無礼な口をきいて、ごめん、な、さい…」 床に座り込んでいるから、頭をガバッと下げたら、土下座みたいになる。 目の前には、高級そうな火宮の革靴の足先が見える。 震える身体をジッとそのまま留まらせていたら、頭上の空気がふわりと揺れた。 「いいだろう。顔を上げろ」 「ッ、はい」 「翼、忘れるな」 「っ…?」 「おまえは、『その』俺が儲けた金で、生かされている」 「っーー!は、い…ごめん、なさい」 傲慢に唇の端を吊り上げた火宮は、そんな表情でも憎らしいほどイケメンだった。 「立て。行くぞ」 「っあ、はいっ…」 ふと気づけば、ここは百貨店の店の中だった。 客足はまばらとはいえ、いないわけではない。 こんな公衆の面前で…。 「ひ、ひ、火宮さんっ…」 「なんだ」 「ッ、いえ、その…」 なんでこの人、こんなに平然としているんだろう。 こんな人目のある場所で、キスとか、土下座とか、周りの好奇の目が気にならないんだろうか。 「翼?どうした。まだ腰が立たないか?」 「っな…」 聞こえるって!恥ずかしいってば! ちらほらいる客が、こちらを気にして聞き耳を立てているんだから。 「まったく、心臓に毛が生えているんじゃ…」 慌てて立ち上がりながらまたもうっかり滑りかけた口は、火宮の壮絶に冷たい目が向いて途切れた。 「本当、おまえは。それこそおまえのことだろう」 今の今で、すでに暴言。 呆れた火宮の言葉は、確かに否定できない。 「ウッ、すみません…」 「仕置きが足らなかったか」 ニヤリ、と笑う火宮の顔が怖すぎる。 「ッ!いえ!十分です、ごめんなさい、もう言いませんっ」 またこんな人前でキスとか、腰砕けにされてはたまらない。 いや、2度目だから更にどんな目に遭わされるかわかったものじゃない。 ブンブン首を振って後ずさりながら、必死で許しを乞う俺を、火宮の楽しげな目が見つめてきた。 「ハッ、ハハッ。本当、おまえは飽きさせない」 悠然と笑いながら、火宮がゆったりと歩き出す。 良かった。怒ってはいないみたいだ。 「翼。ちゃんとついて来いよ」 「っ、はいっ」 振り返らずに、俺が従うことを疑わない背中を、俺は裏切ることなく追いかける。 チクリ、チクリといくつかの視線が周囲から背中に刺さったが、俺はひたすら無視を決め込んだ。

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