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第69話
「うはぁ、腫れたなー」
翌朝の目覚めは最悪だった。
パリパリと引き攣れる瞼と、ずっしりと重たい目。
まぁ泣いて眠れば当たり前の結果か。
「はぁっ…」
それに加えて、今日は身体じゃなく、心が重い。
「んーっ。起きるか」
いつまでもベッドでグズグズしていたら、余計に気分が沈む。
俺は大きく伸びを1つして、スルリとベッドを抜け出した。
「ん?翼?」
「え?っ、火宮さん…」
「あぁ。今日は早いな。いや、俺が遅いのか」
クックと笑う火宮がリビングにいた。
「お、はよう、ございます…」
「あぁ。…どうした?」
ゆったりと近づいてきた火宮の手が、俺の顔に伸びた。
「涙の跡。怖い夢でも見たのか?」
くくっと揶揄うように笑っている火宮の指が、俺の頬をツゥーッと撫でた。
「ッ!怖い、夢って…俺はそんな子供じゃありません」
いくらなんでも、悪夢くらいで泣く年じゃない。
「ククッ、そうだな。おまえはこどもじゃなかったな」
ニヤリ、と意地の悪い笑みを浮かべた火宮の言いたいことが、手に取るように分かってしまう自分が悲しい。
「っ、朝っぱらからっ!何を言い出すんですかっ」
「ククッ、何って、ナニをしてる関係だよな?オトナのな」
スゥーッと頬から胸へ、胸から脇腹へ、そしてスルリと後ろに滑って行った火宮の指先が、お尻の上でピタリと止まる。
そこに留まった手が、尻たぶをいやらしく揉んできた。
「ッ…」
「フッ、今日はぶたせるなよ?」
「え…?」
「真鍋が、多分夕方前には来られるだろう」
「あ、そうなんだ…」
家庭教師、今日はあるのか。
「課題は?」
「終わってますよ」
バッチリ、と自信たっぷりに火宮を見上げる間も、尻を揉んでくる手は止まらない。
「ふぅん」
「あの…」
「なんだ」
「や、その、手…」
痛くも不快でもないんだけど。
いや、逆に微妙に気持ちいいからヤバい。
「手?ククッ…」
っ!むしろ足!
わざとお尻を揉んでいる方ではない左手を持ち上げて見せて。
それと同時に膝を軽く曲げて突き出し、俺の足の間にグリグリ押し付けてくるとか。
本当、性悪。
「やめっ…んっ、ふっ…ぁ」
「ククッ、どうした?何か当たるぞ」
だから、当たるんじゃなく、当ててるんでしょうが!
膝に、人の性器を!
「意地悪っ…やめっ、いや…」
「フッ、嫌と言う割に、ここは」
「っ、朝、だから…」
そう。健康な16歳男子。
それは朝の生理現象だ。そうだ。
決して火宮の手と足に感じているわけではない。
「ククッ、まぁいい。そろそろ出る時間だ」
「ふぁっ…?」
突然あまりにあっけなく、スッと引かれてしまう足と、離れていく右手。
「約束、覚えているな?」
「約束…?ッ!な…、う、はい」
自分で触れるの禁止。
こんのどSッ!
全力で睨みを利かせてやるものの、涼しい顔の火宮はどこ吹く風だ。
「クックックッ。いい子にしてろよ」
「っーー!」
ポンと頭に乗った手に、殺意すら覚える。
「行ってくる」
「っ…行ってらっしゃい!」
いーっ、と剥き出した歯を思い切り火宮に向けてやる。
ヒラリと身を翻した火宮は、やっぱりそんなものに堪えた様子はない。
後ろ姿までイケメンな、ダークスーツの背中を腹立たしさと共に見送る。
「あぁそうだ」
リビングの出口で、不意に振り返った火宮が笑う。
綺麗に整った美貌を、鮮やかに企み顔に歪ませて。
「美味かったぞ」
え?
ポカンと固まった俺を嘲笑うかのように笑みを深めて、火宮はそのままスルリとリビングから消えて行った。
「え?え?美味かったって、まさか」
バタバタとキッチンに走った俺は、コンロに置いてあったロールキャベツの残りの鍋と、温め直して今朝食べようと、ラップをかけて置いておいたグラタン皿が、綺麗さっぱり空になっているのを見つけた。
「ッ…ずるいから。反則だから…」
こんなの…。こんなのっ…。
「っ、く…ひっ、く…」
なんで。昨日は帰って来なかったくせに。
女のところに行ったくせに。
「俺の、分なのに…。俺の朝ご飯なのに」
火宮のために残しておいたわけじゃない。
火宮の口には入らないものだと、昨日諦めたのに。
「食べてくれたっ…。美味しいって…」
ズルすぎる。悔しい。
本命、いるんだろ。
ちゃんと女がいて、俺なんかただの玩具で。
「っく…ひっく…」
なのに嬉しい。
料理、食べてくれた。
ただそれだけのことが、苦しいほど。
あぁ駄目だ、もう誤魔化せない。
頬を伝う水滴の意味が、痛みと共に胸を刺す。
「ふぇっ…ひ、っく…なんで」
ガクッと挫けた膝が、ヘナヘナと床に落ちた。
「っ…気づきたくなかった。知りたくなかった…」
両目を覆うように顔に当てた右手の平が、目から溢れる水滴で濡れる。
「報われないんだ。分かっているのに」
駄目だ、駄目だと思う頭と対照的に、心は1つの答えに向かう。
何で気づかせた。
火宮のたった一言で、こんなにも舞い上がる俺のこと。
火宮の1つ1つの行動に、一喜一憂する俺のこと。
「俺は…」
ただのモノで、感情なんかあるわけなくて、
心なんか持ったって仕方ない。
この気持ちの行き場なんてどこにもないのに。
なのに。
好き。
火宮が好き。
ついに認めてしまった想いに、涙が後から後から溢れて止まらなかった。
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