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第72話
んー。この男、やっぱりハイスペック。
俺は、ダイニングテーブルの向かいにいる火宮を眺めながら、しみじみ思った。
箸をつけているのが肉じゃがだって、やけに優雅に格好よく見えるんだから、一体何事だ。
俺のセンスで選んじゃったせいで、やけに渋い湯呑みとか使っちゃってるのに、イケメンが損なわれていないとか、元の良さがどんだけっていう話だ。
「翼?」
「……」
「おい、翼」
あー、なんか見つめられちゃってるし。
俺だって元々、恋愛対象は男っていうわけじゃなくて、転落人生の前には好きな女の子だっていたし、初恋だって普通に女の子にした。
なのに火宮に見つめられると身体が熱くなってくるんだからどうかしてる。
「翼…?」
あぁ、怪訝な顔まで格好いい…って。
「うわぁっ?!」
「何をぼんやりしてるんだ?」
近い、近い、近いーっ!
ハッと気づけば、吐息が掛かりそうなほど間近に火宮の顔が迫っていた。
「どっ、や、なっ…」
「クックックッ。俺の顔に何かついているか?」
悪戯っぽく、楽しげに緩んだ瞳が遠ざかっていく。
ストンと椅子に腰を戻した火宮が、壮絶な流し目を送ってきた。
「っー!…つ、ついてますよ!目と鼻と口と…」
まさか見惚れていたとも言えず、ツンとそっぽを向いて投げやりに言い放つ。
途端に意地悪いオーラが火宮の方から放たれた。
「それは喧嘩を売っているのか。そうか。今夜はたまには優しく抱いてやろうかと思っていたが、これは仕置きが必要か?」
「っな…」
がばっと視線を戻したら、キラリと妖しく煌めいた火宮の瞳が見えてゾッとした。
「やっ、嫌…。ごめんなさい…」
「ほぅ?」
「や、優しく抱いて…」
って、なんかその台詞だけだと…。
気づいたときにはカァッと頬が熱くなり、きっと不審なほど真っ赤になっているだろうと思った。
「クックックッ、耳まで真っ赤にして。いつまでも初なことで」
「あ、う、ん…」
どうやら下ネタに照れたと思われたらしく、楽しげに火宮は笑っている。
ほっ。よかった。
変に思われなかったことに安心して、俺は手元の器に視線を落とした。
「って、は?なんですか、これっ!」
本当、子供か。
「クックックッ、おまえが気づかないでぼんやりしているから、いいのかと」
「なっ…だからって、どうしてこんな、にんじん大移動とか…」
「目の前でやってるのに、何も言って来なかっただろう?」
ククッと、目に涙を溜めそうな勢いで笑っている火宮が憎い。
それ以上に、俺の器の中にこれでもかというほど盛られたにんじんが憎い。
「本当っ、意地悪い!」
「ククッ、おまえの肉じゃが、肉とじゃがいもしか入ってないから可哀想かと思ってな」
「だーかーら、わざとそう盛り付けて…ってまさか絹さやまで…」
ふと気づいてそぉっとにんじんを箸で避けてみたら、その下にはバッチリ緑色の物体が。
「だぁっ!本当に何してくれてんですかーっ」
「ククッ。やはり嫌いだったか」
「わかってやってますよね?本当…」
全く俺はどうしてこんなどSの男がいいんだろう。
そりゃ、顔も経済力も、その、アレもいいとは思うんだけど、この性格だぞ?
我ながら自分の趣味が分からない。
「はぁぁっ…」
「クックックッ、おかえり」
脳内でブツブツぼやきながら、せっせと火宮の皿にオレンジや緑の憎き彩りたちを返してやる。
さも楽しげにそれを迎えている火宮は何様か。
食べ物で遊ぶなと怒鳴ってやりたい。
「それにしてもおまえは子供だな。もう少し野菜を摂取したほうがいいぞ」
「はっ?どっちがー!」
子供はそっちだろ!という俺の叫びは、火宮の妖艶な笑みに掻き消された。
「経験値は十分オトナだがな」
「だから、食事中にその下ネタもやめて下さい」
何だろう。今日はやけに火宮が上機嫌な気がする。
「ふっ。言うな。まぁいい。それより翼、今日は勉強を頑張ったらしいな」
「え?あ、まぁ」
報告、すぐ行くんだ?
「ご褒美に何か買ってやろうか」
「へっ?」
「何か欲しいものはあるか?」
急になんだ。
突然欲しいものと言われても。
「うーん…」
「なんでも言え」
「欲しいものねぇ…そうだ!圧力鍋」
「は?」
「前のとき買わなかったんですよね。けど、あったらやっぱり便利だなって」
あれ?なんか火宮の顔が、イケメンなのは変わらないんだけど、表情が変になっている。
「鍋だと?」
「あ。すみません。高すぎますよね」
普通に使えるのだと、1万円はしてしまうだろう。
図々しすぎたか、と思ったら、火宮の顔はますます変になっていった。
「金額の問題じゃないし、鍋などしても数万円だろうが。そうじゃない。そうじゃなくてだな」
「や!そんな数万なんていいのじゃなくて!本当、普通のIHの圧力鍋で」
わたわた慌てたら、火宮に激しく溜息をつかれてしまった。
「はぁぁっ。欲しいものと聞かれて、鍋とはな。色気がないにも程があるぞ」
「え?」
「大抵俺にそう聞かれたら、マンションが1つ欲しいとかな」
は?
それこそ開いた口が塞がらない。
「宝石だとか、ブランド鞄とか。高級ブランドの服とか言うんじゃないのか」
ふっと可笑しそうに笑う火宮だが、俺の胸はチクリと小さく痛む。
そっか。火宮さんと付き合う女の人たちは、そういうものを欲しがったんだ。
「ッ…。俺は女じゃないし…宝石とか興味ないです…」
「そうか?それにしたって鍋って。本当、おまえは飽きさせない」
くつくつ笑っている火宮は楽しげで、俺はその笑顔を見ただけで、一瞬前の小さくささくれ立った気持ちが、あまりにアッサリ凪いでいくのを感じた。
「う。ずるい…」
「ん?」
「っ、いえ。だって、欲しいものって言われて思い浮かんだんですもん」
「ははっ、だからおまえはいい。わかった、圧力鍋だな。こだわりはあるのか?」
「いえ、特に。あっ、でも家庭用サイズですよ?やたら多機能なのとか、馬鹿みたいに高価なのはいりませんからね!」
この人、放っておくと業務用とかをうっかり買いかねないし、金に糸目のつけなさは庶民の俺からは腰が抜けるレベルだ。
釘は念入りに刺しておくに限る。
「まぁわかった。明日注文させておく。それと…次の休日は出かける。そのつもりでいろ」
「はぁ」
「普通にカジュアルでいいぞ」
「はい…」
急に何だろうか。
でも火宮が行くといえば、俺にノーを言う権利はない。
「それにしても鍋」
クックッといつまでも笑っている火宮は何がそんなにツボにはまったのか。
ぱっと見、無邪気そうに笑うその顔にまで見惚れてしまうんだから俺は重症だ。
「十分だよ…」
あの時、死んでしまっていたら、この幸せな気持ちは味わえなかった。
十分だ。
ふんわり笑ってみせた俺を、火宮がいつまでも可笑しそうに見つめ返してきていた。
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