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第93話
そこまでを一息に語った火宮が、ゆっくりと俺に視線を戻した。
「翼、次で最後だ。俺の罪、翼にした仕打ちの理由、忘れ得ぬ、あの日のこと」
「っ…」
火宮の纏う闇が深まり、俺は再びグッと覚悟を決めた。
「聞かせてください…。聞き、たいです」
「あぁ。そのつもりだ」
スゥッと息を深く吸い込んだ火宮が、ゆっくりゆっくりとそれを吐き出した。
「あの日…」
ーーーーーー
あの日は、朝から珍しく登校してきた日だった。
単位が必要な授業があるわけでもなく、何故学校に向かったのかはよく分からない。
強いて言うならただ気が向いてなんとなく、としか言いようがない。
あれから聖はいつしか学校へと、生徒会へと誘いをかけてくるようになっていた。
もちろん靡くことはなかったが、その日はなんとなく、そんな聖の要求に、たまには付き合ってもいいかという気まぐれだったのかもしれない。
だけど。
「聖が休み?」
ふと知り得た事実に、酷い違和感を覚えたのは、ただの勘ではなかった。
「ありえない」
聖は熱が40度近くあっても、逆に楽しいから、とフラフラしながら学校にだけは通ってくるような男だった。
前に1度だけ聞いてみた。
「何故そうまでして学校に通う?」
自分の場合は、ただ学歴はないよりあったほうがいいから、という打算的な理由であるけれど、聖が学校に執着する意味は分からなかった。
しかも、無意味なほどの皆勤状態。
「ふふ、それは刃の、喧嘩を買い続ける理由と同じじゃないの?」
鮮やかに笑った聖の言葉は、すとんとしっくり心に落ちた。
「今日こそは、何かが変わるかもしれない。今日こそは、楽しい何かに出会えるかもしれない。今日こそは、心動かす何かが起きるかもしれない」
「っ…」
「それが今日なら、休んだら逃しちゃうでしょ」
勿体無い、と無邪気に笑う聖は、飢えて飢えて飢えて、その隙間を満たそうともがく場所を学校に決めていただけだった。
「刃と同じ」
それが、喧嘩という手段で、街の雑踏の中という違いだけの。
だから、ありえない。
聖が学校を休むことなんてありえない。
気づいたときにはもう、学校を飛び出していた。
もちろん探す当てなんかない。
聖の自宅も知らない。
聖の交友関係も、行きそうな場所の心当たりも、何も。
けれど本能に急かされるまま、探して探して走り回った。
いやな予感だけがヒシヒシとのし掛かり、悪戯に時間だけが過ぎていった。
そうして結局聖を見つけられないまま、夕方になって、無意識に聖といつも落ち合う街角に足を向けたとき。
ふとすれ違った数人の男たちの声が、やけに大きく耳に響いた。
「ダチ1人守れずに、何が王者だ」
カァッと頭に血が上った瞬間にはもう、相手の男を伸していた。
「どこだっ!言え!聖はどこだ」
ボロ雑巾のようになった男に意識はもうなく、ビビったお仲間たちはとうに逃げ出していた。
かろうじて地べたに寝ている数人から呻き声が聞こえ、どうにかこうにか聞き出した空きビルの所在地。
息が上がるほど必死で走り、血が滲むほど握り締めた拳で願う。
「聖。聖っ、無事でいろ…」
信じちゃいない神にさえ、聖が無事でいてくれるというなら土下座してもいいと思った。
「聖。聖っ…」
辿り着いたそのビル。
言われた階にまで上る必要はなかった。
「聖…」
人の形をした赤黒い色の、変な方向に手足や首が曲がっているその塊が何なのか。
「っーー!」
自分の口から迸った音が悲鳴なのか言葉なのか、理解する前に目の前が真っ赤に染まった。
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