「俺はただ、おまえに生きる場所を与え、生きる意味を作り出した」 「っ…」 「聖がこいつを生かせっていうんだったら、望み通りに生かしてやると。半ば意地で…それだけだったはずなのに」 ふと真剣な顔をした火宮が、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。 「火宮さん？」 「ククッ、ほら」 「え？」 「くっ、あははっ。それなのに…」 真面目な顔が一気に崩れ、可笑しそうに笑い声を上げる火宮の意味が分からなかった。 「火宮さん？」 気でもふれた？と不安が浮かんだ頃、ようやく笑い声をおさめた火宮が、ふわりと優しく微笑んだ。 「いつの間にか、おまえに惹かれていた」 「っ…」 「ふっ、いや、いつの間にかじゃない。翼、俺は初めからおまえに…」 ……。 囁くように小さく小さく言われた言葉が、大きな波となって胸を震わせた。 「っ、火宮さん…」 「あぁ。おまえは初めから、今のように、俺の目を真っ直ぐ見返した」 「え？」 「怖れも、畏れもしない真っ直ぐな目で俺を見る」 「そう、ですか？」 まぁ別にこの人怖くないし。 「面と向かってイケメンだなんだとほざき、ヤクザと聞いても怯え１つ見せやしない」 「まぁそれは、ね？」 「聖が俺とおまえを出会わせたとしたら、その意味はよく分かる」 「え…」 俺と火宮さんの出会いの意味？ 「翼、おまえは強い」 「ひ、みや、さん？」 「おまえは強い。俺が持たない強さを持ち、聖が望んだ強さがある」 「っ、な、にを…。強いというなら、火宮さんのほうが」 なにせヤクザの頭だし。 俺なんかよりずっとずっと強いはずでは。 何を言っているんだかわからない火宮を見上げたら、嘲笑的に表情を歪めて首を振る顔と出会った。 「俺は弱い。自分の弱さは俺が１番良く知っている」 「そんなのっ…」 「聖は気づいていたけどな」 「え…？」 寂しく笑う火宮の声には、またも深い後悔が滲んでいた。 「聖は、俺が強いと言っていた。刃は強いから、心配しなくても大丈夫だと。自分は弱いから、喧嘩なんかをしたら一発で闇に染まってしまうけれど、刃なら大丈夫。刃は強いからそちらにいても、闇に染まらずにいられるよねと…いつもそう言いながら…」 「っ、ん…」 「一緒に逃げてと言った聖は、俺がいつかその闇に呑み込まれてしまうことを危惧していたんだ」 あぁそうか。 聖さんのその願いの意味が、今の火宮さんを見ていてわかる。 「俺は結局、聖の心配を汲み取ることなく、あっさりと闇に落ちた」 「ん…」 「もしも聖が絡まれたら、一緒に逃げてと、そう、こちらの世界にちゃんと来てねと言われたけれど…俺は聖を暴行した全員に、復讐のやいばを向けた」 「っ、ん…」 「聖が望まぬことと分かっていながら、俺は俺の弱さに負けたのさ」 だからこの人、ヤクザなんだ。 モデル張りの容姿をしていても、天才的な頭脳を持ち合わせていても。 こんなに深い闇色をしている人間の、生きられる世界はきっとそこにしかない。 「そ、っか…」 だけど俺は、嫌悪はしないよ。 それも含めて、あなたを愛しいと思う。 「ほら、責めない。この手が何人の血を吸っていようとも、おまえは厭わず、畏れもしない」 「はい」 「だから惹かれた。だから好きだ。けれど俺の弱さは、それを畏れた」 ギュッと握られた拳の震えが、火宮の弱くて強い、必死で強くなろうとした心を表していると思った。 「大切なものができてしまうことを、それをいつかまた失うかもしれないことを、恐れた」 「火宮さん…」 「聖の時のように。あの絶望をまた味わうくらいなら。だったら初めから持たなければいい。この強い光を、俺のせいでまた、聖のように深い闇で染めてしまうかもしれないのなら、初めから心を添わせなければいい」 「っ、それは…」 切ない泣き笑いなんて似合わないのに、火宮が今浮かべるそれは、苦しいほどに愛おしかった。 「だから俺は…ただひたすらおまえを所有物だと。ただのモノだと思いたくて」 「あぁぁ…」 「これはモノだと。だからどんなに酷く抱いても何とも思わない。性処理道具として扱っても、心は痛まないと、自分に思わせたくて…」 「ふ、っ、えっ…ひっく…」 「だからおまえを酷く犯した。おまえが望んできたことが好都合だと、俺はおまえの望みを叶える振りをして、自分のために…」 ボロボロとあふれた涙は、決して悲しみからじゃない。 「なのに結果は。あのとき感じたのは…聖を失ったときよりもっと酷い痛みだ。俺はおまえが大切なのだと、翼が大切で愛しくてたまらないのだと、思い知らされただけだった」 「っーー！」 もういい。もういいよ。 必死で手を伸ばして、必死で包み込んだ火宮の拳は、とても冷たく震えていた。 「翼。俺の手は血に濡れている。おまえにすらも、やいばを突き立てた。職業柄、側にいることで危険がないとは言い切れない。そして何より、俺は弱い」 「っ、ううん。ううんっ…」 そんなの、そんなのどれも、どうだっていい。 「けれど俺は…」 「はい。はいっ…」 「おまえを愛してしまったんだ」 それも罪かと言うように、顔を歪めて紡がれる火宮の言葉が哀しかった。 「聖はきっと俺を恨んでいる。これは罰か、呪いかな」 「っ…そんなっ」 きっとない。 聖はきっと火宮を恨んでなんかないと思う。 必死で左右に振る頭から、パラパラと涙が周りに飛び散った。 「それでも俺は、おまえが好きだ」 「っ、火宮さんっ…」 迷わぬ視線が泣くほど嬉しい。 「翼。俺でいいか？」 こんなに弱い、とあなたは言う。 「っ、火宮さんがいいっ」 弱さを恨み、強くなろうともがいたあなたがいい。 「この手は血塗れだぞ」 スラリと長い、綺麗な指が差し出される。 「構いません」 そっと握ったその手は本当は優しい。 「おまえを身勝手に傷つけた俺を許すのか？」 「そんなのとっくに！そもそも怒ってないっ」 「俺とつるむということの危険は」 「覚悟はできてます」 だからもういい。 あなたの過去も今もすべてをひっくるめて。 「あなたが好きです」 「っ、翼」 「はいっ」 「今度は必ず守ると誓う。翼を害するすべてから。それが俺自身だとしても、必ず」 「っ、ん」 「翼、愛してる」 ーーーふふ、僕の勝ちだよ、刃。 誰かがふわりと笑った気がした。 俺は勢いをつけて、火宮の腕の中に飛び込んだ。 「あげないっ。過去の亡霊になんか絶対に渡さない。火宮さんを待ち構える深い暗闇になんか、絶対にあげてやるものか」 「翼？」 「好き。火宮さんが好き。火宮さんが俺の手を取ることが怖いなら、俺が火宮さんの手を取ります」 ギュッと抱きついて、触れた場所からも想いが伝わるようにと願う。 「火宮さんはもう、俺のもの、だよね？」 あなたは呪いだと言った。 真鍋は亡霊だと言った。 だけど違う。 「俺は消えません。聖さんみたいに、火宮さんを置いて行ったりしない」 これは許しだ。 聖の、もうその死に囚われなくていいんだっていう、あなたは幸せになっていいんだっていう、赦しなんだ。 聖が…本当に聖が俺たちを出会わせたというのなら…それは聖からの、もう解き放たれていいよっていうメッセージ。 「大好きです」 ギュッと抱きついている俺の背に、躊躇いがちに上がった火宮の腕がふわりと触れて、キュッと優しく俺を包み込んだ。