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第715話
翌日、放課後。
「おっ、翼、帰り?」
「あ、藍くん。うん」
ちょうどたまたま、下駄箱前で靴を履き替えていたところに、ひょっこりと後ろから、豊峰がやってきた。
「俺もっ。ふー、6時間目までやると疲れるよなー」
眠ぃ、早く帰って寝たい、と愚痴りながら、豊峰もシューズをしまって靴に履き替えている。
「まぁね。特に今日は体育とかなかったしね」
なにやら授業の入れ替えとかがあって、今日はほとんどが席に座っての講義型授業、身体を動かすような科目が入っていなかったのだ。
「マジで。先生の出張とか、知ったこっちゃねぇよ。やたら時間割変えてくんなよ」
「藍くんが苦手な数学が2時間もあったし?」
「そこな。どうせ増やすならせめて内職上等の文系科目にしろよって」
お陰でもう糖分が足りねぇ!と喚きながら、愚痴っている豊峰に笑って、俺たちはなんとなく並んで校門までの道のりを歩き始めた。
「あー、マジで。帰る前に少し寄り道して、なんか甘いもん食ってくかなー」
んーっ、と伸びをしながら、豊峰がふぁふぁと欠伸を漏らす。
「いいねー。でも俺は付き合えないけど」
「今日から事務所や家じゃなくて、夏原先生のトコに行くんだって?」
「うん」
「お陰で俺は、帰りの送迎に付き合わなくてよくなったけど、真鍋幹部がさぁ、豊峰だけでも勉強をしに来るか?なーんて、いらん世話を焼いてくれようとしてな」
翼のついでにくっついて行く必要がないのにわざわざ、と嫌ぁーな顔をする豊峰に笑ってしまう。
「勉強はしないとなんねぇのは分かってるし、真鍋幹部の家庭教師はありがてぇけど、翼がいないのにマンツーはマジ勘弁。んで?噂によるとその夏原法律事務所でバイトっていうのはマジなん?」
「えっ」
なんで知ってるんだ、と思わず豊峰を振り向いたとき、ひょっこりとさらに、第3者の気配が湧いた。
「やぁ、藍と火宮くんも、今帰り?」
スタスタと横から顔を出し、俺たちに並んだ紫藤が笑った。
「和泉。おま…生徒会の仕事だかなんだかは終わったのかよ?」
今日は委員会がどうのとか言っていたはずだ。
「あー、それ?僕は資料を用意しておくだけだったからね。とっくに作って置いてあったやつを、これ配って、って指示出すだけで帰ってきた」
「いいのか?」
「いいの。それより藍、甘いもの、僕と一緒に食べてかない?」
実は聞いてた、と笑う紫藤は、今日豊峰が俺に付き合って帰らなくてもいいことも、豊峰が甘いものを食べていきたいと話していたこともバッチリ把握しているらしい。
「なっ、いつからいたんだよ」
「あー、マジで。帰る前に少し寄り道して、からかな」
「はぁっ?おまっ、声掛けろよ」
気配消して後ろで聞いているとかいやらしい、と文句を言っている豊峰に、紫藤はにこやかに微笑んだ。
「藍なら気付くかと思って」
一応護衛でしょ?と暗にほのめかす紫藤に、豊峰の顔がくしゃりと歪んだ。
「校内だから気を抜いて…って、おまえ、これチクんなよ?特に真鍋幹部には絶対!っていうか浜崎さんも見てねぇよな?」
俺がサボってんの、とキョロキョロする豊峰に、紫藤は可笑しそうにクスクスと肩を揺らした。
「大丈夫。別に殺気を出していたとかじゃないし、僕と藍の仲だから逆に気付かないってことくらい当たり前でしょ」
「なんだよ、和泉と俺の仲って」
「気配に馴染みまくっている相…」
「あぁ、幼馴染みか」
「………」
あはっ。
相思相愛の…、くらいまでパクパクした紫藤の口元に気付いてしまった俺は、それをぶった切って斜め上に飛んでいった豊峰の発言と、じっとりと呆れた目をして黙り込んでしまった紫藤を見て、思わず小声で笑ってしまった。
「はぁぁぁっ」
「なんだよ?」
「藍の鈍さは国宝級だよね」
「はぁっ?なんだよ、たかがちょっと油断して和泉の接近に気づかなかったくらいで、そこまで鈍感とかいうことないだろ」
「そこじゃない…」と呆れたように首を振っている紫藤に、俺はとうとう声を出して笑ってしまった。
「あはははっ、紫藤くんも大変だね」
「はぁ?」
「苦労するよ、本当」
「なんなんだよ」
納得いかねー、と1人首を傾げている豊峰を置いて、ふと紫藤が俺を振り向いた。
「それで火宮くんは?この時期に急にバイトなんて」
「え。あー、それも聞いてた?」
「うん、バッチリ。期末も近いのに、余裕だなぁ、なんて?」
今回はライバル降りるの?と笑う紫藤には、その理由が見透かされているらしかった。
「降りないし、想像通りだよ」
「えっ、なんだよ?2人だけ分かり合って」と、隣で豊峰が面白くなさそうに喚いている。
「クスクス、多分、会長さんのバースデーか何か。それともうすぐ冬休み、ってことは、クリスマスや年末年始、恋人たちのイベントは目白押しってところでしょ」
「あーっ、なんだ翼、まさか会長にバースデープレゼントをやるつもりでバイトをし始めるってことか?」
合点がいった、と目を見開く豊峰に、俺は曖昧に笑って頷いた。
「なんだー、なるほどな。でもあの会長じゃ、翼が自分にリボンかけて、俺をあげる、とか言えば、大満足じゃね?」
「藍くんまで…本人と夏原さんと同じこと言う…」
「だろ?だってそうじゃね?」
なぁ?と紫藤に話を振る豊峰に、紫藤の口元が鮮やかな弧を描いた。
「じゃぁ藍は僕の誕生日に、そうしてくれるのかな?」
「はぁっ?なんで俺が和泉の誕プレに俺をやらなきゃならないんだよ。それは翼が会長にだから意味がある話で」
「クスクス、分かってないものねぇ」
「なんだと?分かってないのは和泉だろ。あの会長だぞ?マジで翼が自分をラッピングしてプレゼントすれば…」
相変わらず次元の壁がある2人の会話は聞いていて面白いけれど、これ以上豊峰のお馬鹿な発言を聞いていたくもない俺は、ちょうど見えてきた校門と、その少し離れた辺りに止まっている迎えの車を見つけて、パッと軽く地面を蹴った。
「あっ、じゃぁ俺は今日はもうここで」
2人に手を振り、門の外へ向かおうとした俺に、豊峰の熱弁が不意に止まる。
「おいっ、翼。先に出るな。あそこまで送るから」
はっと慌てたように俺の前に出た豊峰が、俺より先に校門をくぐっていく。
「クスクス、じゃぁ火宮くん、また明日。バイト頑張ってね」
「ありがと。また明日ね。バイトしても、勉強に手は抜かないからね。紫藤くんも頑張って」
あらゆる意味で、と付け加えながら、意味深に豊峰に視線を送ってあげれば、紫藤が苦笑しながら頷いた。
「翼、出てきていいぞ」
どうやら敷地外の安全を確認したらしい豊峰が、念のためとほんの数歩の距離にある車まで送ってくれる。
「ありがと」
「別に、仕事だし。んじゃ、確かに預けましたんで」
「ご苦労様」
車の前にいた護衛と引き継ぎを済ませた豊峰が、じゃぁなと手を振りながら紫藤の方へ戻っていく。
「じゃぁね、また明日」
「おぅ」
のんびりと帰っていく豊峰の背を見送りながら、俺はご丁寧に開けられた車のドアの後部座席に乗り込んだ。
「では、夏原法律事務所でよろしいですか?」
「あ、聞いているんですね。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げたところで、スーッと静かに発進する車の走り出しを感じる。
「っよしッ」
これから、法律事務所でバイトだ。
どんな仕事をさせて貰えるのだろうか。
頑張らなくては。
愛しい人のために稼ぐのだ、というほっこりした気持ちに気合いを入れて、俺は夏原法律事務所までの道のりを車窓から眺めながら、ワクワクと心を踊らせていた。
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