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第111話

「っ!これって…」 バサッとテーブルに置かれたパンフレットの表紙。 制服姿の男女がモデルとして映っていて、背景には校舎らしき写真があるそれは。 「高校…?」 「あぁ。おまえを入れようと思ってな」 ふっと笑った火宮が、向かいのソファに腰を戻した。 「まだ所有物にしていたときに決めた話だ。おまえを高校に入れて、その後も進学させ、ゆくゆくは医者にさせようと考えていた」 「は?高校?大学進学?医者っ?!」 いきなり突拍子もない話が飛び出してきた。 「俺が俺のものの将来をどう決めようと自由だと思っていたからな」 「っ、そ、それにしても、医者って…」 かなりハイレベルな進路だと思うし、敢えてその職業を選んだのには理由があるのか。 「おまえのことは、拾ってきた当初に一通り調べた。某進学校に成績優秀で入学していたことも、中間期末ともにテスト上位だったことも」 「っ!」 「おまえにならそう無理もない進路だと考えた」 だからって、文無しの宿無しの食費がかかる赤字だらけの俺に、学費まで出そうと思った理由がわからない。 「出世払いの先行投資?」 回収が見込めて、さらに利益が出ると思ったのか? だからって、敢えて金のかかる医学部っていうのは、あまりに選択を誤ってはいないか。 怪訝な思いは顔に出ていたんだろう。 酒で唇を濡らした火宮が、淡い苦笑を浮かべた。 「医者はな…」 「っ、ん…」 「医者は、聖のあったはずの未来の姿なのさ」 「っ!」 あぁ、そういうことか。 だからか。 「聖が死んだときにはな、もう医学部への進学が決まっていた」 「そ、っか…」 だから聖の代わりに生かした俺に、聖の代わりに聖の人生の続きを歩かせようと。 「あぁ。だが翼、それはもういい」 「え…?」 「おまえの人生はおまえのものだ。好きな未来を描いていいし、好きな職業を目指していい」 「っ、じゃぁ…」 今でも十分なのに、これ以上学費の負担など…。 「ただ、高校には行っておけ。卒業しておいて損はない」 「う…」 思いを読まれてしまったのか、先に釘を刺されて言葉を失った。 「借金を背負う前はおまえだって普通の高校生だったんだろう?」 確かにそうだ。 ごく一般的に高校に進み、学校生活を楽しみつつ、やりたいことやなりたい職業を模索して、きっと大学に進学して…と、ぼんやりとだが、何となくの未来予想図は描いていた。 「高校1年の1学期。そこまで通っていた後、随分と欠席が続き、挙句退学しているな」 そうだ。親の借金が発覚して、バイト三昧になった夏休みから二学期初め。 学校になんか通う余裕はなくなった。 「学費…初めは払ってたんだけど、どうせ休みっ放しの学校に払い続けるのも馬鹿らしいなって。だったら生活費とか返済の手助けに回した方がいいって思って」 「そうか」 「親は、辞めさせたくなかったみたいだけど…それもきっと負担だったんでしょうね。辞める、辞めないで揉めているうちに、冬休み前のある日。2人は俺を残して死んでった」 あの日の衝撃は忘れない。 バイトから帰ったボロアパートの一室で。 「野次馬やら警察やらがうじゃうじゃいて、何事かと思ったんですよ」 果ては救急車まで待機していて。 「まさかみんなが見ているのが俺たちの部屋で、運び出されてきた白い布が掛かった担架が2つ、それが自分の両親だなんて、誰が思います?」 今でも笑える。 可笑しくてではない。 人は絶望を通り越した絶望には、思わず笑いが込み上げてくるんだって、あの時知った。 「ははっ、だから結局そのまま学校は退学して、借金取りに追われる日々の始まりです」 「そうして疲れ果てて上ったあそこで、俺と出会ったわけだ」 「はい」 だから、辞めたくて辞めたわけではない。 通えるんなら通いたいとは思うけれど、だけど。 「じゃぁ決まりだな」 「え?」 「ちょうど3月だ。4月からこの高校の2年として通学しろ」 トンッとテーブルの上のパンフレットを軽く叩いて、火宮は唇の端を吊り上げた。 「ちょっ、ちょっと待って…」 「なんだ。ちなみにここ以外の高校は認めないぞ。指折りの進学校だ。不満はないだろう」 「待っ…そうじゃなくて…」 希望の高校があるわけではなくて、違くて。 「ここには顔が効くし、セキュリティ上、この高校がいいんだ。悪いがそれは譲らん」 「って、でもっ、そもそも…その、2年ってことは編入ですよね?俺、編入試験とか…」 指折りの進学校っていったら、相当レベルが高いんじゃないだろうか。 受かる気がしない。 「クッ、おまえは自分を過小評価し過ぎだ。それに安心しろ、編入試験はない」 「え?」 「顔が効くと言っただろう?」 待って。それって裏口入学とかいう…。 さすがヤクザ、な? 「相変わらずよく滑る口だな」 「っ!言ってた?!」 「まったく。使う日も近いか?」 チラッと火宮の目が向いたのは、壁際にある箱の方だ。 「っ、ごめんなさいっ…」 「ククッ、まあいい。裏口だなんだじゃなく、単に交渉しただけだ。おまえのかつて在籍していた高校の1年1学期時の成績を全て送った。試験は免除でいいってさ」 半ば無理矢理頷かせた感がないとはいえないけど、金を積んでうんぬんではなさそうなところはホッとする。 「まぁ、それと条件がもう1つ」 「条件?」 「おまえがドロップアウトした、1年2学期から1年修了までの学習範囲を全て学習し終えて新年度を迎えること」 「あ…」 だから、真鍋は高校1年の勉強全てを俺に教えに来ていて、残り時間が少ない、になるわけだ。 「それはこっちが責任を持って教えておく、という約束で、おまえの編入は許可されている」 「色々納得です…」 「まぁだから後数週間で、おまえは残りの高校1年の学習を全てクリアしなければならない。真鍋が焦りつつ、鬼になるわけさ」 ククッと笑っている火宮は、絶対にそれを楽しんでいる。 「ま、おまえは相当優秀だと、真鍋も学校側も保証していたぞ。だから頑張れ」 「高校に通うことは決定なんですね…」 「あぁ。そこでゆっくり、将来の道を模索しろ」 そんな普通が、俺に許されるのか。 「俺…未来なんてとっくに諦めて…何もかもを捨てたのに」 「そうだな。じゃぁ、拾い上げた俺の命令だ。将来の夢を持ち、叶え、幸せになれ」 「っ…」 そんなの、今でも十分なのに。 視界がジワリと滲んでぼやけた。 「幸せになれ、翼。それが俺の願いで、俺の希望だ」 「っ、ふ…」 もう幸せです。 怖いくらい。 今がとても。 「火宮さん」 だから、俺はあなたの幸せを願います。 「なんだ」 「医学部の学費を出す覚悟しておいて下さい」 「クッ、そうきたか」 「医者になったら、火宮さんとこのみんなの病気や怪我は俺が診ます。お抱え医師にして下さい」 幸せな未来を描いていいんなら、俺の未来はあなたと常にともにある。 あなたの側に居続けることが、俺の1番の幸せだから。 「せいぜい腕のいい優秀な医者になったらな」 「あれ?でもヤクザお抱えじゃ、闇医者ってやつになるのかな?」 まぁそれでもいい。 火宮とともにいる未来ならなんだって幸せだ。 「おまえはな…。無礼なんだか、嬉しいことを言ってくれてるんだか…」 ククッと笑う火宮の視線は柔らかい。 「火宮さん…俺は」 何が返せる。 命を掬い上げて、生き延びさせてくれて、愛してくれて、未来への道とその資金までもを与えてくれるあなたに。 「っ…刃」 「なんだ」 「刃っ!俺は、俺の人生を、精一杯生きさせてもらいます」 「あぁ、それでいい」 応えること。 きっとそれが答え。 「ありがとうございます」 出会ってくれて。拾ってくれて。 生かしてくれて。 そして、愛してくれて。 「ククッ、ピチピチの若いのが周りにいるからって、目移りするなよ?」 「ぶっ…しませんよっ」 誰よりあなたが格好いいと思うから。 「もし浮気でもしようものなら…」 あぁお得意の思わせぶりな言葉の途切らせ方。 「だからしませんて」 「ククッ。まぁそういうことだから、真鍋の課題にちゃんと食らいついていけよ」 ぐいっと酒を煽った火宮が、艶やかに笑った。 「はい」 俺も、手の中のグラスの中身を、ごくごくと飲み干し、挑むように笑ってやった。

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