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第125話

ドクン、ドクンと脈を打つ心臓を宥めながら、どれほど火宮の腕の中でじっとしていたか。 ほんの数秒が、何分にも感じ始めたその時。 ふと、火宮の腕の力が緩んだのを感じた。 え? 「実園」 ピンと張り詰めた冷淡な声が聞こえたと思ったら、次には火宮の腕から完全に力が抜けていた。 「下がれ」 「「はっ」」 2人の部下に命じた声が聞こえ、スッと男たちの姿が消えていく。 そっと身体の向きを変えた俺は、護衛がいなくなったお陰で見えるようになったその場所に、1人の男が立っているのを見つけた。 「ご無沙汰しております、火宮会長」 深々と一礼した男は、30代半ばくらいの、やけにスマートな男。 長めの黒髪を首の後ろで軽く結び、黒のスーツに黒シャツという姿をしている。 「ホスト?」 コツ…。 「え?あっ!」 軽く頭を小突かれて、俺はうっかり口を滑らせていたことに気がついた。 「狭霧のところの若頭、実園だ」 ポンッと宥めるように頭に火宮の手が乗り、サラッと何やら紹介らしき声が聞こえた。 「は?え?」 狭霧って?若頭って? 実園…というのが名前だということはかろうじて分かるけど。 「………」 「な、なんですか?」 ジッといきなり見下ろされても…。 「あの…?」 「だよな。うちと…蒼羽会と実園のところは、七重組の直参。七重組というのは、うちとそいつのところの上位組織だ。要は同系列の同格の組の若頭…っていうのは、まぁ組長の跡目筆頭候補だ。つまり組のナンバー2」 「真鍋さんと同じ?」 「……少し違うが、まぁようはそこそこ偉い人、だ」 俺風に言ってくれたのか。 とりあえず同業者さんで、火宮よりは立場が下で、だけどそれなりの地位の人で、仲間、ということか。 敵でないのなら、やたらと怯える必要はなさそうだ。 「えーと、初めまして。伏野…」 「おい」 「ん?」 「簡単に気を許すな。名乗るな」 え。だって紹介したのは自分でしょ…。 「ったく、俺は、実園はヤクザだ、と説明したぞ」 「はい。火宮さんとおんなじグループの組の偉い人ですね」 「………」 「え?」 「おまえがヤクザと聞いて怯まないことを忘れていた。ったく…」 軽く髪を掻き上げた火宮から、壮絶で気怠い色気が放たれた。 「ッ…。お噂は、本当なんですね…」 ふと、一礼した後、じっと目の前にいた実園が、思わずといった様子で呟いたのが聞こえた。 「ふっ、だとしたら何だ」 「いえ…。誤魔化されないのですね」 「おまえに対して今更だろう」 やけにつっけんどんな火宮は、何だか普段俺が見ている火宮ではないみたいだ。 冷ややかで冷徹な空気を纏う火宮は、少し遠く感じる。 「そちらの方を俺に紹介するのでなく、先に俺をそちらに紹介なされましたからね。その方のお立場は、十分分かりました」 下から上に。 立場の低い方から先に。 そのビジネスマナーは、ヤクザ界でも同じか。 「って、え?俺はただの貧乏な一般人で…」 火宮の恋人だけど、それは別に俺の地位が高いわけじゃなくて…。 「翼、少し黙ってろ」 「うっ、すみません…」 話をかき混ぜてしまったか、スッと火宮の後ろに下がらされてしまった。 「ご紹介はしていただけないのですね」 『ふん、この狸が』 「火宮会長?」 「察したのなら、十分だろう?つまり俺は今、プライベートということだ。食事も済み、早くこいつを可愛がりに行きたいところだ。アポもなく、いきなりこのような形で足止めをくらい、少々不愉快だぞ」 ちょっ…可愛がりにとか! また何ていう発言を、と思いながら、俺は火宮のスーツの上着をクイッと引いた。 「ん?そうか、早くホテルに行きたいか。だ、そうだ、実園。下がれ」 「ばっ…」 何でそういう解釈になるのか。 ついイラっときた俺は、思わずドスッと肘を入れていた。 「………」 やば…。 顔を見なくても、火宮が妖しくニヤリと笑ったのが分かった。 「ッ!…珍しい場所で、珍しい連れとご一緒のところをお見かけして、声をかけてみて良かった」 「ふん」 「報告書を読み、未成年の堅気の少年、と聞いたときにはまさかと思いましたが…」 どうしよう。多分、完全にスイッチ入れちゃった…。 「表情を浮かべ、俺よりその方を優先なさるあなたが見られるとは」 「ふっ」 「本当に、そちらが」 今から謝ったら少しはマシになるかな…。 「1つ教えてやる」 「火宮会長?」 「これの存在は、俺にとって強みでしかない」 「ッ…」 「何のためにこれのことを探り、こうして近づいてきたかは知らないが」 あぁ、もうこの場からバックれたい。 「ッ、本当に、ただの偶然で。何の策略もっ…」 「まぁいいさ。忠告はした」 「ッ…しかと」 「翼」 はぁぁっ、本当、どうしよう。 「翼、行くぞ」 ん? 「え?はっ?」 「どちらへ参りましょう」 「ホテルだ」 「かしこまりました」 あれ?いつの間に車が? っていうか、実園さんはどうしたんだろう。 完全にぼんやりしていた俺は、全く状況についていけていなかった。 「クックックッ、逃避の算段か?」 「や、いや…」 「安心しろ。逃さない」 いや、だからそれのどこが安心…。 「今日は生半可で済むと思うなよ?」 うーわ、完全にどSモード。 キラリと光った火宮の瞳が妖しい。 「暴言に加えて、手が出たからな」 「っ…」 たっぷり仕置きだな、と、運転手に聞こえないような声で囁かれ、ヒッと引きつった俺の顔が、バックミラーに映った。

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