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第133話

夜。 帰宅した火宮は、特に普段と変わった様子はなかった。 香水の移り香があるようなこともなく、シャワーを浴びてきた様子などもない。 出かけたときと同じ、ビシッと決まったダークスーツ姿で、早速ネクタイを緩めはしているものの、なんら変わらないいつもの帰宅姿だ。 って、俺、何をチェックしてるんだ…。 疑っていないとか言いながら、しっかり気にしている自分に嫌気がさす。 「翼?」 「はい?」 「ククッ、変な顔をして。どうした?」 揶揄うように笑いながら、火宮がコイコイと手招きしている。 「変って…俺は元々こういう顔ですよ」 べぇっ、と舌を出しながら、身体は素直に火宮に近づく。 「クッ、まぁそこいらの女よりはよほど可愛い顔をしているが」 ニヤリと笑いながら、火宮の綺麗な指先が、スッと顎を捕らえてくる。 「え…」 「どんな女よりも、おまえが1番…」 クイッと上向かされて、キスをされる予感が迫る。 少し意地悪で、だけどとても綺麗な火宮の顔が近づき…。 「っ!嫌っ…」 気づいたときにはもう、俺はドンッと火宮の胸を押し返していた。 「翼?」 「あ…」 俺は今、何をした? 軽く目を剥いた火宮の顔が目の前にある。 「っ、ちが…」 何か、何か言わなきゃ。 気ばかり焦って口がもつれる。 「どうした?」 ふわり。 わけのわからない態度をとってしまったはずの俺を心配するように火宮の顔が緩んだ。 「っ、ごめっ…なさ…」 「怒ってない。まぁ、そういう気分にならないときもあるさ」 キス、拒んだのに。 火宮は優しく目を細めて、ポンと頭を撫でてくれる。 「っ、ん…」 愛されてる。 とても大事にされていると思うのに…。 「お、れ…ッ。なんか、疲れてるみたいで…。先に休みます」 火宮の顔がまともに見れない。 ススッと目を逸らして、さりげなく距離を取る。 「そうか。…翼」 「っ、はいっ」 「何かあったら、1人で溜め込まずに言えよ」 ジッと何もかもを見透かしてしまいそうな、火宮の真摯な目だった。 「は、い…。大丈夫です」 ニコッと笑った顔は成功しただろうか。 返事をした口とは裏腹に、内心はとても言えない。 キスを仕掛けてきた火宮の顔に、昼間の光景が不意にダブっただなんて。 火宮に微笑みかける女の顔がチラついて、ドロリとした嫌な感情が湧き上がっただなんて。 「お先にっ!お休みなさい」 俺はパッと身を翻して、火宮の視線を避けるように寝室に逃げ込んだ。 「何してんだ、俺…」 火宮はあんなに真っ直ぐに、俺を愛してくれているのに。 「贅沢言ってるなよ…この欲張り」 ハァッと落ちた溜息で自分を責める。 「分かってる。分かってる…」 火宮といた女は仕事関係。 火宮が愛してくれているのは俺。 なのに。 「そんな仕事相手の女を気にして…。心狭っ…」 そんな女を相手にしないで。近づかせないで。 仕事だと分かっていても、優しく丁寧にエスコートなんてしないで欲しい。 俺以外から、ちやほやされないで欲しい…。 「なんて酷い我儘だ。それで火宮さんを拒んで…何やってんだろ、本当」 ハハッと漏れた自嘲が、寝室の空気を震わせた。 「でもっ…お似合いだったんだっ」 ポツリ、と落とした声が、ザクリと自分の胸に刺さった。 「どんな女より、俺が1番って…。そんなの、火宮さん以外の誰も…」 すごくお似合いだった火宮と女性。 周囲の視線を釘付けにして、誰もが羨むようなカップルに見えた2人。 あぁ、これが正解だ、って思うような自然な姿で。 みんなが認める、火宮と並んで当たり前のように恋人同士に見える人。 「俺みたいな子どもじゃなくて…ましてや男でなんかなくて…」 きっと俺が隣にいたところで、頑張ってもせいぜい従兄弟の子か、悪ければたまたま側に居合わせた使い走り程度か。 恋人になんか見えないよね。 「似合わない…釣り合わない」 キュッと握り締めた拳が小さく震えた。 「何で俺…?」 1番どころか、敵うところが1つも見つからない。 「あんな人がすぐ側に…火宮さんの側にいたら…」 俺なんかじゃ嫌になるかもしれない。 やっぱり女の人の方がいいってなるかもしれない。 「っ、俺は…」 急に自信がなくなって、シュゥゥと気持ちが萎んでしまった。 「駄目だ、駄目。今日はもう寝よ…」 ロクな思考にならなそうな気がした俺は、ベッドに上がって、布団に潜り込んで固く目を閉じた。 瞼の裏に、何度も何度も、火宮と並び立って絵になる女の姿が浮かんでは消えて、浮かんでは消えてと繰り返していた。

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