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第137話
「ただ、憎しみ。その一心に染まり、復讐の刃を振るって血だらけになった俺に、差し伸べられた手だった」
緩く細められた火宮の目が、その過去を映し出す。
「喪うには、惜しい。サツにくれてやるのは、勿体無い。あの人は、手を真っ直ぐ俺に差し出しながら、豪気に笑った」
緩く吊り上がった口元は、とても穏やかな笑み。
「生きないか?少年。ここで終わるおまえじゃないだろ。頷け、少年。そうすれば、後は全てを上手く処理してやろう。もう満足しておけ。おまえの声は十分届いた」
一字一句、きっと当時、七重組長とやらが言った言葉なんだろう。
なぞるように紡がれる言葉に淀みはない。
「罪と、業と、闇と、その手を染める深い赤。その身1つに背負う覚悟があるならば、この手を取って立ち上がれ。…それは復讐を成し得て空っぽになった俺への、随分な挑発だった。まったく、聖に続いて鮮やかな色彩を見せてくれて。そんなオヤジの手を、振り払うことなんか出来るわけがなかった」
ククッ、と喉を鳴らす火宮は、とても愉快そうだった。
「正しくないことくらい承知の上だ。それでも俺は、その手を取った。その人が、泣く子も黙る関東随一の広域指定暴力団、七重組組長だということは、後から知った」
「ほぇぇ…」
「それからは、とりあえず七重の本宅に身を寄せたが…それがまた、七重の後継になれだ、若頭を襲名しろだ、七重を任せたいだとか…色々とうるさくてな。まぁ、元々、そういう魂胆で俺に目を付けていて、例の事件でこれ幸いと拾ってきたらしいが…」
はっ、と鬱陶しそうに笑う火宮だけど、その声音には言葉ほどの厭わしさを感じない。
「俺は誰かが作り上げた組織になんか興味はない。ましてや誰かの下について尽くすなど…性に合わない。ありえん」
「それは分かります」
どう考えても、人の下について大人しくしている人じゃない。
「だからそれなら自分で組を立ち上げてしまえと。徒手空拳で始めるそれは、中々面白そうだな、と思ってな」
「蒼羽会を作ったんですか?」
思いつきで、真っさらなところから?
「あぁ。苦労も問題も確かに多かったが、楽しさと充足感はそれ以上だった。お陰様で、今はこうして七重組傘下の二次団体ではそれなりの、力も勢いもある組織に成長した」
「会長、それなり、というのは語弊があります。右に出るものなし、ですよ」
不意に、真鍋の声が助手席から割り込んだ。
「ククッ、そうか。まぁそういうことだから、要は、蒼羽会の上位組織が七重組で、形式上、親子盃を交わしているからな、七重組組長は俺の親分。オヤジとなるわけだ」
「そうなんだ…」
うん、分かった。
分かったけれど、それはもしかして実父よりさらに絆が深く、大きな存在なんじゃ…。
「どうした?」
「いえ、その、オヤジさん?に、会いに行くっていうのは…」
そもそも、話のメインはそこだ。
「あぁ。真鍋」
「はい」
名前を呼ばれただけで、助手席からスッと一枚のA4サイズほどの茶封筒が差し出されてきた。
「え?」
「受け取って見てみろ」
「はぁ…」
何なんだと思いながら、そっと開けた封筒の中身は…。
「っ!これ…」
「まぁ隠す気もなかったが、まさか撮られていたとはな」
ククッ、と笑っている火宮は、多分気づいていたんだろう。
それは、数日前の、路上で戯れるようにキスを交わす、俺と火宮の隠し撮り写真だった。
他にも数枚、手を繋いで歩いている姿や、火宮が俺の頭を撫でているような写真など。
どれもが上手く俺の顔が隠れるような構図なんだけど、火宮と男がイチャイチャしている、というのは分かるような写真ばかりだ。
「っ…ひ、みや、さん…」
何これ?と、怖くなった俺の肩を、火宮がそっと引き寄せた。
「どこの興信所か、敵か味方か、はたまた本気で純粋なストーカーかと思っていたが…同業者の誰かが撮らせたんだろう。これが七重に流れて、オヤジの目に触れた。それで会わせろという話になった」
「っ、俺、と?」
「もうこの世界には、俺に本命が出来たことはすっかり知れ渡っている。下手に隠し立てして逃げ回るよりも、いい機会だ。おまえを、俺の唯一にして最後のイロだと、この際、紹介することにした」
「え…」
男で、子どもで、文無しで、ただの一般人の俺を?恋人です、と?
「な、に、言って…」
「俺はもう、後にも先にもおまえだけだ。これは、俺の本気と覚悟だ、翼。それを示すいい機会だと思ってな」
「っ…」
もしかして、それはこの前俺が、火宮の隣にいることに、自信をなくしていたことを分かってて?
「翼。おまえはもう、俺から逃げることはできない」
「っ、そんなの…っ」
逃げたいなんて思ったことない。
「俺はもう、おまえを絶対に手放さない」
「っ、ん…」
俺こそ火宮の手はもう放せない。
「覚悟しろ。おまえはこの先一生、俺の隣で、俺に愛されるんだ」
「っーー!」
なんて嬉しい束縛の言葉なんだろう。
傲慢で、高圧的で、不遜で、上から目線の命令なのに、そこには溢れんばかりの愛しかない。
「っー、どうしよう」
「なんだ」
「っ、どうしよう!火宮さんっ」
嬉しくて、嬉しくて、涙がポロポロと零れて、止まらない。
「翼」
「っーー!俺っ…俺っ、むすこさんを、俺に下さいって言えばいいですかっ!」
親子盃って言ってた。
形式上でも、血縁関係ではなくても、オヤジさんと子なら。
「ッ…」
涙でぼやけた視界で隣に目を向けたら、ヒュッと息を飲んだ火宮が見えた。
「火宮さん?」
俺に返せるのは、それくらいしかないから。
同じだけの愛と覚悟を、言葉にするくらいしかできないから。
「ッ、クックックッ、本当に、だからおまえは…」
「火宮さん?」
「最高だ」
「えっ…」
ニヤリと笑った火宮の顔が、ズイッと一気に近づいてきた。
「んーっ!」
重なった唇は、馴染んでいて心地いい。
だけど、だけどここは…。
「しゃ、車内っ!まっ、真鍋さんが見っ…運転手さんもっ…」
恥ずかしい。やめてくれ。
慌てて押し返した火宮の身体は、頑固に余計に意地悪く、のしかかるように近づいてきた。
「んんーっ…」
「ククッ…そんなに男前で、嬉しい言葉を言ってくれる唇を、放っておけるわけがないだろう?」
だからって人前でキスっていうのはどうなんだ。
シラッとしている真鍋はすごいけど、運転手さんは軽くパニック入ってる。
「ククッ、さっきのは、プロポーズの言葉と取っていいな?」
悦びに揺れる火宮の瞳が妖しく光る。
ふん、他に何に聞こえるっていうんだ。
「もちろんです」
『クックックッ、今夜は翼、覚悟しろ』
俺にだけ聞こえる声で、そっと耳に囁かれた言葉に、ゾクッと身体が震えて熱くなった。
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