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第138話
そうして車に揺られ、たどり着いた本家とやら。
ドーンと立派な門構えの、和風の、どこの老舗旅館かと思うような建物が、目の前に佇んでいた。
「うわ。これ家?」
大きいというレベルではない。
だだっ広い庭にばかでかい家屋。
郊外とはいえ、屋敷と呼んで差し支えない佇まいの邸宅に、七重組の組織力が窺える。
「っ…」
ここが、名だたる暴力団組織の頂点に君臨する、ヤクザの組長の本宅か。
ゴクリと唾を飲み込んだ喉が鳴った。
「どうした?緊張して」
怖いか?と笑う火宮をチラリと見上げ、俺はコクンと頷いた。
「怖いですよ」
「ほぉ?」
薄く細められた目が俺を見る。
真意を探るような視線を、俺はジッと見返した。
「反対されたら、俺に勝てますかね?」
「は?」
「あなたを下さいって言って、俺じゃ駄目だと言われたら、俺は組長さんからあなたを奪い取らなきゃなりません」
出来るかな?と火宮を見上げたら、ポカンとした火宮の顔が、見る見るうちに笑み崩れた。
「ヤクザの親分っていうのが怖いんじゃないのか」
「え?」
「ククッ、オヤジの反応が怖いのか」
「そりゃそうですよ」
何を当たり前な。
「クックックッ、本当におまえはな…」
「何ですか?」
「安心しろ。俺が選んだおまえに誰も、文句は言わせん」
「っ…」
「それにそもそも、俺は今日ここに、おまえとの交際の許可をもらいに来たわけじゃない。おまえを見せびらかし、知らしめるためにやって来ただけだ」
悠然と傲慢に言い放つ火宮は、どこまでも俺様火宮様で。
「あはは、好きです、火宮さん」
何だかあまりに火宮らしくて、思わずプッと笑いが漏れた。
「誰に何を言われても、あなたは俺のものでした」
「ククッ、それでいい。行くぞ、真鍋」
「はい」
丁寧なエスコートで車を下りた俺は、またも大きなカルチャーショックに目を見開くことになった。
「うわ。うわわわ、火宮さんっ…」
ザッ、ザァッと、門から玄関まで。
ブラックスーツの整列した男たちが、一斉に俺たちに向かって頭を下げていた。
前を先導するように歩く黒服の護衛が数人。半歩後ろに控えた真鍋と、そのさらに後ろにはまた護衛。
その中心で火宮に肩を抱かれた俺は、まるでヤクザ映画の中にいるみたいな光景に、ドン引きして火宮の服をギュッと握ってしまった。
「ククッ、さすがに怯むか?」
「怯むっていうか、大仰すぎ」
何せ俺はど庶民のど一般人。
これだけ多くの人たちに傅かれ、堂々とその道の真ん中を歩くなんてことに慣れているはずがない。
「ふっ、この程度、大仰すぎるなどということはありません。何せ七重組傘下では1番抜きん出た組織の長、蒼羽会会長のご訪問なのですからね」
これで当然だ、と口を挟んでくる真鍋を、思わず振り返った。
「何か?」
「いえ…」
本当に真鍋は、火宮を尊崇し、敬愛しているんだな、と思うと、なんか妬ける。
「ククッ、ほら、おまえは前を向いて堂々としていろ。何せ翼はその、蒼羽会会長の唯一にして最愛の恋人だ」
「っな…」
またこの人は公衆の面前で恥ずかしげもなく…。
「クックックッ、何ならキスの1つでもして、緊張を解してやろうか?」
ん?と目を眇める火宮は、まったくもって通常運転。
「っー!ばか火宮ぁ」
羞恥のあまり、うっかり滑った口と、バッと火宮の身体を押しのけてしまった無礼な手は健在で。
「ククッ、それでこそ翼だ。だが、またまた今夜は仕置きかな」
「っーー!」
バカ!という言葉の代わりに、キッと睨んでやった目はスルリと躱される。
戯れるようにスッと撫でられたお尻に、ビクッと飛び上がったところで、不意に前を歩いていた護衛の影が消えた。
「えっほん、ごほんっ…」
「ん?」
何だ?と思って前方に目を向ければ、どうやらいつの間にか玄関まで辿り着いていたようで。
何やら複雑な表情をした、壮年のスーツ姿の男の人が立っていた。
「あぁ、中条。出迎えご苦労」
スッと表情を引き締めた火宮が、俺の知らない冷たい空気を纏ってその中条と呼んだ相手に目を向けた。
「ようこそ、お越しくださいました」
サッと身体を半身ずらし、深く頭を下げた中条が、その姿勢のままピシリと固まる。
「あぁ、邪魔をする。顔を上げろ」
「はい。オヤジさんは、奥の座敷でお待ちです」
ササッと脇に避けた中条の向こうに、長い廊下が見えた。
「行くぞ、翼」
「えっ、は、はいっ…」
勝手知ったる様子でさっさと靴を脱いで上がり込み、廊下に立って俺に手を差し出す。
「ぼんやりしていると置いていくぞ?おまえ、この屋敷で俺とはぐれたら、確実に迷うぞ」
ククッ、と喉を鳴らす火宮は、むしろ俺が迷子になれば面白い、とでも思っていそうな悪い表情をしている。
「っ、本当、どSッ!はぐれませんよっ」
イーッと歯ぐきを剥き出しにしながら、俺はパッと靴を脱ぎ捨てて、トンッと屋敷に上がり込み、火宮の腕に絡みついてやった。
「クックックッ、後を頼んだぞ、真鍋」
「はぁぁぁっ…承知致しました」
え?何?
ふと周囲を見回した俺は、疲れ果てたように頭を抱えている真鍋と、茫然自失といった様子でポカンとしている中条、目を丸くしたまま固まっている護衛や本家ヤクザの皆々様が見えて、キョトンと首を傾げた。
「ほら翼、こっちだ」
「うぁっ、はい」
外観から想像がつくように、確かに一歩間違えればあっさり迷子になれそうな広く入り組んだ廊下を進む。
「何て言うんでしたっけ?これ。武家屋敷?」
「クッ、そこまで広くも複雑でもないだろう?」
笑わせるな、と言いながら笑う火宮の足取りは、確かに迷いがない。
「ねぇ、火宮さん」
「なんだ」
「そういえば、組長さんっていうのは、どんな人なんですか?」
こんな大きなお屋敷に住んでいて、たくさんの人を従えていて。
歳や、容姿や、性格は?やっぱりすごく怖い人なのかな?と疑問に思って、隣の火宮をチラリと見上げたら。
「ッ、はっ…は、はは」
「火宮さん?」
爆笑、とまではいかないけれど、堪え切れないといった様子で、笑い声を漏らしている。
「っ、はっ、本当に、おまえはな…」
何か変なこと言ったかな…?
「今更、ここで、それか」
「え?」
「クッ、本当に飽きさせない。まったく…もう着く。その答えは自分の目で確かめろ」
クックッ、と、いつまでも収まらない笑いを苦しそうに漏らしながら、火宮の目線が、1つの襖で仕切られた部屋の前で止まった。
「オヤジ。火宮です」
スッと威儀を正した火宮が、襖の向こうに向かって声を放った。
「入れ」
「失礼します」
重々しい声が返り、スッと一礼した火宮の手が、いよいよ襖を開けにかかった。
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