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第139話

「ほ、わぁ…」 思わず漏れた感嘆の声が、シーンとした空気を一気に切り裂いてしまった。 「翼」 「っ、あ、すみませんっ…」 一斉に、その場の全員の視線を集めてしまい、俺は慌ててペコッと頭を下げて、火宮の影に隠れた。 「やはり、話は本当か」 ふっ、と空気を揺らした、貫禄のある低い声が耳に届いた。 ニヤリ、と不敵に火宮が笑ったのが、雰囲気だけで俺にも分かった。 「まぁ座れ」 「失礼します。翼」 「は、はいっ」 スッと室内に足を進めた火宮に促され、俺もオズオズと中に進んだ。 「っ…」 ピシッと正座で背筋を伸ばし、同じように座った火宮の隣から、正面にいる男を見つめる。 貫禄のある、60歳前後くらいの、和服姿の男性だ。 頭には白いものが混じり始めた、ロマンスグレーのダンディなおじさま。 渋くて格好よくて、何だか目を惹かれてしまう。 これが組長さん? チラッと隣の火宮を見たら、一瞬だけ小さく苦笑して、スッと顎を引いた。 「ご無沙汰しています、オヤジ」 「うむ。久方ぶりだな。息災か」 「おかげさまで」 両手の拳を広げた正座の膝の上に乗せ、軽くといえども頭を下げた火宮に驚く。 「それに敬語も…」 使えたんだ、と思った言葉はしっかり声に出してしまっていたようで。 「クッ、翼。本当におまえはな…」 「っ!あ!すっ、すみませんっ」 やばい。やらかした! 焦って慌ててオロオロと目を彷徨わせたら、途端にドッと和んだ室内の空気を感じた。 「おい、火宮」 「ククッ、何ですか?オヤジ」 「ふん。久方ぶりに顔を見せたかと思えば、これまた随分と毛色の変わった連れを従えて」 ジロッと俺を見てくる視線は、値踏みするようなものと、物珍しい生き物を見つけたようなもの。 居心地の悪いそれにモジッと身体を身動がせたら、火宮の穏やかな目が向いた。 「面白いやつでしょう?」 「まぁな。この俺を目の前に、緊張感の欠片もない人間というのはな」 珍獣か?と笑う組長さんは、何だかこうして見ていると、とても大きなヤクザ組織のトップさんには見えない。 「ダンディで渋くて素敵なおじさま」 「おまえは恋人の目の前で、堂々と浮気宣言か?」 「はっ?えっ?俺また…?」 「よく滑る口だこと」 まったく、と言いながら、ムニーッと頬っぺたを抓ってくる火宮の指が痛い。 「ったい!痛い!火宮さんー」 離してー、と涙目になる俺を愉快そうに見下ろす目がどSだ。 「俺の前で堂々と他の男を褒めるな」 「分かった!分かりましたからっ。降参、降参っ!」 ギブギブ、と両手を上げたところで、ようやく火宮の手が離れていった。 「ふぅ。もう、本当どS。痛いぃ」 ムッと火宮を睨みながら、微かに痛みの残る頬をさする。 「そんなに強く抓ってはないだろう」 「でも痛いものは痛いんですー」 ベーッと舌を出して反論したところへ、ふとわざとらしい咳払いが割って入った。 「あー、ごほんっ」 「っ!」 「あぁ、オヤジ」 やばい。組長さんの御前ということをすっかり忘れていた。 「すみません、こいつしか眼中になくて」 「おまえなぁ…。これは本当か」 「俺の言動が演技に見えますか?」 クックッと笑う火宮はどこまでも傲岸だ。 組長さんとかいう偉いらしい人の前でも変わらない。 「ったく、相変わらず不遜な男だよ、おまえは」 「クックックッ、紹介させていただきます。伏野翼。俺の、唯一にして最愛のイロです」 スッと身体を引き寄せられ、ニヤリと笑う火宮に寄り添う。 「はぁぁっ、男だろう?」 「たまたまです」 「子どもじゃないか」 「十分オトナですよ?」 「ぶはっ…なっ…」 何を言うんだ! 「………正気か」 「伊達や酔狂で、天下の七重組組長に紹介させてもらうわけがないでしょう?」 「うむ…」 スラスラと淀みなく紡がれる火宮の言葉を聞き、組長さんは難しい顔をして黙り込んでしまった。

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